亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(20)虹色に淡い天使の羽が

今回はとても私的な感想です…。


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トーマの心臓」は12歳の春に私が初めて出逢った萩尾作品です。学校が舞台ということもあってか、それは私の胸の奥底まで響き、中学時代の3年間ずっと寄り添い続けてくれました。


当時の私に学校は居心地の悪い場所でした。と言っても学校には毎日通っていたし、友達が全くいなかったわけでも、誰かにいじめられていたわけでもありません。ただ真面目すぎて、ひとりで勝手に張りつめていたのです。


そんなふうだったので私はユーリにシンパシーを感じて、彼の孤独に共感していました。もちろん悩みのレベルは天と地ほども違っていましたが。学校から帰ると「トーマの心臓」を開いてはユーリを見て癒やされる日々でした。

 

その頃の私にとって「トーマの心臓」は、天上から光がこぼれ落ちてくる透明で神聖な世界でした。そのイメージは今も変わりません。
私はドイツや寄宿舎に憧れ、聖書に興味を持ちました。「彼」「きみ」などという言葉や文学的な言い回し、詩のようなモノローグに心酔し、好きなフレーズをノートに書き写したり冒頭のトーマの詩を暗記したりしました。背伸びしてヘッセも読んでみました。萩尾先生の繊細な絵も大好きでした。


ただ、それほど夢中で読んでいても、私は物語の表層をなぞっていただけで大事なことは何ひとつわかっていませんでした。ユーリが許されていたことに気づき涙を流す最も重要な(と思っています)場面も、その意味を理解できたのはもっと後になってからです。


やがて中学を卒業する頃になると私は他の世界にも目を向け始め、大人になってからは漫画をほとんど読まなくなりました。
けれど萩尾作品――とりわけ「トーマの心臓」は胸の奥深くで静かに光り続け、私は時おり宝物を取り出すように作中の詩のような言葉を心の中で唱えていました。優しい言葉や切ない言葉。
その1つがラスト近くのユーリのモノローグでした。


「いつも いつも
生徒たちの背に ぼくは
虹色に淡い天使の羽を見ていた」

 

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(『萩尾望都パーフェクトセレクション2 トーマの心臓Ⅱ』2007年 小学館より)


この言葉を思い出すと、群れる生徒達の背に光る翼と、それを眩しそうに寂しそうに見つめるユーリの顔が浮かんでくるのでした。


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その後、「ポーの一族」の続編発表を機に再び萩尾漫画に目覚め、ポーシリーズを読みふける日々が一段落した頃、私は本棚でずっと眠っていた「トーマの心臓」を開きました。自分がどう感じるのだろうとドキドキしながら。


およそ30年ぶりに再会したその世界は、昔と変わらず――いえ、むしろ昔以上に透明な光で溢れていました。生徒達が下級生や名前の出ない子までキラキラと輝いて、みんな愛おしく見えたからです。
まるで1人ひとりの背中に、虹色に淡い天使の羽がきらめいているようでした。もちろんユーリの背中にも。
けれども上級生や大人には、その羽は見えません。もしかするとそれは大人への階段を上り始めた、最も多感で傷つきやすい年頃の者にだけ現れるものだからかもしれないと思いました。


生徒達の中で一番可愛かったのは意外にもヘルベルトで、彼がユーリに突っかかるたびに「うんうん、わかるよ。キミの気持ち」と頭をなでたくなりました。
さすがにサイフリート一派だけは可愛くも愛しくもありませんでしたが、今のユーリなら彼らを許すだろうと思いました。彼らの背中にもかつては天使の羽があったのでしょうか。


本を閉じて目を上げると、向こうにユーリが立ってこちらを見ているような気がしました。あの頃のままの姿で、あの頃と同じ眼差しにあの頃よりも深い色を湛え、少し不安そうな顔をして。私は彼を抱きしめて「あなたはとても苦しんだんだね」と言ってあげたいと思いました。


当時の自分自身のことも今ならわかります。自分が何者かわからず、他人との距離の取り方もわからず、混沌としていたのだと。そして、この作品から私が受け取った最大の贈り物は “自分と向き合う時間” だったということも。


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それから数か月たって、もう一度読んでみました。今度は前よりも色々なことを感じました。
汚点のない完全な人間を目指していたがゆえに深まったユーリの罪悪感と苦悩。
無邪気な子どもだったエーリクの成長。
ユーリをめぐるオスカーの複雑な心境。ユーリにトーマの死の意味を悟らせたのはエーリクだけれど、許し愛されていたことに気づかせたのはやはりオスカーで、彼の大きな愛が報われたことが嬉しかったです。
大人達のさまざまな愛の形。特にシドがエーリクに会いに来る場面は胸が熱くなりました。


そしてトーマ。トーマはなぜ自分が死ぬことでユーリを生かすことができると考えたのか。それが私には長い間よくわかりませんでした。ですが今は、こんな想いではなかったかと感じています。
きみを苦しめているものは、すべてぼくが代わりに引き受けるよ。だからきみはおそれずに、愛する心、信じる心を取り戻して――と。
そんな自分の心をユーリはきっとわかってくれると信じて。


ただ、トーマが実際に自らの命を差し出すことができたのは、虹色に淡い天使の羽をもつ季節の中にいたからのような気がします。いくら彼がアムールでも、もしユーリと出会ったのがもっと大人になってからだったら、おそらくは別の選択をしていたのではないでしょうか。


大人になった同世代の彼らに逢いたいと、今思います。
虹色に淡い天使の羽を背中に隠して、あのラストシーンの明るい顔のまま大人になった彼らに――。 

 

トーマの心臓 (小学館文庫)

トーマの心臓 (小学館文庫)