亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(50)「ユニコーン Vol. 3 バリー・ツイストが逃げた」

思い切りネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになった後で、ぜひまたいらしてくださいね ♪


8か月ぶりに連載が再開された「ポーの一族 ユニコーン」、皆様もう読まれましたでしょうか。
私、いつも以上に興奮してしまいましたよ。


だって、あの「エディス」が再現されている!
ポーの歴史も語られている!
これがこうで、あれがああで、実はそうだったのか!
その上、新たな謎も次々に。
今回も長い感想になってしまいますが、その前に表紙&扉絵を。

 

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小学館『flowers』2019年5月号より)


なんて美しいんでしょうか。
特に扉の一面のバラ!
2人の服がオシャレというか大胆。
今回初めて表紙と扉で同じ服、しかも本編も同じスタイルです。
エドガーのポーズ、特に手のあたりが、どちらも宝塚っぽいなあと思うんですが…
このままカンカン帽を持って踊り出しそう。
ディズニーの「メリー・ポピンズ」という声もあったりして…どうもすみません。
この2人の絵は次号のカラー予告まで続いています。

 

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画像が粗かったら申し訳ありません。
ポップで可愛いですねえ!
ポーでこういう感じの絵は初めて。
足元が文字で半分隠れていますが、よく見るとスニーカーなんですよね。
本編では革靴なんですけど、これも可愛い。
夏の「ポーの一族展」でこの絵のグッズがあったら思わず買ってしまうかも ♪


◆◆・*・◆◆・*・◆◆


絵の話だけで長くなってしまいました。
そろそろ本題に入らなくては。
今回は全体をざっくり3つに分けてみました。


1 1975年のエドガーとクロエの話
2 1975年のアランとバリー=ダイモンの話
3 1976年の話


バリーにはいくつもの名前がありVol. 2 ではダイモンと呼ばれていましたが、このVol. 3 ではポーからバリーと呼ばれています。
感想の中で呼び名をコロコロ変えるのもいかがなものかと思うので、当面はバリー=ダイモンでいきたいと思います。
では3つの話を順番に。


・* 1 1975年のエドガーとクロエの話 *・


1975年6月、つまり「エディス」のちょうど1年前のロンドン。


エドガーがシスターの格好をしたクロエを偶然見かけて後をつけると、クロエは病院で老衰患者からエナジーを頂こうとしているところ。
Vol. 2 でブランカも「老人のいる病院に行ってみて……でも できなくて…!」と言っていましたが、現代のヴァンピールにとっては病院がメインの狩り場なんですかね。


私はクロエがエドガーに再会したらもっと修羅場になるかと想像していたのですが、それほどでもありませんでしたね。
クロエがポーの村の秘密を話してくれたおかげで一族の歴史がまた少し明らかになりました。


クロエは1000年以上前(830年頃)にヨークシャーに住んでいたブリトン人で、老ハンナによって一族に加えられた。

一族は大老ポーと老ハンナの他に、大老とともにローマから旅してきた8人のローマ人などがいた。

老ハンナはブリトン人の仲間を少しずつ増やし、ポーの村をつくり始めた。

一方、大老と8人のローマ人はトリッポの城に住み始めた。

ローマ人の中心はフォンティーン。金色の髪、金茶色の瞳、魔をも魅了する天使のような美しさをもつ男。異母弟のバリー=ダイモンを可愛がっている。

フォンティーンは城主の亡き後、自分が城主となり、いつも若い娘に囲まれていた。城は悪魔の城と呼ばれた。

城に教会から征伐隊が来た。大老征伐隊を助け、フォンティーンを棺に入れてポーの村に運んだ。バリー=ダイモンだけが逃げ、他のポーは全員死んだ。

フォンティーンの体は密かに村のバラの地下深くに置かれていた。死んではいない。バラの根が絡みつき、大輪の花を咲かせ続けた。

バリー=ダイモンが村に帰ってきた。兄の分も償うと言っていたが、ある日、村中のバラを枯らして逃げた。大老は村に結界を張って彼を締め出した。

100年後、バラが再生すると大老と老ハンナはポーの村を出てスコッティの村に移った。

 

もう驚きですよね。
何よりもバリー=ダイモンの兄がついに登場です。
私は記事(39)で兄の正体について推測を書きましたが、やっぱり見事に外れました。あはは。
読んで何となく萩尾先生の「月蝕」と「温室」を思い出しました。
「月蝕」は若い城主を城の地下室で殺してなり代わり、美しい乙女と結婚した金毛の狼の話。
「温室」は原作付きですが、美しい少年が温室の精霊に魅入られて姿を消し、後に真っ赤なバラが狂ったように咲く話です。


フォンティーンは死んではいないけれどバラに自分のエナジーを与え続けているのですよね?
それなのにずっと美しいまま変わらないのは、なぜなのでしょうか。


バリー=ダイモンはフォンティーンと一緒に埋めてもらいたがるほど兄を慕っていた。
最初は兄の分まで償うと言っていたのにバラを枯らして逃げたのは、大老ポーに復讐を誓ったからでしょうか。
Vol. 1 でポーの村を追放されたという話でしたが、こういうことだったんですね。
でもシルバーは久しぶりに会ったバリー=ダイモンをひどく恐れていたので、まだ描かれていないことがあるのかもしれません。


シルバーと言えば1000年も前から生きていた古株だったとは、ちょっと驚きでした。
見かけによらず要領のいいヤツなのかも。
クロエはフォンティーンに恋する乙女ですね。
あれほど若返りたがっていたのは、フォンティーンに釣り合うように若く美しくなりたかったのかな。


クロエに皮肉交じりにポーの村の話をするエドガー、好きです。
サラッと「ウェールズのスコッティの村」と言っちゃってますけど、スコッティの村がウェールズにあるって前に出てきましたっけ?
これも新事実ですよね?

