亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(109)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケート結果と継続のお知らせと萩尾先生のニュース

こんにちは。
記事のタイトルが長くてどうもすみません。


先月の記事(108)で「『ポーの一族』は今後どうなると思いますか? または、どのようなラストを迎えると思いますか?」というアンケートの告知を行いました。


募集しても誰も答えてくれないかもなあと思っていたのですが、嬉しいことにお1人書いてくださいまして、意表を突かれて面白かったのでご紹介させて頂きます(元の文章をまとめさせて頂いています)。


その方のご意見はですね、


「何となくエドガーとアランは人間に戻りそうな気がする。
他の一族も血の神の被害者なので、できれば全員人間に戻って大団円で終われば良いな」


えーっ
アランだけじゃなくて皆で人間に戻る!?
いやあ、考えたこともなかったです!


私はエドガーとアランが2人で永遠の旅を続けるというラストを信じて疑わなかったのですよ。
というのも、それが彼らにとって一番の幸せだと思ったからで。
でも人間として共に生きていくのも、違う形の幸せかもしれないですね。


ただ前提として、エドガーは人間に戻りたい、アランは戻りたくないという気持ちのギャップがあるので、そこを埋めないと。


そしてこれは完全に個人的なこだわりなのですが、2人には絶対に同い年でいてほしいんです。
だからアランが11月30日の誕生日に15歳になる前にエドガーに人間になってもらわねば。


エドガーとアランだけでなく一族全員が人間に戻るというのも面白いですね。
もし人間になったら、この21世紀の世の中でどうやって生きていくのかなあ。
どこかにコミュニティを作ってひっそり暮らすとか?


そして、この方がこう考えた理由がですね、


「新シリーズの読者は旧シリーズのファンが多い。
もう若くなく、人生の荒波を経験している世代。
先生はそういう読者を暗い気分にはさせないだろうし、ご自分も辛い話は嫌なのではないか。
だから新しいポーは悲しくなく辛くなく、「明日」へ向かっている。
エドガーは孤独ではなく、実は多くの仲間がいる一族の一員として描かれている」


何と新鮮な着眼点!
人生の折り返し点を過ぎた読者も先生自身も幸せになれる大団円。
それが皆で人間に戻ることなんですね。


新シリーズのエドガーは確かに孤独の影を漂わせていなくて、それが旧シリーズとの大きな違いの1つだなと思います。


旧シリーズのラストで「もう明日へは行かない」と草むらにうつ伏せに横たわっていたエドガー。

 

(『萩尾望都パーフェクトセレクション7 ポーの一族Ⅱ』2007年 小学館より)

 


それが新シリーズ開始のカラー予告では、草むらに仰向けに横たわってこちらを見ていて。

 

小学館『flowers』2016年6月号より)


この予告カットを見た時、私は新旧のシリーズが繋がっているのを感じたんですよ。
ここからエドガーは明日に向かって歩き始めたのかなあ。


というわけで、目からウロコのコメントをお寄せ頂き、どうもありがとうございました!


そしてアンケートですが、「ポーの一族」ファンの方々のお声をもっともっとお聞きしたいと思い、当面延長することにいたしました。


今後連載が再開されて物語が進んでいくうちに「もしかしたらこうなるかも?」「こうなってほしい」など思いついたことがありましたら、ぜひお聞かせくださいませ。


回答フォームは、こちらの記事内にあります ↓

(108)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケートを実施します - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


回答フォームでなくコメント欄に書いて頂いても構いませんので、お気軽にどうぞ。
よろしくお願いいたします ♪


◆◆◆**◆◆◆


最後に、もうご存じの方も多いと思いますが萩尾先生のニュースを。


現在、フランスのアングレーム市立美術館で先生の特別回顧展が開催されていますが、先日先生はアングレーム国際漫画祭における特別栄誉賞を受賞されたそうです!
先生、おめでとうございます !!

 

flowers.shogakukan.co.jp


授賞式には先生も出席され、記者会見、サイン会、講演会が行われたようです。
『flowers』にレポが掲載されるでしょうか?
期待して待ちたいですね。

 

 

(108)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケートを実施します

2024年が明けました。
元日の能登半島地震によって被災された皆様にお見舞い申し上げます。
2日には航空機事故も起きて不穏な年明けとなってしまいましたが、この1年が明るいものとなるよう祈るばかりです。


そんな中ではありますが、当ブログは相変わらず萩尾作品について書いてまいります。


ポーの一族」新シリーズは現在「青のパンドラ」Vol. 9 の第1回まで進んでおり、今年の初夏頃まで休載中。


衝撃的な展開の連続で先が全く読めず、そもそも先生の構想全体のどの辺りなのかも分かりません。
まだまだ話は膨らみながら続くのか、それとももう最終章に入りつつあるのか。


伏線らしきものが沢山ある一方で新キャラもどんどん登場してくるし、いや本当にどうなるんでしょうか?


私はエドガーとアランが2人で永遠の旅を続けるラストを信じているのですが、想像力の乏しさゆえ、そこに至るまでのストーリーを思い描けないんですよね。
「これが関係しそう」と思うものは色々あるんですけど。


そこで萩尾ファンの皆様はどんなストーリーを予想しているのかお聞きしたいと思い、アンケートを実施することにいたしました!
テーマはズバリ


「あなたは『ポーの一族』が今後どうなると思いますか?
または、どのようなラストを迎えると思いますか?」


妄想、願望、大歓迎ですので下記要領でぜひお聞かせください。


SNSとの連携さえしていない、こんな小さなブログのアンケートに答えてくださる方がいらっしゃるのか分からないのですが、もし回答を頂けましたらブログ上で発表したいと思います。


どうぞよろしくお願いいたします! 


