亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

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(77)「秘密の花園 Vol. 6」

例によって盛大にネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになってから、ぜひまたいらしてくださいね ♪


始まりましたポーシリーズ「秘密の花園」!
7か月ぶりに連載再開、今回はVol. 6 です。


こちらは掲載誌の表紙。

 

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小学館『flowers』2021年6月号より)


アーサーが描いたランプトンの絵は3枚目が椅子に座って本を読むポーズなので、その制作中の1コマといったところでしょうか。


エドガーはVol. 4 で3枚目の絵のモデルをしていて、その時に読んでいた本は『カンタベリー物語』でしたが、この本は違うようですね。
題字がはっきり見えないのですが「S」と読めるような。
シェイクスピア


嬉しいことに今月号の『flowers』はA5サイズのクリアファイル付き!

 

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絵柄は表と裏でVol. 2 の扉絵です。
Vol. 2 の感想にも書いたのですが、私はこの絵を「いばら姫」や「眠れる森の美女」みたいだなあと思っていまして。


眠りの時季に入ったアランを守るためイバラを切り開いて戦うエドガー。
襲いかかるバラは、ポーの村や人間などアランを脅かす全てのもの。


あるいは1976年以来、炭のような状態で眠り続けているアランを必死に復活させようとするエドガー。
バラはバリー=ダイモンやフォンティーンか。


そして前月号に載った今月号の予告カットがこちら。

 

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小学館『flowers』2021年5月号より)


上のVol. 2 扉絵の中世風コスチュームが、「秘密の花園」の時代である19世紀末のコスチュームに変わったような感じです。


そして今回の扉絵は

 

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小学館『flowers』2021年6月号より。以下同)


おおお! エドガー、なんか神々しい。
これは予告の絵のマントを広げた姿でしょうか。
アランは無事に眠りから覚めたんですね。
今月号はアランが本編に全く登場しないので、この美しい扉絵が嬉しいです。


・*・・*・


では、そろそろ本編の感想に参りましょう。
今回はアーサーとパトリシアの恋愛模様と、招かれざる客の話でした。


1889年の年明けに、パトリシアがロンドンから突然アーサーを訪ねて来ます。
聞けば夫のオリバーに前々から愛人がいたことがわかり、大ゲンカの末に家出してきたとか。
オリバーの顔の引っかき傷は、やっぱり女性が原因だったんですね。


パトリシアは離婚したいと言い、アーサーへの想いをぶつけます。
新たにわかったことが2つ。


①祖父母がパトリシアとアーサーの結婚を申し込みに行ってメリッサに断られたことを、パトリシア本人も知っていた。


②パトリシアはアーサーに「愛している。結婚したい」という手紙を書いたがアーサーの手に渡らなかった。
メリッサが気づいて捨てたんでしょうか?


これを受けてアーサーも「ずっとずっと愛している きみ以外の女性がぼくの心に住んだことはない…」と、ついに告白。
そしてプロポーズ。
幸せの絶頂にいる2人。
ところが、そんな2人をどん底に突き落とす人物が!


その人物とは、パトリシアの兄のパトリックが経営する商社に転職してきたダニー・ダム。
アーサーと同じケンブリッジ大に在籍していたことがあり、アーサーのことをよく知っている様子。
はじめのうちは好意的なことを言っていましたが、いきなり爆弾を落としました。


10年前、ダニーの姉のダイアナはケンブリッジでピアノ教師をしており、アーサーにも教えていた。

ダイアナはアーサーの子を身ごもり、2人は婚約。

しかしダイアナは流産して亡くなった。

ダイアナの家族が恥だと言って来なかったのでアーサーが葬式を出し、ダニーと2人で埋葬した。


この衝撃的な話をアーサーも認めたものだから、パトリシアはショックを受けて去り、絶望したアーサーは前にエドガーがしたように池に飛び込んで叫びます。


「もう人間でいるのはいやだ
ぼくはエルフになる」


これ、重要なセリフですよね?
ポーの一族への第一歩!