 

少し引っかかっているのは、エドガーは老ハンナをギリシャからローマ、イギリスへと来た人だと思っていたけれど、老ハンナ自身はクロエに元々イギリスに住んでいたブリトン人だと言っていたこと。
ギリシャまで遡るかどうかはわかりませんが、「メリーベルと銀のばら」で大老ポーが「わたしたちはローマの灯を見 フィレンツェの水を渡り ともに咲けるばらを追った」と言っているので、少なくともローマでは大老と一緒だったと思うのですが?


そしてエドガーがバリー=ダイモンの苗字「ツイスト」を気にしていたことも。
これは何か意味があるのか、それとも忘れていいようなことなのか、よくわかりません。


・* 2 1975年のアランとバリー=ダイモンの話 *・


ロンドンの公園で偶然出会ったアランとバリー=ダイモン。


アランは面と向かって「あんたは信用できない!」と言ったりして、かなり冷淡ですね。
まあベネチアのコンサートでは、ジュリエッタに賛辞を贈ったら隣にいたバリー=ダイモンにいきなりエナジーを送り込まれて災難でしたもんね。
エドガーに知らない人からモノをもらっちゃいけないって言われてるんだ」って、あの後エドガーからきつく言われたのかなと思うと笑えます。
でも公園でバリー=ダイモンに会ってから急にふらついたり彼の歌を聞きながら眠ってしまったりしたのは、何かの力のせいなのでしょうか。


バリー=ダイモンの方はアランをずいぶん気に入っている様子。
とても会いたかったようだし、自分の作った地下の天国を見せたがったり遊びに行こうと熱心に誘ったり。
なぜこれほどまでに好意をもっているのでしょうか?


コンサートの時は歌が兄に届いたと言ってもらえたようで単純に嬉しかったのだろうと思いましたが、どうもそれだけではないような気がします。
アランが兄と同じ金髪の、ピュアでイノセントな同族だから?
意外とファルカを仲間にしたのも金髪が理由の1つだったりして。


金髪と言えば、Vol. 2 にはなかったアランの金髪線が今回はちゃんと入っていてとても嬉しいです。
金髪線がないとどうも寂しくて、先生はお忙しくて時間が足りなかったのかなと残念に思っていました。
突然復活したのは時間に余裕があったか、ファンからの強い要望に応えてくださったのだろうと思うのですが、もしやフォンティーンの登場と何か関係あるのでしょうか。
いや、ないだろうな…。
ちなみにファルカはVol. 1 で髪を染めていて今回も金髪線なしでした。


もう1つ気になったのはアランが吠える犬にビクついていること。
犬が怖いの?
今までこんな描写はなかったのに、急にどうしたんだろう。


アランとの別れ際にバリー=ダイモンはエドガーの姿を見ます。
多分この時に初めてエドガーを認識したんですね。
コンサートの時、エドガーはオオカミの仮面をつけていて、バリー=ダイモンが歌い始める前に席を立っていますから。
エドガーにとっては2016年にカフェで会ったのが、ほぼ初対面。
そしてアランはまだ一度もクロエを見たことがないですね。


・* 3 1976年の話 *・


1976年6月。「エディス」のラストのあの日!
旧作では特に6月とは書かれていなかったので、これも新事実(って言うほどでもないか)。


とにかくあの日が今ここに再現されている!
もう本当に感動です。
あの時と同じエドガー、アラン、エディス。
ヘンリーも服が全く同じ。
違うのはバリー=ダイモンがすぐ近くにいたこと。

 

アランが落ちてすぐにダイブするエドガー。
ちょうどブランカが塔から落ちた時のように。
そうだよね!
エドガー、やっぱりそうするよね!


エディスをバスルームに運んだのはバリー=ダイモンでした。
これまではエドガーだと思われていたので、よく理性を失わなかったなあという感じでしたが、これで納得です。


じゃあエドガーはアランを救い上げて、そのまま「目」を使ってグールの丘に移動したのですね。
あの「もう明日へは行かない…」というモノローグは地下の洞窟でアランを抱きしめながら想っていたのでしょう。


焼け跡に佇むアーサー、ファルカ、ブランカ
旧作と新作がきれいに繋がったなあと感じます。
そして虚ろなバリー=ダイモンの姿からは、これから物語がどう展開していくのだろうと期待と不安が広がります。


・* 特に気になること *・


ここまで書いてきたこと以外に私が特に気になっていることは2つあります。
1つは「天国」と「地獄」、もう1つは「オルフェオとエウリディーチェ」です。


①「天国」と「地獄」


クロエはポーの村は永遠の楽園で、その楽園のために永遠の地獄があると言いました。
バリー=ダイモンも、地獄が地上に永遠の王国を作っている、と。
「地獄」とは地下で永遠にバラを咲かせ続けるフォンティーンのことですよね。


バリー=ダイモンはアランに自分が地下に作った「天国」を見せたがっていました。
「きみが面白がるだろうって思ったんだ」と言って。
地下の天国って一体どんな所なんでしょうか?
地下にバラの花畑を作っている?
それなら本当にパラダイスですが、あまりそんな気はしないんですよね。


で、ここから妄想なんですが、もしかしてバラの花畑の下に秘密基地を作っているとか。
そこはフォンティーンがいる地下のような場所で、そこにアランを連れて行って…
なんて考えると、どんどん怖い方向に行ってしまうんですよ。
2016年にカフェを出た後、エドガーをそこに連れて行くんじゃないか、とか。


バリー=ダイモンは兄を取り戻して再生させたいのでしょうか。
エドガーがアランを再生させたがっているように。
そのためにエドガーとアランが必要なのでしょうか。
「天国」と「地獄」も新しいキーワードになるのかもしれません。


②「オルフェオとエウリディーチェ


バリー=ダイモンが口ずさんだ「オルフェウス」の歌はオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」の中の曲です。
Vol. 2 でバルカロールが物語に関わっていたので、この曲もちょっと調べてみました。
そうしたら気になる言葉が色々出てきてしまったんですよ。