◆◆◆ 回答方法 ◆◆◆


この記事の一番下に回答フォームのURLがありますので、そこからご記入ください。
(コメント欄に書いて頂いてもOKです。)


締切は2月4日(日)正午です。 →当面延長します。


ご記入頂くのはメールアドレスと回答のみです。


メールアドレスは公表いたしません。また第三者への提供も絶対にいたしません。


回答スペースに文字数制限はありませんので長文もOKです。ご自由にどうぞ。


回答スペースの下の「回答のコピーを自分宛に送信する」ボタンをオンにして送信すると、ご自分のアドレスに控が届きます。


新シリーズを全部読んでいなくても大丈夫です。想像力でお書きください。


昨年7月に女子美術大学で行われた特別講演の中で、萩尾先生が今後の展開を示唆するようなお話をちょっとだけなさっています。
記事(104)のリンクからレポートを読めますので参考にしたい方はどうぞ。
レポートの終わりの部分です。

(104)漫画家協会チャンネルのインタビューと女子美術大学特別講演 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


新シリーズの年表を確認したい方はこちらをどうぞ。

(102)「ポーの一族」新シリーズ年表 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


◆◆◆**◆◆◆


アンケートフォームはこちらです

   ↓ ↓ ↓

https://forms.gle/CeqsSonesE4J6t3s5

 

 

(107)「青のパンドラ Vol. 9 ヨーク・ロイヤル・ダイヤモンドホテル_01」

激しくネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになってから、ぜひまたいらしてくださいね ♪

 

こんにちは。
1か月のお休みをはさんで「青のパンドラ」Vol. 9 がスタートしました!


タイトルの最後に「01」が付いているところをみると、少しずつ数回に分けて掲載されるようです。
今回は10ページ。


「ポーの村のバラがフォンティーンによって焼き尽くされてしまったため、シルバーが村人達をホテルに連れて来る。
そのホテルに家族と食事に来たライナーは、偶然カミラと再会。
でもカミラは、なぜかよそよそしい。
ロビーの一角ではライナーの娘のワンダがアルゴスに興味を持って近づき、アルゴスはライナーの妻を見て驚く――」


ストーリーはこれだけなんですけど、情報量の多さにびっくり。
思わずページ数を数えてしまいました。


ということで感想を始めましょう。
まずは一族の話から。
ここで扉絵をどうぞ!

 

小学館『flowers』2024年1月号より。以下同)

 

バスでホテルに辿り着いた20人の一族。
(どうでもいいことですが、あのバスはホテルの送迎バスですかね?)
こんな集団がロビーにいたら2度見してしまいそう。


驚いたのは、子どもがいること!

 

 

子どもは仲間に加えないはずなのに、なぜいるの?
親も一族なの?
見たところエドガーやアランより年下っぽい。
何年生きてるの?


まあ、こうして子どもが出てくるということは、先々何かあるんでしょうね。


それにしてもこの面々、個性的で面白すぎます。
ホテルもエレベーターもカードキーも、何ならバスさえ未知との遭遇で、いちいち大騒ぎ。
いやあ、シルバーも苦労しますね。


「ブラム・ストーカー クモの会」という架空のファンクラブを装うとはナイスアイデア
ブラム・ストーカーは小説「吸血鬼ドラキュラ」の作者なんですね。
「吸血鬼ドラキュラ」が発表されたのが1897年なので「19世紀愛好家」という説明も、なるほどと思われそう。


でも「クモの会」にはどういう意味があるのでしょうか?
ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示をお願いしたいです。


◆◆◆◆◆◆


ホテルに来たのはシルバーを入れて20人で、シルバー以外に人間界に慣れているのは「シュタイン先生」と呼ばれている人物だけのようです ↓

 

 

「先生」ということは医師とか弁護士とか?


この20人の他にゴールドを含む15人が、マリアとアイザックの手引きでヘルムスリー城近くの農家の廃屋に落ち着いたようです。
アイザックが「まだ仲間はあちこち隠れてるだろう」と言っているので、逃れてきた村人は全部で40~50人くらいでしょうか。


人間界と行き来がある一族は、シルバー、マリア、アイザック、シュタイン、ケイトリン。
ゴールドも?
エドガーやアーサーのように、ほとんど人間界で暮らしている人もいますね。
あと、村を追放されたクロエやバリー達も。


村に引きこもっていた人と人間界にいる人では、どっちが多いのかな?


15人の女性が落ち着いたヘルムスリーは、ノース・ヨークシャー州のノース・ヨーク・ムーアズ国立公園内にあり、中世の面影を残す町だそうです。
シルバー達のホテルはノース・ヨークシャー州の都市ヨークにあり、ヨークには大老ポーの仕事場もあります。


フォンティーンとバリーがいるのもヨークシャーの灯台
今、一族は主にヨークシャーに散らばっている状態なんですね。


ところで前々から一族の潤沢な財源が謎でしたが、今回ますます不思議になりました。
「ヨーク・ロイヤル・ダイヤモンドホテル」って名前からして高級そうで、20人が長期滞在したら相当な費用がかかりそう。


何か秘密結社があってそこから資金が出ているのかなあと思ってたんですけど、もしかして錬金術ですかね?
新シリーズになって空間移動とか催眠術とか記憶操作とか出てきているから、錬金術くらい軽く使えるんじゃないかと思うんですよ。


この謎もそのうち明かされるかな。


◆◆◆◆◆◆


さてさて、今回はカミラとライナーと、その周辺の人々も登場しました。


Vol. 5 でライナーも言っていたように、カミラという名前はレ・ファニュの小説「吸血鬼カーミラ」から採られているんでしょうね。
ブラム・ストーカーはこの小説に影響を受けて「吸血鬼ドラキュラ」を書いたそうです。


ちょっと話が逸れましたが、カミラはアルゴスに操られている状態なんでしょうか?


