亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

*ポー復活で舞い戻ってきたファンがゆっくり綴ります。ネタバレご了承ください

(22)オスカーの涙

「訪問者」は「トーマの心臓」のオスカーがシュロッターベッツ高等中学校(ギムナジウム)に転入して来るまでの物語です。


トーマの心臓」で私達はすでにオスカーの過去を知っています。
実の父はシュロッターベッツのミュラー校長であること。
オスカーの両親グスタフとヘラ、そしてミュラーの3人は大学時代の同窓で、ミュラーとグスタフが美しいヘラを競い合い、グスタフが射止めたこと。
ヘラは子どもを授からないことに悩み、オスカーが生まれたこと。
グスタフがヘラを射殺し、オスカーを連れて1年余り逃亡した末、息子をミュラーに託して南米へ旅立ったこと。
それきり5年間手紙をよこさず、おそらくもう生きてはいないことを――。


だから「訪問者」を読む時、私達はオスカーの健気さに殊更心を打たれるのでしょう。


父が母を撃ち殺すまでは2人がたびたび喧嘩をしても、家の中で時々行き場がなくなっても、オスカーは家族の間はうまくいっていると思っていました。というよりも、そう思いたかったのだと思います。母が死ぬと父の罪を知りながら、かばって警察に偽証までします(この頃から機転のきく子だったのですね)。


父と愛犬と旅に出てからは、父の優しさにふれ、自分の気持ちをわかってもらえることが嬉しくて、ますます慕うようになります。放浪癖のある父が長い間帰って来なくても、じっと待ち続けるのです。
2人と1匹の旅の情景は、まるで映画のように流れていきます。


そんなオスカーが折にふれて思い出すのが、かつて猟について行った時に父が話してくれた神様の話です。


「あるとき……
雪の上に足跡を残して神さまがきた
そして森の動物をたくさん殺している狩人に会った
『おまえの家は?』と神さまは言った
『あそこです』と狩人は答えた
『ではそこへ行こう』
裁きをおこなうために

神さまが家に行くと家の中に みどり児が眠っていた……
それで神さまは裁くのをやめて きた道を帰っていった

ごらん……
丘の雪の上に足跡をさがせるかい? オスカー」


この話は物語の中に何度も出てきて、とても印象的です。
そしてそのたびにオスカーの心の声が聞こえてきて切なくなります。


「(神様が来たら)言ってくれるだろうか
ぼくは この家にいてもいいと……」

「ぼくがパパの子どもでなくても
この家にいていいんだよね…」

「パパ お祈りをさせて
神さまはこないでほしい
パパを苦しめないでください
ママ パパを許してください
おねがいです おねがいです」


家の中の大切な子どもになりたかったオスカー。
けれど旅の終わりに「ヘラと同じような目を…して おれを せめるな……!」と言われた時、父にとって自分は家の中の大切な子どもではなく、裁きに来る神様だったことを悟るのです。


「――パパにとって
雪の上を歩いてくる神さまは
それは ぼくの顔をしていたの?
あなたを裁きに訪れた人は ぼくなの?
あなたには じゃあ
ぼくのなりたかったものが わからなかったんだね
ぼくは……そう なれなかったんだね」

 

オスカーが父に連れられてシュロッターベッツにやってくるラストシーンは、2人の服装も別れの抱擁も何から何まで「トーマの心臓」と同じで、2つの作品がオーバーラップしていることを実感させます。


オスカーはこの時に初めてミュラーに会うのですが、直前まで「ぼくはパパの子だよね」と思っていたのに対面した瞬間に残酷な真実を受け入れざるをえない、その微妙な心理が数コマで見事に表現されていて感嘆してしまいます。
この時のことをオスカーは「トーマの心臓」の中でユーリにこう語っています。「ふん…と ぼくは思ったよ 校長を見てね ふん…こいつか こいつがグスタフおやじに ぼくの母(ヘラ)を殺させ グスタフから ぼくを引きはなすはめになった ぼくのおやじか」。
その気持ちが「訪問者」では無言のうちに伝わってくるのです。