まずオペラの基になっているのはギリシャ神話のオルフェウスの物語。
神話なので諸説あるのですが、オルフェウスは伝説的な詩人であり音楽家
アポロン神の子という説もあるそうです。
竪琴の名手で、これを奏でながら美しい声で歌うと野獣や山川草木まで魅了したとか。


大老ポーは元々ギリシャの神官ですよね。
そして大老に血を授けられたフォンティーンは魔をも魅了するほど美しい男。
竪琴を持つ姿が多く描かれていて、地下でも胸に抱いているので名手なのだろうと思います。


オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」は、すごく簡単に書いてしまうと次のようなストーリーです。


オルフェオは妻エウリディーチェを亡くして悲嘆に暮れる。

絶望のあまり連れ戻しに冥界に下ると神々に言い、何があっても決してエウリディーチェを振り返って見ないことを条件に許される。

冥界の洞窟の入口には復讐の女神や死霊達がいたが、オルフェオが竪琴を奏でて歌うと消えていく。

オルフェオはエリゼの園でエウリディーチェを見つけ、手を引いて地上に向かう。

エウリディーチェは夫が自分の方を見ようとせず、その理由も言わないことを次第に怪しみ、ついて行こうとしない。

オルフェオが耐え切れず振り向くと妻は息絶える。

オルフェオは自分も死のうとするが、愛の神が現れてエウリディーチェを生き返らせる。

2人は喜んで抱き合う」


これを更に乱暴にまとめると、


「最愛の者を失う→絶望→冥界に連れ戻しに行く→失敗→神の力で最愛の者が蘇る」


何だかね、シチュエーションが似ているし、冥界=地獄だし、地下の洞窟はフォンティーンのいる場所のようでもあり、エドガーがいたグールの丘のようでもあり…。


ちなみに神話をパロディ化したオペレッタもあって、原題は「地獄のオルフェ」ですが日本では「天国と地獄」として定着しています。
ほら、やっぱり「天国」と「地獄」なんですよ。

 

◆◆・*・◆◆・*・◆◆


他にはクロエとバリー=ダイモンの関係も気になります。
いつも行動を共にしているのかどうかはわかりませんが、単に昔からの仲間だから一緒にいるのでしょうか。
クロエはなぜエドガーにバリー=ダイモンの行方を知らないふりをするのでしょうか。


そして次号のモノクロ予告も気になりますね。

 

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人骨と人体解剖書ですよ!
アオリは


「炎の中に失われたアランの復活を求めるエドガーの旅は――!?」


本当に怖い方向に行ったらどうしよう。
ドキドキしますけど次回も絶対に面白いのは間違いないですよね。


ところでVol. 1 の予告に「連作形式」と書かれていたのを私は「ユニコーン」の後に別のエピソードが連なると解釈していたのですが、そうではなくて「ユニコーン」自体が連作形式という意味だったようです。
前の記事でわかったようなことを書いていまして、申し訳ありません。


さて、次回はいつの話なのでしょうか。
とても楽しみです!

 

 

(49)「ユニコーン」再開の予告が出ました

昨年の『flowers』9月号以来、長らくお休み中だった「ポーの一族 ユニコーン」が今月末発売の5月号からついに再開されます。
現在発売中の4月号に予告が載っています。
そのイラストがとっても素敵!

 

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ユニコーンのメリーゴーランドに乗るエドガーとアラン。
何だかね、私などは見ているだけで幸せな気持ちになってきますよ。
優しい色合いからも幸福感が溢れているようで。
モノクロも素敵です。

 

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思い起こせば40年ぶりのポーシリーズ復活となった「春の夢」では特にエドガーの体格がよくて少し年上に見えたのですが(個人の感想です)、だんだん旧作の絵に近づいてきているようで嬉しいです。
アランの靴は、もう定番になりましたね。


アランはカラーもモノクロも天使のような笑顔。
でもモノクロのエドガーはバラの蔓を掻き分けて何かを探しているみたい。
エドガーが炭化したアランを40年間抱きしめ続けていたグールの丘は、古い木や蔓バラが茂っている場所だったとか。
それを思うと私にはエドガーが、丘の館の地下で自分を呼ぶ「無垢(イノセント)な」アランを求めて、蔓バラの茂みの奥深くに分け入って行くように見えてきます。


カラーのエドガーも遠い眼差しをしていて、まるで前に乗っているアランは幻で、どこかにいるはずの本物のアランに想いを馳せているような…。
先生のメッセージが込められているのかなと思ったりするのですが、もちろん私の勝手な想像なので特に意味などないのかもしれません。


アオリにも注目しましょう。
微妙に違うのですがモノクロは、


「1976年のロンドン、
バラを探しに出かけた
エドガーとアランは
怪しい人物に出会い…!?」


1976年のロンドン!?
まさか、ここへ帰ってくるとは!
1976年といえば、言わずと知れた「エディス」の年ですよね。
じゃあ次は2人がロンドンでエディスに出会う直前の話ということでしょうか。


しかも怪しい人物!
また新キャラ?
もしや新しい一族?
また一段と世界が広がりそうな予感がします。


◆◆・*・◆◆・*・◆◆


ユニコーン Vol. 1」の予告のアオリはこうでした。


「連作形式でつむがれる、新たなる『ポーの一族』の世界。」


連作形式ということは「ユニコーン」の後にも別のエピソードがいくつか描かれる予定なのでしょうね。
私はそれらをすべて含めた新シリーズ全体で、アランの再生に向かうのかなと感じています。
そこに大老ポーとダイモンを軸としたバトルや、ヴァンピール界の中でのあれこれ、更にはヴァンピールと人間との関わりが色々と絡んでくるのかな?と。


人間というのは、例えばエステルとジュリエッタ母娘や、アマティ神父をはじめとするバチカン、マリサとタバサ、クロエが殺したレイラインの研究者、それにロビン・カー、アダム、ノアなどです。
もしこの想像が当たっていれば、かなり壮大な物語になることでしょう(もちろん外れるかもしれませんが)。