ギリシャ出身の祖父が亡くなったので葬式のためロンドンに行っていて、今日はギリシャ人の弁護士の宿泊手続きでホテルに来た」と話していますが…。


多分全部作り話かなと思うんですけど、ギリシャ人の弁護士ってアルゴスのことですかね?
とてもそうは見えませんが(笑)


そしてもっと気になるのはライナーの家族ですよ。


娘のワンダはVol. 5 でカミラに「お人形のようにかわいい ひとり娘ね でも病気 青白い肌に白っぽい髪…」と言われていました。
ぜんそくの発作をたびたび起こすようです。
この言葉からもっと病弱そうな子を想像していたんですけど、意外と元気でしたね。


それよりむしろワンダの母、つまりライナーの妻のダフネーの方が何かありそうな。
だってアルゴスが「こんなとこに……いたのか……」って驚いてるんですから。


でもダフネーはアルゴスに見覚えがない様子。
金髪の儚げで美しい人ですけど、ライナーと結婚していて子どももいるのだから人間ですよね?
その母親らしき女性も、生命力が強そうで人間にしか見えないし。


アルゴスが一方的に知っているだけなのか。
いつどこで会ったのか。
関係が気になります。


◆◆◆◆◆◆


さて、Vol. 9 はタイトルの通りホテルが主な舞台になるのでしょうか。
次回はエドガーとアランにも登場してもらいたいものです。


でも次回作が掲載されるのは来年の初夏頃とのこと。
毎年初冬頃から翌年の初夏頃まで休載ですが、最近は隔月掲載なので「青のパンドラ」が終わるまで長期のお休みはないんじゃないかと勝手に思っていました。


先生の休養期間かもしれませんが、もしかしたらこちらの関係かも。

 

flowers.shogakukan.co.jp

 

2024年1月25日から3月17日までフランスのアングレーム市立美術館で萩尾先生の特別回顧展が開催されるそうです!
先生も現地入りされるかもしれないですね。
そうしたら『flowers』にレポートが載るかも。


休載は残念ですが、首を長くして再開を待つことにしましょう。


◆◆◆◆◆◆


「青のパンドラ」これまでの感想はポーの一族カテゴリー一覧からご覧頂けます。よろしければどうぞ。

ポーの一族 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

 

(106)「小夜の縫うゆかた」「毛糸玉にじゃれないで」~等身大の日本の少女たち

こんにちは。
今月は「青のパンドラ」がお休みなので、久しぶりに萩尾先生のデビュー直後の作品をご紹介したいと思います。


初期作品は圧倒的に外国が舞台の話が多いのですが、今回取り上げるのは日本の少女の内面を描いた2作です。
2人とも私達と同じ日常を生きている、ごく普通の女の子です。


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「小夜(さよ)の縫うゆかた」

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「小夜の縫うゆかた」は『週刊少女コミック』1971年夏の増刊号(小学館)に掲載された16ページの小品です。
萩尾望都作品集』収録の最終ページには「1971年6月」と書かれています。

 

(『萩尾望都作品集2 塔のある家』1995年 小学館より。下も同)


初期作品は扉に言葉が書かれていることがよくありました。
この扉絵では、その言葉が主人公・小夜のモノローグになっています。


「小夜は十四
十四の夏は
ひまわりが
とても高い


しゃくやくの
つぼみ
去年よりおおい


なすの花青い
なすの実青い


赤と白と
だんだらの
白粉花オシロイバナ)が
咲きかおる


やつでのかげに
まだユキノシタの白い花」


ストーリーは――


~~~~~~~~~~~~


中学2年生の夏休み。
小夜は宿題のゆかたを縫い始めます。


ゆかた地は2年前に母が選んでくれた赤トンボの柄。
けれど母は、そのゆかたを縫う前に交通事故で亡くなりました。


生前、母は小夜と兄のために毎年ゆかたを新調してくれたものでした。
遺された残された赤トンボ柄の生地を裁ち、針を運びながら、小夜は母とゆかたにまつわる思い出を辿るのでした――


~~~~~~~~~~~~


これは少女のある1日の、ほんの数時間を描いた作品です。
そんな短い時間の話で、しかもたった16ページなのに、読み終わるとそれ以上の厚みを感じます。
ちなみに「小夜」という名前は先生のお姉様のお名前だそうです。


私がこの作品で特に素晴らしいなと思うのは、構成の巧みさです。
現在と過去を行きつ戻りつしながら時間が経過していくのですが、読者が迷子になることはありません。


その理由の1つは、思い出の中の小夜の年齢が幼い時から少しずつ上がっていって、2年前の母の死の前後で終わっているからでしょう。


もう1つは枠線の違いです。
現実の場面は通常の枠線ですが、過去の場面は基本的に枠線がないか、あっても細い線なので、混同せずスムーズに読み進めることができます。


それでいて現在と過去は互いに溶け合うように境界がおぼろで、自然に行き来できるのです。
個人的に印象深いのは、このページです。

 

 

母と同じ手つきで、ゆかたを縫う小夜。
母の顔がクローズアップされて一瞬現実に戻り、再び思い出に帰って、また戻ってくる。
小夜が感じている懐かしさ、思慕、淋しさ、切なさが、寄せては返す波のように伝わってきます。


