亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(5)アランの気持ち

年代的に「小鳥の巣」(1959年)より後の作品は、「ランプトンは語る」(1966年)と「エディス」(1976年)だけです。
「ランプトンは語る」には、「小鳥の巣」以降のアランとエドガーの関係性を示す描写はありません(ドン・マーシャルと会ったのは1950年です)。


けれども「エディス」のアランは「小鳥の巣」までと少し違う印象を受けます。
何というか、落ち着いて見えるのです。
もともと自分がエドガーにとってメリーベルの身代わりだったことを、もう自然に受け止めていて、エドガーが言葉に出さなくとも自分を愛してくれていると確信をもっているような…。


アランが主体的にエドガーと別行動をして楽しそうにしている様子は、それまでの作品には描かれていませんでした(雨でゴネたので留守番に置いて行かれた「一週間」は別として)。
それに冒頭のカフェの場面で「エド」と呼びかけていますが、「エドガー」ではなく「エド」と呼んだのは後にも先にもこの時だけです(他にもありましたら、すみません)。


「小鳥の巣」のあと17年一緒に旅をしている間に何かあったのか、またはエドガーの気持ちを汲み取ってそういう心境になったのか、それともエディスに出逢ったことが変化をもたらしたのか、それはわかりません。


けれどエドガーとの関係が安定したのだろうなと思えて、私は何となく安心したのでした。



ここまでエドガーとアランの微妙な心の変化について、自分なりの考えを綴ってきました。
新作「春の夢」は1944年のお話で、過去作にない新しいエピソードがたくさん出てきそうなので、ここに書いたことも「あら、違ったのね」ということになるかもしれません。
そういう違いも含めて新作を楽しみたいと思います。


(初投稿日:2016. 12. 14)