でもエドガーにとって一番大切なのはアランを再生させること。
そして私は絶対にアランが元のまま蘇ってくれると信じています。
でないと新シリーズが始まった意味がないですもん(思い込み?)。


この予告が出てから「ユニコーン」を読み返してみたら、Vol. 2 でアランが「魔法は消えても ぼくらは消えないけどね」って言うコマがなぜかピカーッと光って見えたんですよ。
それで「そう、アランは消えないよ! だって先生はエドガーとアランとファンを幸せにするために新作を描いてくださってるんだからねっ」と思いを強くしました。

 

◆◆・*・◆◆・*・◆◆


今後どういう展開になるか全くわかりませんが、実は Vol. 1の時から私の妹が言っている説があるので、ちょっとご披露(一部脚色)。
あ、真面目に読まなくていいですよ。


ポーの村から姿を消したクロエが一族の前に現れる。
クロエにとってエドガーは可愛さ余って憎さ百倍の相手、しかもエドガーのエナジーが喉から手が出るほど欲しい。
  ↓
クロエ「エドガー!!」と襲いかかる
  ↓
シルバー「あっ あっ あっ…(さわっちゃマズイ*汗)」
  ↓
エドガー、一瞬にしてクロエのエナジーを吸い尽くす
  ↓
クロエ、シュ―――――ッとしぼむ
  ↓
大老ポー「あーあ」
  ↓
エドガー完全復活!
  ↓
(私の補足)パワーアップしたエドガー、自力でアランを再生させる


どうでしょう、こんなのダメですか?


冗談はさておき、もうあと2週間で彼らに会えますね!
表紙の絵も楽しみです ♪


そうそう、記事(39)で私は1800年前後の話が描かれるかもしれないと書きました。
それは『flowers』の年表で「すきとおった銀の髪」の年代が変更されたことから考えたわけですが、『プレミアムエディション』の年表で再び年代が変更されたので取り消させて頂きます。
リーベルが生きていた時代のお話も読んでみたい気がしますけど。

 

◆◆・*・◆◆・*・◆◆

 

過去に書いた「ユニコーン」の予告、Vol.1、Vol. 2 の感想です。
Vol. 1 とVol. 2 はネタバレしまくっておりますが、よろしければどうぞ。

(36)ユニコーンを待ちながら - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(37)「ユニコーン Vol. 1 わたしに触れるな」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記 

(38)「ユニコーン Vol. 2 ホフマンの舟歌(バルカロール)前編」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(39)「ユニコーン Vol. 2 ホフマンの舟歌(バルカロール)後編」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

  

(48)『ポーの一族 プレミアムエディション』

このたび萩尾先生のデビュー50周年を記念して小学館より『ポーの一族 プレミアムエディション 上下巻』が刊行されました。
刊行が発表された時から宣伝文句がすごかった。


「すべての原稿を再スキャンし最新技術で印刷」
「繊細な原画の描線までクリアに再現!」
「カラー原稿はそのままカラーで印刷!」
「著者により今回のために修正されたページを含む」
「B5判のワイドサイズ」


もう、いやが上にも期待が高まるというものです。
早々に honto に予約していたら発売日より2日も早く届きました!
雑誌と同じサイズなので、ずっしりと重量感。
ウキウキしながら箱を開けると、銀箔をあしらった美しいカバーの本が現れました。

 

上巻カバー

『ポーの一族 プレミアムエディション』 (上巻) (コミックス単行本)

  下巻カバー

『ポーの一族 プレミアムエディション』 (下巻) (コミックス単行本)

 

ファンにはおなじみの1枚絵を2つに分けたものですね。
横に並べると一続きの絵になります。
カバーを外すと、表紙がまた嬉しいんですよ。
表も裏も本編内の素敵な1枚絵なんです。
実に心憎い!


中の印刷も謳い文句通りの美しさ!
特にカラーは『パーフェクトセレクション』と比べても鮮やかです。
例えばこちらは「はるかな国の花や小鳥」の扉絵。


萩尾望都パーフェクトセレクション7』

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『プレミアムエディション上巻』

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微妙な差ですが『プレミアムエディション』の方が陰影に富んでいるのがおわかり頂けるでしょうか。
2色刷りはもっと差が大きいです。
上の扉絵の裏面に当たるページがこちら。


萩尾望都パーフェクトセレクション7』

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『プレミアムエディション上巻』

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わが家のスキャナに問題があるようで『パーフェクトセレクション』の方は本の通りの色が出ていなくて申し訳ないのですが、印象がかなり違いますよね。
モノクロも点描などは比べやすいかなと思います。
画像を載せたかったのですが、はっきりわかるほどには違いが出なかったのでごめんなさい。