画像は載せませんが次のページの事故当日の描写も、母を直接描いてはいないのに状況や兄妹の心情がまざまざと見えて、すごいなあと思います。


これらとは別に、現実の小夜の心の機微が描かれているところも見所です。


小夜が針仕事をしていると、高校生の兄が友人の畑(はた)を連れて講習から帰ってきます。


小夜は密かに畑に好意を寄せていて、話す時も普段は「お母ちゃん」と言うのに畑の前では「お母さん」と言い直したりする。


始めはゆかたの赤トンボ柄を友人に「子どもっぽい」と言われて「そうかなあ」と思ったりしたのが、畑の「かわいいゆかた縫ってんなあ」という言葉で気持ちが動く。


兄と畑。
恋バナを楽しむ仲良しの友人。
思い出の中の母。


大切な人々とのやりとりを経て、ラストページはこんなモノローグで終わります。


「……今年は ええのんよ
お母ちゃん


小夜は十四
針に糸とおして
今年は自分で ゆかた縫うの


家庭科の本も まえにあるし
おとなりのおばちゃんにも聞けるし


おととしの柄
とても小夜に似合うの
あれからずっと
背がのびたのよ………」


萩尾漫画で14歳は特別な年齢。
小夜も子どもと大人の「あわい」の時にいるのでしょう。
それが現在と過去が溶け合う構成とあいまって、作品の奥行きを深めているのだろうと思います。


~~~~~~~~~~~~


この作品を読むと私はいつも温かい気持ちになります。


1つには言葉のためかもしれません。
どこの地方か分からないのですが(先生は中高時代の一時期大阪に住んでいらしたので大阪? 違ったらすみません)、方言なので人情味を感じるんですよね。


そしてこれは年代差があるので人によって感じ方が違うと思いますが、昭和の香りが懐かしいんです。
この作品が描かれた1971年は昭和でいうと46年。
年齢がバレますが当時私は小学生で、作品に出てくる物が実際に身の回りにありました。


例えばダイヤル式の黒電話、夏の飲み物の定番カルピス、私の母が使っていたような買い物かごや針箱…。
私も小学生の頃には母や祖母が縫ってくれたゆかたを着て盆踊りに行ったものでした。


それに扉のモノローグに出てくる白粉花
この花が近所のあちこちに咲いていたので、白粉花と聞くと子ども時代の夏の情景がパーッと思い浮かぶんですよ。


作品中にも描かれていますが、この花です。

 

(フリー画像を使用しています)


何気ない日常が愛おしく思えてくる――これはそんな作品ではないでしょうか。


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「毛糸玉にじゃれないで」

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「毛糸玉にじゃれないで」は『週刊少女コミック』1972年2号に掲載された25ページの作品です。
萩尾望都作品集』の最終ページには「1971年12月」と記されています。

 

(『萩尾望都作品集5 3月ウサギが集団で』1995年 小学館より。下も同)


この扉絵からも分かるようにネコがスパイスになっている作品です。
ストーリーは――


~~~~~~~~~~~~


むつきは高校受験を間近に控え、志望校スレスレで息苦しい毎日を送っていました。


ある日の下校途中、キャベツ畑でまだ目も開いていない子ネコを拾います。
そして受験勉強の邪魔になると言う母の反対を押し切り、「バタ」と名付けて世話をするのでした。


期末テストの最中、むつきはカンニングを疑われますが、星という男子に助けられます。
星は成績優秀なのに下級生とボール遊びをするような受験生らしくない生徒でした。


入試まで2か月となり皆が疲れている頃、学校から帰ったむつきは母がバタを捨てたことを知ります。
探し回ると、バタは星に保護されていました。


それをきっかけに2人は話をします。
星は志望校のランクを下げて、入学後は勉強以外にもやりたいことをいっぱいやるのだと目を輝かせます。


むつきは初めて、自分のやりたいことは何だろうと考えるのでした――


~~~~~~~~~~~~


先生のご著書『一度きりの大泉の話』には、この作品のエピソードが書かれています。


「ちょっと時間を戻して、大泉で飼っていた猫の話をします。
バス停を降り、畑とキャベツ畑の道を10分ほど歩くと住宅地で、そこが長屋、住まいでした。


1971年の秋にキャベツ畑の道で子猫を見つけました。目も開いていません。ピーピーと鳴いています。
拾って帰りました。皆、飼うのを賛成してくれました。「バタ」と名づけました。

(中略)

この猫をモデルに描いたのが『毛糸玉にじゃれないで』25ページの短編です。
高校受験を控えた女子中学生の話です。」(p. 138-139)


これを読むと実際の出来事がかなり忠実に活かされているのが分かります。
先生もスポイトでミルクをあげたり、足をかじられたりしたのかもしれません。
様々なバタのポーズもスケッチを基にされたのでしょう。


続けて『一度きりの大泉の話』には、ご自身が中学3年生の時、どれほど勉強疲れだったかが書かれています。
それをそのまま描いたような、こちらのコマが印象的です。

 

 

「一高のために
たんたんと
感動もなく
覚えこむ知識


法則
方程式
原理
単語
語彙
人名
年代


……こういうものは
あたしの
なんになるんだろう」


ああ、分かります。
こういうこと、誰でも学生時代に一度は考えたことがありますよね。


『一度きりの大泉の話』は次のように続きます。


「疲れた中3時代の話を描きつつ、「やはり日本を舞台にしたものは辛いなあ」と思いました。
家族を描くのが辛いのです。厳しかった両親を思い出してしまうので。
以後は日本を舞台にしたものはシリアスではなく、コメディになりました。」(p. 139-140)


むつきの母は大変な教育ママです。
1970年代の初めは大学に進学する女子はまだ少なかったのですが、娘がランクの高い公立大学に行くことを望んでいます。
むつきは「あたし学者にも弁護士にもならない」と言いますが、おそらくそれが母の希望で、父も同じ考えなのでしょう。


先生のお母様も、それはそれは厳しい教育ママだったそうです。
有名な話ですが、ご両親とも漫画家という職業を低く見ていて「漫画なんてやめなさい」と言い続けておられたとか。


ラストのむつきの決断は、もしかすると逃げとか甘えと受け取られるかもしれません。
けれど自分が選んだ道を両親が受け入れてくれることは、当時の先生の願望だったのではないかなあと思います。


