「エディス」のラスト、つまりポーシリーズの物語の終幕(現在のところ)には、皆様お1人おひとりが特別な感慨をおもちでしょう。
読めない、読みたくないという方も、いらっしゃるかもしれません。
でもシリーズ全体を再読して私が一番感動したのは、このラストでした。
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特にアランが落ちていくところから次のページまでの、コマ運びの見事さ!
振り返るエドガーのシルエット、エドガーの顔と交互に映るヘンリーやロジャー、砕けるガラス、茫然と見ているしかないエドガーの絵にエディスとシャーロッテが重なり、キラキラとした光の中で視線を下に落とすと時計が炎に包まれているのが目に入って、アランが行ってしまったことを知らされる――。
紙の絵なのに、まるで映像が立ち上ってくるようで、何度も何度も見ました。
エドガーの表情を1コマずつ追っていくだけで胸を衝かれてしまいます。
砕けるガラスは「メリーベルと銀のばら」の次の詩を想起させます。
「ハンプティダンプティ
死んでしまった白ねずみ
くだけたガラス
食べちゃったお菓子
すべて もとにはもどらない」
この場面のガラスは、アランの運命とエドガーの心情を象徴しているのでしょう。
ここでアランの表情は描かれていないしセリフもありませんが、これはエドガーが振り向いた時にはもうアランの顔も見えず声も聞こえなかったということなのでしょう。
私は実際にはアランはエドガーの名を呼んだのではないかな、と想像しています。
最後に目に映ったのは炎だったのか、エドガーだったのか。
その瞬間、何を思ったのか…。
想像すると切なくなります。
ただ、シャーロッテの穏やかな微笑みが「妹を助けてくれてありがとう」と言っているようで、少しだけ救われる気がします。
その次のページのエドガーのモノローグが、また切なくて言葉もありません。
けれどもエディスの想いをはさんでオービンさんのモノローグで物語が締めくくられる時、美しい長い夢を見ていたような静かな余韻に包まれて、深々と息をついてしまうのです。
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ところで「エディス」の扉の裏(掲載誌では中編の扉裏)には、こんな詩が書かれています。
「時の輪よ めぐりめぐれ
生命のふたたび 生まれるまでに」
「時の風よ といきよ夢よ 走り 走れ
輝きのいまだ 見えぬ地平へ」
私はこの前半はアランに捧げられた詩で、後半はエドガーに捧げられた詩のように感じます。
時を駆ける永い旅を終えた者と、続ける者。
ひとつの神話が終わっても、もうひとつの神話はなお続いていく、ということでしょうか。
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余談ですが、「エディス」の最後のコマは花の中にうつ伏せに横たわり、眠っているようなエドガー。
そして「春の夢」のカラー予告は、花の中に仰向けに横たわり、こちらを見つめているエドガー。
萩尾先生が意図されたかどうかはわかりませんが、私はエドガーが長い眠りから目覚めてくれたようで、とても嬉しくなりました。
(初投稿日:2016. 12. 14)
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~2019. 8. 11 追記~
上で私は扉裏の詩について、前半はアランに捧げられ、後半はエドガーに捧げられたように感じると書きました。
でも新シリーズを「秘密の花園 Vol. 1」まで読んできて少し考えが変わってきました。
前半は人間をはじめとする限りある生命のもの、後半はポーのような不老不死のものへの詩なのかもしれません。
そして不老不死のものも、その生を終えれば再び時の輪の中に戻るのだと思いたいです。
新作が進むうちに何か感じることがあれば、また書きたいと思います。