本のサイズが雑誌と同じというのも魅力です。
何と言っても細部までしっかり見える。
線がクリアで迫力があり、絵がこちらに迫ってくるように感じられるし、先生のペンタッチの変化が見られて興味深いです。


~~~~~~~~~~~~

 

『プレミアムエディション』で更に嬉しいのは、上下巻とも巻末に予告カットを中心としたイラストギャラリーが付いていること!
私は以前『flowers』編集部に「予告カットを含む『ポーの一族』の画集を出してください」という要望書を出したことがあって、まさに待望の!イラストギャラリーです。

 

点数は決して多いとは言えませんが、予告カットは行方不明になってしまった原稿もあるそうなので、先生の手元に残っているものを集めて掲載してくださったのかなと思います。
萩尾先生、小学館様、どうもありがとうございました!
初めて見るカットもあるし、掲載誌ではトリミングされた部分まで見られるのでとても嬉しいです。


そして巻末には年表「ポーの一族History」も付いています。
これは『flowers』2017年3月号(「春の夢」Vol. 2掲載号)に載っていた「ポーの一族ヒストリー」をベースに、その後発表された「春の夢」Vol. 3~6、「ユニコーン」Vol. 1~3の内容を新たに盛り込んだものです。
『プレミアムエディション』の作品は年代順ではないので、ポーを初めて読む方はこの年表を見ながら読むといいのではないでしょうか(個人的には『パーフェクトセレクション』の発表順に読むのがお勧めですが)。


『flowers』版は老ハンナの消えた年と大老のルビが間違っていたのですが、今回しっかりと修正されていました。
でもなぜか修正して逆に間違いになってしまったところも。
オービンさんの会合に参加したのはロジャーとシャーロッテだけなのに、ヘンリーも入っています。
下にヘンリーの絵があるので、うっかり入れてしまったのかもしれないですね。


それよりも私にとって事件だったのは、「すきとおった銀の髪」の「チャールズ少年、メリーベルと出会う」の年代が再び変わっていたことでした。
従来はチャールズがメリーベルに出会ったのは1815年、再会したのは1845年とされていましたが、『flowers』版では「18世紀後半~19世紀前半」と早まり、「著者に確認」という注まで付いていました。
それが『プレミアムエディション』では出会ったのが「1815ごろ」となっています。
元に戻ったのかなと思いましたが「ごろ」が付いているので全く同じではないのですね。
変更の理由はわかりませんが、この年代で落ち着くのではないかと思います。


(「すきとおった銀の髪」の年代にご興味のある方は、よろしければこちらの過去記事もどうぞ。)

(11)この作品は、いつ頃のお話?~①「すきとおった銀の髪」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記


『プレミアムエディション』は先生の修正が加えられるというのも話題でした。
どこが修正されたんだろうと思っていたら、1つ見つけました。
「ランプトンは語る」の最後から2ページ目の最後のコマです。


萩尾望都パーフェクトセレクション7』

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『プレミアムエディション下巻』

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『パーフェクトセレクション』ではネクタイの下半分がペン入れされていなかったのですが、ちゃんとペン入れされました。
このコマはアランの表情が切なくて好きなだけに、未完成なのが前から気になっていたので嬉しいです。
他はどこが修正されているのでしょうね?
1ページずつ見比べればわかるかもしれませんが、そんな労力は私にはとてもとても…。
見つけられた方は教えて頂けると嬉しいです。

 
~~~~~~~~~~~~


今回、本の帯と挟み込まれていたチラシにデビュー50周年記念「ポーの一族展」のお知らせが出ています。
今更気づいたのですが惹句が「『ポーの一族』を中心に、貴重な原画で創作の軌跡をたどる」なんですね。
「『ポーの一族を中心に」!
タイトルが「ポーの一族展」なのでポーの原画だけだと思っていましたが、他の作品の原画も展示されると考えていいんですよね?
これはますます楽しみです!
今のところ7月25日(木)~8月6日(火)東京・松屋銀座、12月4日(水)~16日(月)大阪・阪急うめだ本店のみですが、他の会場にも巡回されるといいですね。


今月末には「11人いる!」ムック本の復刻版も刊行予定。
トーマの心臓」の扉絵探しも進行中だし、50周年記念企画は他にも予定されているようです。
小学館様、どんどん盛り上げてください。
期待しています!

  

 

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(47)「3月ウサギが集団で」~この騒々しくも愛すべきヤツら/「ごめんあそばせ!」「ジェニファの恋のお相手は」

1969-73年作品、今回はとにかく楽しい!学園コメディ「3月ウサギが集団で」。
『週刊少女コミック』1972年16号に掲載された40ページの作品です。

 

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(『萩尾望都作品集5 3月ウサギが集団で』1995年 小学館より。下も同)


まずタイトルの「3月ウサギ」って何?ってことですが、お察しの通り『不思議の国のアリス』で帽子屋やヤマネと狂ったお茶会を開いている、あのウサギです。
ディズニーのアニメでご存じの方も多いことでしょう。


この「3月ウサギ」、そもそもは繁殖期のウサギが狂ったように飛び跳ねることに由来する「3月のウサギのように気が狂った(頭の変な、気まぐれな)」という英語の成句から生まれたそうです。


そこで「3月ウサギが集団で」は、こんなふうに始まります。


「カリフラワー畑と住宅地の
どまん中に美月中学はある
これでも東京都区内だ
すぐとなりが埼玉県だっちゅう
えらい はずれだけど」

「美月中学
人よんで三月中学
生徒のことを三月ウサギ」

「三月は狂い月
狂い月のキマグレウサギども あはっ」


そう、これは美月中学2年3組の生徒達がドタバタ大騒ぎする漫画なんですよ。
では見事にキャラ立ちしている生徒達をご紹介!


マーク(左)と一丸(右)

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 マークはもちろん愛称で、マーク・レスターに似ているからマーク。
あ、マーク・レスターをご存じない方もいらっしゃるでしょうね。
マーク・レスターは映画「オリバー!」や「小さな恋のメロディ」などで有名なイギリスの子役です。
とても可愛い男の子で当時日本でも大人気でした。
この作品のマークも女子に大人気。
でも中身は至って普通の男子です。


一丸はマークの親友。
IQ160の天才と言われています。


のんの

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 本名・鈴木乃々。
男子に大人気のキュートな女の子。


松本

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 自転車を愛する男。
ガレージの許可証を失くしたからと言って教室まで乗り付けるほど。


委員長

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 真面目なクラス委員。
のんのが好きなのに女子から「あんたとじゃ似合わない」と言われて傷つく一面も。


生徒だけでなく先生達もキャラ立ちしています。
筆頭はこの人。


高尾先生

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 理科の教師。
左上のモップ頭が Before、下の坊主頭が Afterです。
こうなったのもマークと一丸のせい。


・・・・・・・・・・


ストーリーの発端は、マークがのんのの靴箱に入れたラブレター。
のんのは女子のアイドルであるマークが自分にラブレターをくれたことに戸惑い、生活指導担当の担任に届けてしまいます。
そして怒ったマークにふられて、自分もマークを好きだという気持ちに気づきます。