~~~~~~~~~~~~


最後に作品中の面白い手書き文字をご紹介します。

 

 

「吸血鬼の話を描きたい!」


冒頭の1コマ目です。
ポーシリーズの構想が膨らんでいた頃ですね。

 

 

 

「ハギオモトはミメウルワシ女でゴザル」
「ウは宇宙船のウ スはスペースのス キは吸血鬼のキ」


デビュー当初、お名前や作風や画風から先生を男性だと思っていた読者が少なからずいたようです。
そこで右のようなメッセージ(?)を書かれたのかもしれません。
左はSFやポーシリーズを描きたい!というお気持ちの表れですね。


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記事内の作品はこちらで読めます

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「小夜の縫うゆかた」「毛糸玉にじゃれないで」ともに

 

 

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1969-73年作品の過去記事はこちらからご覧いただけます。よろしければどうぞ。

1969-73年作品 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

 

(105)「青のパンドラ Vol. 8 フォンティーンは歌うⅡ」

激しくネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになってから、ぜひまたいらしてくださいね ♪

 

こんにちは。
『flowers』11月号に「青のパンドラ」Vol. 8 が掲載されましたね。


はじめ見た時に「あれ、扉絵がない?」
唐突に始まった感じで不思議に思いましたが、最後まで読んで分かりました。


どうやら11月号は、本来なら9月号で描き切る予定だったのが、こぼれた分のようですね。
9月号20ページ、11月号13ページ、合計33ページで大体1回の分量ですし、タイトルも今回は「Ⅱ」が付いているし。
前回の終わり方が何だか不自然だなあと思っていたのですが、途中だったとしたら納得です。


でも、もしそうなら途中になってしまったのは萩尾先生の体調不良のためでしょうか。
先生、どうぞお身体をお大事に、ご無理なさいませんように!


◆◆◆◆◆◆


さて今号は、アランがテーブルに飛び乗ろうとして見事に落ちた続きからでした。
それというのも137年ぶり(!)に人間に戻ったら急に体が重くなり、その変化に付いていけないため。


前から思ってたんですけど、バンパネラって何も身に着けていなければ体重ゼロなんですよね?
昔はそれでもあまり困らなかったかもしれないけど、今は日常生活に支障が出ますよね。
自動ドアが開かないし、椅子の上げ下げもできないし。


で、息をするふり脈のあるふりをするように、意識して体を重くしてるんですかね?
しかも最近は一歩外に出れば至る所にカメラがあるし、生体認証が必要だったりするしで、一瞬たりとも気を抜けない。


いやあ、「お疲れさまです」とバラの紅茶を淹れてあげたくなります。
家にいながらネットで色々できる世の中になって良かったですねー。


はい、横道にそれました。すみません。


人間なんてイヤだ!と再び一族に加わりたがるアラン。
なぜか賛同しないエドガー。


それが喧嘩に発展していくわけですが、私はエドガーの気持ちを今ひとつ掴めずにいるんですよ。
ちょっとエドガーのセリフだけを抜き出してみますね。


「昨日食べたトースト 美味しかったかい?
人間になったから食べ物にちゃんと味を感じられるだろう
パンもタマゴもチーズも味わえる」


「レストランで食事したら美味しいだろう
アーサーが言っていたエディスのレストランでパスタとか」


「きみは毎日食事しなきゃいけないよ 人間だから
エディスのレストランには ぼくも行ってみたい」


「もしかしたら 
おばあさんになったエディスと会えるかもしれないね?
その娘や孫たちって どんなだろうね?
きみは――
レストランで女の子と知りあって――
恋するかもしれない
その子と結婚するかもしれない――
きみは……そういう未来を考えることができる…」


「アラン…こんな…
こんな2度とないチャンスを……
放り出す気か…!?」


「年を取る……すばらしい…」


「きみは本物の人生を生きられるんだ」


「違う!
ぼくらは影なんだ 幻なんだ
人間であれば本物の……」


「きみこそ なんでわからない
きみは人間だ 一緒にはいられない!」


さて、エドガーの心は?
表情から察するに、私はこれらの言葉はアランを諦めさせるための詭弁ではない気がしています。


だって彼はずっと人間に戻りたかったのですから。
もし叶うなら今でも戻りたい。
リーベルも人間でいた方が幸せだったに違いないと思っている。
だから、せっかく人間に戻れたアランには豊かな人生を全うしてほしい。


そう思うから、アランの未来を想像するコマだけ少し笑っているんじゃないかと思うんです。

 

小学館『flowers』2023年11月号より。下も同)


でもアランはそもそも人間に戻りたいという願望がないので、気持ちが伝わらない。
それでエドガーは「こんな2度とないチャンスを……放り出す気か…!?」と言う時に、怒ったような困惑したような顔をしているのかな、と。
自分なら絶対に人間の方がいいのに。

 

 

とまあ、ここまではいいとしても(間違っているかもしれませんが)、どうして始めから人間のアランとは一緒にいられないと決めつけるのかが、よく分からないんですよね。


Vol. 8 の感想にも書きましたが、エドガーはアランが人間でも本当は一緒に暮らしたいんじゃないかと思うんですよ。
だってアランが炭状態の間、あんなにも切実に求めていたじゃないですか。
エドガーならリデルを慈しんで育てたように、食料ではなく大切な友人として仲良く暮らせると思うんですが…無理なのかな?