最後に逃げるように走り去る父の後ろ姿に向かって「パパ」ではなく「グスタ――フ!!」と叫ぶオスカー。旅先の凍った海で感じた時のように「グスタフが思い出の中に帰ってしまって ぼくを忘れないように」という思いで名を呼んだのでしょうか。


その後、初対面のユーリに優しい言葉をかけられ、薄暗い建物の中から光に満ちた中庭へと導かれて、オスカーは涙があふれます。それまでほとんど泣かなかったのに、まるで涙で心を浄化させるように。

 

「――ぼくは いつも――
たいせつなものに なりたかった
彼の家の中に住む 許される子どもになりたかった
――ほんとうに
――家の中の子どもに なりたかったのだ――」

 

オスカーにとって家とは、最初のうちは家族が住む家だったことでしょう。けれども旅に出てからは父グスタフの心の中を意味していたのではないでしょうか。
でも、その望みは叶わなかった。わかってもらえなかった。


「訪問者」の許されて愛されたかった子どもから、「トーマの心臓」の許し愛する心をもった15歳の少年へ――。


その転換点はこの時の涙だったという気がしてなりません。
光の中に踏み出したことが、それを象徴しているように思います。
トーマの心臓」の始まりとも呼べる、心に響く美しいラストです。


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私はこの作品を掲載誌(『プチフラワー』1980年 春の号)でも読みましたが、その時はオスカーの視点でしか見ることができませんでした。でも今読むとグスタフやヘラにも感情移入してしまいます。


グスタフは一言で言ってしまうと現実逃避型のダメ男です。オスカーの言葉を借りれば「大学に行って将来を嘱望されて首席で卒業して いい会社に勤めたけど いまはルンペン」。都合の悪いことは見ないふりをしてやり過ごす。そんなダメ男でも、今は自分の弱さや不甲斐なさに押し潰されそうになっている辛さが理解できます。


ヘラもグスタフを愛していたからこそ繋ぎとめるために子どもが欲しかったのだろうし、「ミュラーとはそれきり会ってないわ どうせ信じやしないでしょう」という言葉に嘘はなかった気がします。夫婦の結末はグスタフが思うように「何もかも少しだけずれた歯車のせい」だったのかもしれません。


最近再読して気づいたのですが、オスカーがシュロッターベッツに来た時に身に着けていた長いマフラー(「訪問者」の扉絵にも描かれています)は、もともとはグスタフが旅の道中に巻いていたものでした。それがラストシーンでさりげなくオスカーの肩にかけられているのです。あのマフラーはオスカーにとって父の思い出と優しさが詰まった大切なものだったのですね。

 

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「訪問者」扉絵
(画像は小学館『flowers』2016年7月号別冊付録「訪問者・湖畔にて」表紙)


それからこれは教えて頂いたことですが、1ページ1コマ目の楽譜はブラームスの曲だそうです。それを知ると後のオスカーの「これブラームスだよ!」という一言が、どれほどの意味を持っていたかわかる仕掛けというわけです。


こんなふうに読み手の年齢によって違う感じ方ができるところや、読み直した時に伏線に気づいて作品をより深く味わえるところが萩尾漫画の醍醐味なのだなあと改めて思いました。


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それにしても「トーマの心臓」のオスカーは本当にカッコいいですよね!
まさに男にも女にも惚れられるタイプ。辛い体験を乗り越えたことが彼を大人っぽく魅力的にしたのでしょうね。相手が自分の想いに気づいてくれるまで黙って待ち続ける辛抱強さは、旅の間に培われたのだろうなと思います。


「湖畔にて」では少したくましくなっていたし、あれからさぞ、いい男に成長したことでしょう。
旅行好きなのでグスタフと同じ写真家になって世界を飛び回っているのではないかと、私は勝手に想像しています。今頃は南米で写真を撮っているかもしれない、なーんてね。

 

 

訪問者 (小学館文庫)

訪問者 (小学館文庫)