この1件は一丸が学級日誌に書いたためにたちまちクラス中に知れ渡り、皆は2人をくっつけようと盛り上がります。


でも一丸は親友が女の子に、うつつを抜かしているのが面白くない。
マークの靴箱に入っていたのんのからの手紙を失敬し、高尾先生も巻き込んで事態はとんでもない方向へ――。

 

・・・・・・・・・・


この作品が楽しい理由は何と言ってもテンポが速いこと!
理科の解剖用のヒヨコを焼いて食べただの、
高尾先生が思わぬことから坊主頭にされるだの、
松本がのんのに告白されたと勝手に思い込むだの、
委員長がリコールされそうになるだの、
いろんな話がまるでウサギが跳ねるみたいに飛び出してくるんです。


例えば下は、給食の時間にマークと一丸の言い合いからスープ合戦になる場面。

 

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弾むようなテンポですよね。
ところどころセリフが横書きなのも臨場感があって。
こんなスープ合戦、「トーマの心臓」にもありましたね。


私はこの作品を中学生の時に初めて読んで、その時からこのテンポの良さと笑いが大好きでした。
今読み返しても楽しいし、当時の教室の騒々しさを思い出したりします。


今の中学生の方が読んだら、どう感じるのでしょうか。
現実離れしていると思うかもしれないですね。
そうしたらファンタジーとして読んで頂きたいなと思います。


この作品にも初期特有の萩尾先生の書き込みがあります。
1つは、


「脱線 脱線 ばっかし!」


これはわかりますね。
もう1つは、


「半分は事実をもとに つくってある
ざまみろ」


え? 半分事実って、どのあたりが?
スープ合戦も事実なんでしょうか。
それに「ざまみろ」って誰に言っているんでしょうね?
ちょっと気になります。


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他にもあります   学園コメディ

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まずは『週刊少女コミック』1972年12号に掲載された「ごめんあそばせ!」から。

 

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(『萩尾望都作品集5 3月ウサギが集団で』1995年 小学館より。下も同)


ハイスクールのバンド、キーロックスは市のコンクールを間近に控えてドラムがケガで入院し、「ドラマー募集」のポスターを学校中に貼ります。
1人だけやってきたエマは小学生に間違えられるほど小柄な女の子。
でもドラムの腕は抜群!


さっそくメンバーに加わり練習を始めますが、サッカー部がエマを返せとやってきます。
実はエマ、クラブを変えるのが趣味で、これまで34ものクラブを渡り歩いてきたのでした。


どこでもモテモテだったエマにキーロックスのメンバーもすっかり夢中。
ところがコンクール当日、エマが出番直前に酔っ払ってしまって…。

 

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エマは小さいけれど威勢がよくて何でもできてチャーミング。
作品はメンバーが持ち歌に乗せてエマとのデートを妄想する場面もあったりして楽しいです。


でも上の扉絵は中の絵より古い感じがするのですよね。
中の絵はこんなです。

 

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『テレビランド増刊イラストアルバム⑥萩尾望都の世界』(1978年 徳間書店)にデビュー前の「ごめんあそばせ!」のオリジナル原稿が一部掲載されているのですが、扉絵はその絵に近いので、もしかするとオリジナル原稿がそのまま使われたのかもしれません。


そしてこの作品には手書きで「ここは あしべつ 北国の町のササヤナナエターンのおうちで しこしこ おしごと してんの…」などと書かれています。
北海道のささやななえこ先生のお宅に滞在中に描かれたのですね。


キーロックス」とは先生がデビュー前に参加していた同人誌の名前で、もともとはメンバーの方が活動されていたロックバンドの名前だったそうです(『文藝別冊 総特集 萩尾望都』2010年 河出書房新社 p. 19より)。


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もう1作、『なかよし』1971年4月号掲載の「ジェニファの恋のお相手は」も!
こちらは少し変わった学園コメディです。

 

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 (『萩尾望都作品集2 塔のある家』1995年 小学館より)


ヒロインはアリスおばあちゃんと17歳の姪・ジェニファ。
ある朝、アリスの元に死神が来て言うことには、「手違いで13日後に死ぬことになったから、それまで望みを叶えます」と。
恋愛経験のないアリスはもう一度青春時代を生きて恋をしたいと、ジェニファと魂を入れ替えてもらいます。


色気ゼロの秀才だったジェニファがいきなりおしゃれをして可愛くなって、学校は大騒ぎに。
ジェニファになったアリスは「青春はあたしの恋のためにあるの」「恋愛はゲームよ」と言い放ち、最高の男の子とのカップリングをめざします。


男の子達がアリスに熱を上げる中、プレイボーイのロンリーまでが本気でアリスを好きになり、ついにアリスはファーストキスの瞬間を迎えますが…。

 

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こちらもテンポがよくて楽しい作品です。
アリスがジェニファになって青春を謳歌している姿は爽快だし、それを見た本物のジェニファが乙女心に目覚めるところも可愛い。
ロンリーが校内のパーラーでカッコつけて注文するのがクリームソーダというのも、何だか笑ってしまいます。
この作品に出てくる死神は「もうひとつの恋」にも登場するのですが、愛嬌があって私のお気に入りです。


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記事内の作品はこちらで読めます

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「3月ウサギが集団で」

 

この娘(こ)うります! (白泉社文庫)

この娘(こ)うります! (白泉社文庫)

 

 

「ごめんあそばせ!」

 

ルルとミミ (小学館文庫 はA 44)

ルルとミミ (小学館文庫 はA 44)

 

 

「ジェニファの恋のお相手は」

 

アメリカン・パイ (秋田文庫)

アメリカン・パイ (秋田文庫)

 

 
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1969-73年作品の感想は、しばらくお休みした後に再開する予定です。

 

 

記事(32)に追記しました

宝塚「ポーの一族」でエドガー役を演じられた明日海りおさんの東京公演千秋楽でのご挨拶を追記しました。「ポーの一族」への愛がこもったお言葉です。

(32)宝塚「ポーの一族」ライブビューイングを観てきました~原作ファンの初ライビュ - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

(46)「秋の旅」~豊潤に薫る読後感/「雪の子」

2019年が明けました。
今年は萩尾先生のデビュー50周年という記念すべき年ですね!