ただ、エドガーは大丈夫だとしても他の一族にとっては食料なので、誰かに喰われてしまう危険はあるわけで。
だから一緒にはいられないのか?


それか人間と一緒にいると自分が苦しくなるから?


アランは自分を置いてどんどん大人になっていく。
それを傍で見ているのは辛い。
人間だからこそ味わう悲しみや苦しみさえ羨ましい。
アランの方から離れていくかもしれないし、いつかは老いて土に帰る。
そうなれば自分はまた永遠の孤独をかみしめることになる。


でもそれなら再び仲間にできるよう手を尽くしてもよさそうなのに、現時点でその考えはないように見えます。
皆がアランの処遇について勝手なことを言っていた時も自分の希望は何も言わなかったし。


それはやはり人間のままでいてほしいから?
または中に血の神がいるからとか、他の理由があるのでしょうか。
エドガーの気持ちを知りたいです。


◆◆◆◆◆◆


そうこうしているうちに、フォンティーンが目覚めてポーの村が危機に陥っていると分かり、慌しく村に向かおうとするマリアとアイザック


アランはオリオンに一族にしてくれるよう頼みますが、アイザックに「勝手なまねをするな」と言われます。


で、思ったんですけど、おそらくアランはオリオンもポーの一族だと思ってますよね?
目覚めてから初めて会って、名前しか聞いてないんですから。


だいたいアランはルチオ一族のことを、どの程度知っているのかな。
エドガーやブランカから話を聞いているかもしれないけど、ベルナドットに会ったことはないし、サルバトーレやダンとも直接話したことはないのでは?


ルチオは一族の歴史もまだ語られていないくて、謎が多いですよね。


話を戻して、命令口調のアイザックに食ってかかるアランを押しとどめるエドガー。
下手にアイザックを怒らせたら記憶を消されちゃいますもんね。こわ…。


けど、エドガーとアランは完全に喧嘩別れ。
あ、いや、一方的にアランが。
アラン、ヤケクソになってバリーやフォンティーンに利用されないといいけどな…。


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一方、バリーは用意していた住みかにフォンティーンを案内。
てっきりローマのカタコンベかと思ったらヨークシャーの灯台でした。
ヨークシャーということはポーの村からそれほど遠くないのかな。


灯台には音楽の好きなフォンティーンのために馬頭琴リュートが。
リュートを奏で、母が歌っていた子守唄を歌うフォンティーン。
ここでようやくタイトルと扉絵に繋がるわけですね!

 

(同9月号より)


不敵に微笑み、フォンティーンは言います。


「……ゆっくり考えよう
…バリー
世界への復讐を……」


大老ポーへの復讐ではなくて世界への復讐…。


世界とは一族のこと?
もっと広くヴァンピール界全体のこと?
もっともっと広い世界?


クロエが言ってましたよね、世界の終わりが来ると。
一体何がどうなるのか!?


壮大なドラマが待っていそうで続きがとても楽しみですが、次回は11月末発売の1月号とのこと。
今後は基本的に隔月掲載になっていくのでしょうか。
それはそれで楽しみが長く続くというものですね。
先生、ゆっくりお待ちしております。


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「青のパンドラ」これまでの感想はポーの一族カテゴリー一覧からご覧頂けます。よろしければどうぞ。

ポーの一族 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

 

(104)漫画家協会チャンネルのインタビューと女子美術大学特別講演

こんにちは。
今月は萩尾先生が今年出演されたインタビューと講演会をご紹介したいと思います。


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Ⅰ 漫画家協会チャンネルのインタビュー

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萩尾先生は公益社団法人 漫画家協会の理事を務めておられます。
この春、YouTubeの漫画家協会チャンネルに萩尾先生のインタビュー全4回がアップされました。


司会進行は常務理事の森川ジョージ先生、特別対談ゲストに、きたがわ翔先生。
第1回はファンからの質問に答える形で、2回目以降は萩尾先生ときたがわ先生の対談形式です。


萩尾先生の作品についてはもちろんのこと、初期のエピソードや調べ物の方法、現在の作業環境など興味深い話が盛り沢山。
更に、主に70~80年代の漫画のディープな話が次々に飛び出して、お名前の挙がった先生方の作品をよく知らない私でも、とても面白かったです。


50年位前の話題でも細かいことまでスラスラと出てくる萩尾先生の記憶力にびっくり!
穏やかな口調でユーモアたっぷりに語る萩尾先生、「ただのファン」になっているきたがわ先生、その様子を見て笑っている森川先生。
とても内容が濃くて面白いので、未見の方はぜひご覧頂きたいです。


第1回(15分58秒)

 

第2回(10分40秒)



第3回(13分51秒)

 

第4回(15分35秒)

 

そして何と!
萩尾先生の情報満載のサイト・萩尾望都作品目録様では、このインタビューを全て書き起こしてくださっています!
大変な労力だったことでしょう。
本当にありがたいです。


動画を見る時間のない方や内容だけ知りたい方は、こちらを読まれてはいかがでしょうか。
それぞれの記事内にYouTubeへのリンクもあります。


第1回

漫画家協会チャンネル 萩尾望都先生インタビュー#1 書き起こし | 萩尾望都作品目録インフォメーション

 

第2回

漫画家協会チャンネル 萩尾望都先生インタビュー#2 書き起こし | 萩尾望都作品目録インフォメーション

 

第3回

漫画家協会チャンネル 萩尾望都先生インタビュー#3 書き起こし | 萩尾望都作品目録インフォメーション

 

第4回

漫画家協会チャンネル 萩尾望都先生インタビュー#4 書き起こし | 萩尾望都作品目録インフォメーション

 