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萩尾先生、50周年おめでとうございます!
沢山の素晴らしい作品を生み出してくださってありがとうございます。
同じ時代に生きて新作を読むことができて本当に幸せです。
どうぞこれからもお身体を大切に末長く創作を続けてくださいますように!


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…と、片隅からお祝いを申し上げます。
さてさて、1969-73年作品の感想シリーズ、今回は「秋の旅」。
別冊少女コミック』1971年10月号に掲載された、文学の薫り漂う24ページの短編です。


ラストまで詳しく書いていますのでネタバレNGの方はご遠慮くださいませ。記事の最後に作品が収録されている本をご紹介しています。

 

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(『萩尾望都作品集4 セーラ・ヒルの聖夜』1995年 小学館より。下も同)


物語は主人公ヨハンのモノローグから始まります。
初期作品はモノローグで始まるものが多いのですが、この「秋の旅」は特に印象的です。


「……その家は小さな池の ほとりに建っていた
ぼくは はっきり おぼえている

母は少し神経質で よく こごとを言った
手のよごれや 食事の作法や

ぼくや弟たちの姿が見えないと
母は心配して いくども呼んだ
ひどくとおる高い声だった

父は大きな人で よく母と夕暮れに
よりそって 池のほとりを歩いていた

――ぼくは いくつだったろう?
六つか もっと小さかった」


1ページ目はこのモノローグとともにヨハンの断片的な記憶の風景が1コマずつ現れ、最後にヨハンがアップになって汽車に乗っているとわかる。
これだけでもう物語の世界に引き込まれてしまいます。


そしてこのページはすべて横長のコマ。
萩尾先生は横長のコマを積み重ねる手法をよく使われていて、その効果として読者の目線が左右に広がる、上から順に読んでいくので読者がリズムをとりやすく時間の経過を意識する、などを挙げられています。
1ページ目で引き込まれてしまうのは、この横長のコマの積み重ね効果もあるのでしょう。


さて、田舎町の小さな駅に降り立ったヨハンが訪ねようとしているのは小説家モリッツ・クラインの家。
ヨハンはクラインの小説のファンで敬愛する作家に一目会いたいとやってきたのですが、実は他にも理由がありました。


クラインはヨハンと2人の弟の父なのです。
ヨハンが7歳の時に家族を捨て、それきり会っていません。
今は再婚して妻の連れ子のルイーゼと3人で暮らしています。


ヨハンが訪ねた時、クラインはちょうど庭でバラの世話をしていました。
突然の対面に緊張して言葉が出ないヨハン。
クラインは優しく接してくれますが、ヨハンの表情がふと翳ります。
きっと彼は、クラインに会えばすぐに息子だとわかってもらえるのではないかと淡い期待を抱いていたのでしょう。


けれどクラインはヨハンをルイーゼのボーイフレンドと勘違いしたまま乗馬に出かけ、ヨハンは同い年のルイーゼと話すうちに自分がクラインの息子であると知られてしまいます。
そして2人の会話から、クラインに対するヨハンの気持ちが少しずつ読者にわかってくるのです。


-・-・-・-・-・-


クラインは家を出た翌年にルイーゼの母と再婚しました。
ということは出て行った時にはすでにルイーゼの母と出会っていたのかもしれません。
ヨハンの母はそれ以来ずっとノイローゼで入院しています。
そんな母が可哀想でヨハンはクラインを憎んでいました。
何もかも父が悪いのだと。


でもある時、クラインの小説を読んでヨハンは心を打たれます。
恨んでいた父の作品を読む気になったのはヨハン自身が言うように心の半分で父を呼んでいたからでしょうし、父に似て純粋に文学が好きだったからでもあるでしょう。
ヨハンはルイーゼに言います。


「……あの人だって……
ぼくよりずっと たくさんの時間を生きて
たくさんの悲しみに会ったはずなのに

あの人は
……なんてあたたかい
……なんて澄んだ言葉で
語りかけるものを かくんだろう

……かなわない……
……とても大きな人だ」


「その人は かつて
ぼくの父だった人だろうけど
今はちがう
ぼくの夢……
…ぼくの敬愛する作家
モリッツ・クラインだ」


作品から受けた感動がクラインへの敬愛に変わり、今ではヨハンの夢になっている。
彼の夢とは何でしょう?


馬車に乗せてくれた人にヨハンは言っています。
「先生に一目でも会うことが――ずっとぼくの夢だったんです」と。
初めてクラインの小説を読んで感動した時、彼は自分が抱いている父のイメージとのギャップに困惑しただろうと思います。
家族を不幸にしたひどい父親と、人を感動させる温かい小説を書く作家、どちらが本当の姿なのだろうと。
そしてそれを自分の目で確かめたくなったのではないでしょうか。


もしクラインが作品から感じられる通り大きな心をもった人だったら、自分は何のわだかまりもなく敬愛できるようになる。
だから、そんな人であってほしい。
「クラインに会いたい」という夢は単に憧れの作家に会うというだけでなく、そういう願望を含んでいたのではないかなと思います。


ヨハンはルイーゼに「きみのお父さんて作家として ほんとうにすばらしい人だ」と言いましたが、この時はあくまで「作家として」素晴らしいとしか言えなかったのですよね。
けれど、もしクラインを心から尊敬できたら別の夢にも向かうことができる。
それは「いつか自分もこういう作品を書ける作家になりたい」という夢ではないでしょうか。


クラインの作品は母に対するヨハンの見方も変えたようです。
以前はただ可哀想だと思うばかりだったのが、今は「…母さんが不幸なのは だれも愛してないからだ 考えすぎるんだよ」と客観視できるようになっている。
父が出て行ったのは母にも原因があると考えるようになったのかもしれません。


-・-・-・-・-・-


ヨハンの話を聞いてルイーゼは申し訳ない気持ちになり、クラインに会っていってほしいと頼みますが、ヨハンは待たずに帰ります。
間もなく帰ってきたクラインは事情を聞き、馬を駆って駅へと急ぐ。
このあたりは縦に見せるコマ割りで、とても緊迫感があります。


汽車のデッキにヨハンが立ち、汽車が動き始めた時、クラインが追いつきます。
「ヨハン!」と叫ぶクライン。
見つめ返すヨハン。
両手を大きく広げるクライン。
1ページ目と同じように横長のコマが続いてヨハンの顔とクラインの顔、そしてヨハンの記憶の中の風景が積み重なっていき、ヨハンのモノローグがかぶさる。
そのモノローグは冒頭と似ているけれど少しずつ違っていて、最後はこの言葉で終わります。


「父は大きな人で
ぼくたちは いつも
肩ぐるまを ねだった

高い背」


その時ヨハンの脳裏に忘れていた情景が浮かんでくる。
それは自分や弟と戯れる父と、それを見ている母のシルエット。


今、目の前で両手を広げている父は、その幸福な記憶と重なって「おいで。抱き上げて肩車してあげよう」と言っているように見えたことでしょう。
ヨハンは何も言えなかったけれど、父はこんなに優しい目をしていたのだと思い出したのではないでしょうか。


父の姿が遠くに見えなくなってから心の中で「ありがとう」を繰り返し、涙が頬を伝う。
この「ありがとう」は、こんな気持ちだったのかもしれません。


一緒に暮らしていた頃、慈しんでくれてありがとう
出て行ったのは仕方なかったんだね
追ってきてくれてありがとう
受け入れてくれてありがとう
ルイーゼは他人の気持ちがわかる優しい子だね
きっとあなたがそんな人だからだ
だから、あなたの作品は温かいんだ
素晴らしい作品をありがとう
ぼくに夢をくれてありがとう…

 

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ラストページ。最後の余白が余韻となって沁みてきます


汽車を見送るクラインの後ろ姿も印象的で、私は父子がいつか再び交わる日が来るような気がします。
それはヨハンが作家になってからかもしれないし、もっと早くかもしれません。
そして2人とも、この日の出来事をモチーフに小説を書くのではないかと想像しています。


最後まで読んでもう一度扉絵を見返すと、寄り添う家族のシルエットがラストの戯れているシルエットの続きのように見えました。
「秋の旅」とはヨハンの心の旅でもあるのですね。
心に沁みる言葉と絵に加えて声や音やバラの香りや秋の光までも感じられて、まるで1篇の文学作品を読んだような、あるいは1本の映画を観たような、そんな読後感に包まれます。


ところでポーシリーズや「塔のある家」ではバラの花が重要なモチーフになっていますが、この作品でもクライン家の庭にバラが咲き乱れていて、もしかすると当時の萩尾先生にとってバラはヨーロッパへの憧れの象徴だったのかなと思ったりしました。


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 他にもあります 文芸作品

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「雪の子」もまた文学や映画の薫りのする作品です。
こちらは「秋の旅」より少し早く『別冊少女コミック』1971年3月号に掲載されました。

 

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(『萩尾望都作品集1 ビアンカ』1995年 小学館より。下も同)


ブロージーは本家の跡取り息子・エミールの遊び相手として屋敷に招かれます。
屋敷には同年代の親族の少年数人も呼び寄せられていました。


エミールは雪のように白い肌をした美しい少年でしたが、集まった少年たちを拒絶します。
他の子達は気難しいエミールを嫌いますが、心優しいブロージーはエミールの美しさに惹かれていきます。


そんなブロージーにエミールは秘密を打ち明けるのでした…


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この作品の最大の魅力は中性的で独自の美学をもったエミールというキャラクターでしょう。
その言葉はブロージーを戸惑わせ、更に魅了していきます。


「ぼくが少年から おとなになるってことは 罪悪なんだ」
「ぼくは自分が一番美しい時に死ぬつもりだ」
「……ぼくは ぼく以上に だれも愛してない」
「…もうじき幕がおりるよ 観客はだまされたままでね おもしろいと思わない……?」

 

エミールが美学を貫くラストは衝撃的で、静かに雪の降り積もる白い世界が鮮やかに浮かび上がってきます。
ポーシリーズに通じる「大人になれない子ども」や、後のSF作品の両性具有者を思わせるキャラクターが描かれているところにも注目したいです。


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「雪の子」の1ページ目も「秋の旅」と同じく横長のコマが積み重ねられています。
まず霧の中に少女の顔のアップがあり、それがだんだん遠のいて、入れ替わりに少年がだんだんアップになってくるというプロローグです。

 

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上の「秋の旅」の中で横長のコマの積み重ね効果について萩尾先生の言葉をご紹介しましたが、先生はこうもおっしゃっています。


「横長効果は同じキャラクターを二つ出すと、例えば手前からこちら側に迫ってくる感じ、逆だったら、こちらにいたのが遠ざかる感じ。距離感がすごく出しやすい。相手がいる場合には、それをちょっとよけると、今度は二人の立ち位置がわかりやすくなる。そのリズムがおもしろくてよく使っている。」

(「萩尾望都作品目録」様の2018年8月15日の記事「高崎での萩尾望都先生と浦沢直樹先生の対談レポート」より引用させて頂きました。レポートはこちらです ↓)

高崎での萩尾望都先生と浦沢直樹先生の対談レポート - ニュース:萩尾望都作品目録


このページの絵を見ると、まさにこういうことか!とよくわかりますね。


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記事内の作品はこちらで読めます

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「秋の旅」

 

11月のギムナジウム (小学館文庫)

11月のギムナジウム (小学館文庫)

 

 

萩尾望都-愛の宝石- (フラワーコミックス)

萩尾望都-愛の宝石- (フラワーコミックス)

 

 

「雪の子」

 

アメリカン・パイ (秋田文庫)

アメリカン・パイ (秋田文庫)