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Ⅱ 2023年7月16日女子美術大学特別講演

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萩尾先生は女子美術大学客員教授も務めておられます。
コロナ禍の前は毎年講演会が開かれていて、私も2019年7月の講演を聴きに行きました。


先日、4年ぶりとなる講演会が行われ、大盛況だったそうです。
ありがたいことに、この時の様子も萩尾望都作品目録様がレポートしてくださっています。

 

女子美術大学 オープンキャンパス 萩尾望都先生 特別講演 | 萩尾望都作品目録インフォメーション

 

私も読ませて頂きましたが、今回はまるっと「ポーの一族」の話だったんですね。
「えっ、そうだったの!?」という話がちょこちょこあって楽しいですし、今後の展開を示唆するようなことも書かれていて「ポーの一族」ファンは必見ですよ!
ぜひお読みくださいね ♪


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私が講演会に行った時のレポートです。ご興味がありましたらどうぞ

(54)2019年7月の女子美術大学特別講演に行ってきました - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


5回分の講義を採録した書籍のご紹介です

(71)『萩尾望都 紡ぎつづけるマンガの世界~女子美での講義より~』 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

 

(103)「青のパンドラ Vol. 8 フォンティーンは歌う」

激しくネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになってから、ぜひまたいらしてくださいね ♪

 

こんにちは。
1か月の休載を挟んで「青のパンドラ」Vol. 8 が『flowers』9月号に掲載されました。
今回は20ページと短めですが、内容は濃かったなあと思います。


では早速、扉絵をどうぞ!

 

小学館『flowers』2023年9月号より。2つ下も同)


優雅に楽器を奏でるフォンティーン。
いつも持っている竪琴とは違いますが、古代の楽器でしょうか(ご存じの方、ご教示くださいませ)。
レースのような波は、血の神の壺が引き上げられた海のイメージ?


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物語は、そのフォンティーンを解放するため、バリーがポーの村に現れた続きから。


大老から与えられた炎の剣を振るい、塔の地下で兄の体を縛りつけていた固いバラの根を焼き切っていくバリー。
燃える地上のバラ。
ついに自由の身になるフォンティーン。


フォンティーンは意識がないのかなと思っていましたが、ちゃんとありました。
1000年の間、バラの根を通して風の声を聞き、季節を知っていたのだとか。
ということは、クロエが自分に恋して時々会いに来たことも知っていたのかな。


アレッポの城が燃え、母アドリアが消えた時の記憶も鮮明でした。
大老が温情から自分を殺さなかったことも。


大老が、愛していたアドリアではなく息子の方を生かしたのは、ちょっと不思議です。
本当は2人とも消すつもりだったけど土壇場で気が変わったのでしょうか。
まあ、だからこそ大老も、いまだに引きずっているのでしょうが。


地上のバラが燃え盛る中、フォンティーンは村人達を前にして言います。


「…私の気を吸って咲き続けたバラを
おまえたちは食って安穏と過ごしてきたわけだな」


1000年間バラにエナジーを吸い取られていたのに、なぜフォンティーンの体が少しも衰えないのか謎ですが、それはとりあえず置いといて。


フォンティーンに駆け寄って言うシルバー。


「あなたが村長(むらおさ)となり
この村を治められるのなら従います!」


さすが一族の古参!
シルバーは老ハンナがポーの村を造った頃からの仲間で、フォンティーンの蛮行をさんざん見てきたし、大老が城を燃やしたいきさつも直に知っているんですよね。
だから村を守るためには従うしかないと判断したんでしょう。
でも大多数の村人はフォンティーンの本当の恐ろしさを知らないから、たてついて消されちゃう。


しかし炎の剣で全てのバラを燃やそうとするフォンティーン。


「おまえたちに これ以上
私のバラを与える気はない!」

「こんな村 チリとなって
みんな消えてしまえ!」


ああ、バリーの封印が解かれると聞いた時のクロエの言葉が思い出されます。


「村はまた大混乱になるわよ!
バリーはまたバラを枯らして逃げ出す!
そうね!
大老は村を壊滅させるつもりね!
そうよ 世界の終わりが来るのよ!」


この言葉が現実になるんでしょうか。
バリーとフォンティーンによって。


そしてフォンティーンは、バリーが用意した住みかへ。
その住みかって、例のローマのカタコンベ(地下墓地)…ですよね?
バリーが何百年もかけて人骨と石で造った塔のあるカタコンベ


あの塔のことは、ずっと気になってたんですよ。
フォンティーンを解放するために必要なのかなと思っていたんですけど、帰って来た時に迎えるためだったのか。
そこを拠点に新たな王国を造るつもりなんでしょうか。


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この場面で気になったことと驚いたこと。


①かつてフォンティーンが大やけどを負って死にかけた時、壺から青い霧が出て全身を覆った


フォンティーンは大老によってポーになったようだけど、血の神に新たな命を吹き込まれたということでしょうか。
バリーは「もしかしたら あの大老と同じぐらい強いかも…!」と言っていますが、どうなのか。


城が燃えた時、フォンティーンは大老の力によって体を動かせなかったのだから、やはり大老の方が強いのだろうと思うんですが。
でももしかしたら血の神に何か特別な力を授かったかもしれないですね。


②ポーの村は議会制だった


なんと、村には評議会があったんですね!
そうか、クロエやシルバーが独断で物事を決めるわけじゃなかったんだ。


じゃあ例えば、「今年はどの人間をエサにしようか」とか、エドガーが村と契約を結んでいた期間は「今年は誰がエナジーをもらいに行くか」とか相談してたんですかね。
それにしても出てくるなり一瞬で消されたジェーンって可哀想すぎる…。


③ゴールドの再登場


今号で何が一番驚いたかというと、これですよ!
いや、前回、村人の中にロリータファッションの若い娘がいるなあとは思っていたんですが。


ゴールド。
「春の夢」でシルバーと一緒にエドガーのエナジーをもらいに来て、2コマ描かれただけでその後全く登場せず、「何のためのキャラだったんだろう?」と思っていたら最後の最後にクロエにエナジーを絞り取られてミイラ化。


「この子の存在理由って干からびることだったのか。なんと不憫な…(涙)」と思い切り同情していたら。
まさかの再登場!
しかも前より可愛くなってる!


こちら初登場時(1944年)↓

 

(フラワーコミックススペシャル『ポーの一族 春の夢』2017年 小学館より)


こちら現在(2016年)↓

ね、可愛くなっていますでしょ?
そういえばケイトリンも再登場時にはキレイになってましたっけ。
こうして出てきたからには何か役割があるはずで、どんな活躍をするのかケイトリンともども楽しみです。


ついでと言っては何ですが、こうして見るとシルバーも初登場時は今と違って渋かったですねー。


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さて、アーサーの家では人間になってしまったアランをどうするか会議中。


アーサー→人間界に戻す方がいいのではないか

マリアとアイザック→一族の秘密を知り過ぎているから殺すしかない

オリオン→血の神が行き場を失うから殺してはダメ

アイザック→記憶を消して放り出そう


え、ちょっと待って。
記憶操作?
ニセの記憶を植え付ける?


そんなことが出来るんだ!
いやあ、いろんな能力を持つ人達がいるんだなあ。


それにしても皆勝手なことを言っていますが、アランと一緒に暮らすという選択肢は誰にもないわけですね。
なぜなら人間は「食料」だから。


だけどエドガーの気持ちはどうなんだろう?
前回「無理だ」ときっぱり言っていたけれど、アランと暮らしたいはずだと思うんですが。


で、思い出したのですが、「秘密の花園」Vol. 10 でシルバー、エドガー、アランがリデルの話をしていましたよね。


あ、もしかしたら「リデル・森の中」を未読の方もいらっしゃるかもしれないので補足すると、リデルは人間の小さい女の子です。
エドガーがやむをえずリデルの両親を殺してしまったので見捨てておけず、数年間育てて祖母の元に帰しました。


エドガーは始めからリデルを家に帰すつもりだったんでしょうが、「秘密の花園」でアランはこう言い放ちましたからね。


「あれはエサだもん」

「『赤ずきんちゃん』みたいに太らせて
エドガーが喰うと思ってた」

「でも逃がしちゃうし」


そこに「それを言うなら『ヘンゼルとグレーテル』だろ」とツッコミを入れるエドガー。
この会話が面白くて好きなんですけど、これって要するに特別な情を寄せている相手でない限り、バンパネラにとって人間は等しく「食料」としか見なされないってことですよね。


つまりアランはエドガーとなら一緒に暮らせるかもしれない。
でもエドガーの目の届かないところで誰か他のバンパネラに喰われてしまうかもしれない。
うーん…。


「人間のアランをどうするか」という議論はまだ続きそうですが、個人的にはそれよりも「どうしたらアランをもう一度バンパネラにできるか」を考えてもらいたいです。


だって人間に戻ったその日からアランは年をとり始めているんですよ。
11月30日の誕生日が来たら15歳になっちゃうじゃないですか!
私にとって「ポーの一族」は「永遠の14歳のエドガーとアランの物語」なので、アランがエドガーより年上になったら、もう「ポーの一族」じゃないんですよ――!(←必死)


えーっと、今は何月?
ファルカがアーサーから「エドガーが現れた」と聞いたのが2016年5月(「ユニコーン」Vol. 1)。
ミュンヘンで会ったのは5月? 6月?
それからエドガーはアーサーの家に帰って来て、すぐにベニスへ行き、影の馬車でヨークまで行って帰って…
まだ6月頃?


6月だとしても11月30日まで5か月しかないんですよ。
その間にアランをポーに戻さないと!


ふと思ったんですが、この「青のパンドラ」でアランの誕生日が公表されたのは、もしかしてタイムリミットを設けるためだったんでしょうか?
エドガーの誕生日は萩尾先生がご自身と同じ5月12日と決めておられますが、作品中で言及されたことはありません。


アランは何の情報もなかったのにどうして突然誕生日が出てきたんだろうと、実は前から引っかかっているんです。
マーク・トウェインの誕生日と同じ」ということにばかり気を取られていましたが、むしろ日付の方が重要なのかも。


ちなみにマーク・トウェインハレー彗星が現れた年に生まれて次に再来した年に亡くなったという話から、彗星が何か関係するのかなと思ってちょっと調べてみましたが、2016年に特別なことはなかったようでした。
ただ『ハックルベリー・フィンの冒険』は、のちのち出てくるんじゃないかなという気がしています。


皆が議論する一方で、当のアランはベッドで泣きじゃくっていたり、息を止める練習をしたりと可愛いです。
マリアとアイザックに生意気な口をきくのも可愛い。
でも人間の体にはなかなか慣れないようで苦労していますが、一体どうなるんでしょうか。
早くポーに戻れますように!


「青のパンドラ」は来月は再びお休みで、Vol. 9 は9月末発売の11月号とのこと。
発売を楽しみに待ちたいと思います。
なお10月号は田村由美先生のデビュー40周年記念号で、萩尾先生と田村先生のプレミアムトークが掲載されるそうです。


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「青のパンドラ」Vol. 1~7 の感想はポーの一族カテゴリー一覧からご覧頂けます。よろしければどうぞ。

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~2023. 8. 12 追記~


扉絵の楽器について家族が教えてくれました。
モンゴルの馬頭琴だそうです。
確かに馬の頭の飾りが付いていますね。