犬のフォルテに助けられて命拾いしましたが、そもそもダイアナの一件はアーサーにとって大した出来事ではなかったのではないでしょうか。
そうでなければダニーに再会した時、たとえ相手が10年前に一度会ったきりだとしても、今は髭を生やしていたとしても、誰だか思い出しそうなものです。


エドガーが言うように当時の貴族はそういう場合、お金で解決するのが常だったのでしょう。
アーサーは少なくとも本気ではなかった。
だからパトリシアに言った「きみ以外の女性がぼくの心に住んだことはない」という言葉も、本人的には嘘ではなく本心だったのだろうと思います。


・*・・*・


アーサーをひどい男と見ることもできますが、ダニーの話もちょっと胡散臭いところがありますよね。
ダイアナのことを「美人でやさしくて…彼女も人気者でした」と言っていますが、アーサーの回想の中のダイアナはお世辞にも美人とは言えません。
子どもができたと言って結婚を迫っているし。


ダニーは一見誠実そうで実はアーサーから大金をせしめようという魂胆。
転職先の経営者であるパトリックがアーサーの親戚だと知って、始めからゆすり目的で来たんでしょうね。


ダニーの話で気になるのは、ダイアナの死について「流産して…それで亡くなったんです」と言う一方で「急でした…元気だったのに」とも言っているところ。
何だか変だなあと思っていたら、最後にエドガーがアーサーに「あなたは…ピアノ教師を殺したの…?」。
まさかアーサーが直接手にかけたとは思いませんが、何があったのでしょうか?


・*・・*・


今号で他に気になるのは、まずメリッサの霊。
息子のアーサーを苦しめに来たダニーを転落死させてしまうとは。
ということはエドガーに「ひとつだけ お願い」と囁いたのは、アーサーを守ってほしいとか、そういうことだったのかな。


ふと気づいたのですが、こちらのコマ ↓

 

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背景に光のようなスクリーントーンが貼られていますよね。
このスクリーントーン、このコマだけでなく前後のエドガーとダニーが話している場面にずっと使われているんです。


それからここにも

 

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ここにも

 

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前にブラザー・ガブリエルがお清めをしている場面でも見たような気がするし、もしかしてこの光のようなものはメリッサの霊の存在を表しているのでは?


そう思って単行本の1巻を見てみると、やはり幽霊に関する場面に使われていました。
ただ、Vol. 1では関係なさそうなところにも貼られているのですが…。


メリッサの強すぎる愛がアーサーを救うのか、それとも逆に破滅へと導くのか気になります。
個人的にはエドガーとメリッサが対話するところが見たい。


エドガーは人間達を冷静に観察していますね。
ダニーが金銭目的だと見抜いたのは、さすが。
ダニーが転落した音を聞いても落ち着き払って「なんでもありませんよ」と言っていますが、何が起きたのか知っていたのかな。


そして、ついにマルコが疑念を抱き始めましたね。


「去年から あのランプトンが現れてから 死者が多すぎる」


エドガーとアランが館に来たのが9月1日。
それから1月までに亡くなったのが、パトリシアの祖父、祖母、ブラザー・ガブリエル、ダニーと、これで4人目。
確かに普通じゃない。
この疑念は何かを招くのでしょうか。


最後に、今号で一番楽しかったのはパトリシアの両親が登場したこと。
父・母・兄と3人同じ顔で笑いました。
いやあ、パトリシアが両親に似なくて本当に良かった。
もし似てたらストーリーが変わっていたし、アーサーもポーにならなかったかも?


そんなこんなで不穏な空気をはらみつつ、次号へ続く。
どうなるんでしょうか? 目が離せません!


・*・・*・


秘密の花園」Vol. 1から5 までの気になることをこちらにまとめています。もしよろしければどうぞ

(72)フラワーコミックススペシャル『ポーの一族 秘密の花園1』 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記


各話の感想はお手数ですがカテゴリー一覧からご覧ください

ポーの一族 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

 

(76)ぼくはエドガーにとってメリーベルの みがわりで… エディスはぼくにとって…

今回は久しぶりに「ポーの一族」旧シリーズの話です。


実は私、ずっとわからないことがありまして。


それは「エディス」のラスト近く、アランがエディスを仲間に入れようとして時計の中に隠し、エドガーを呼びに家に戻った場面でのこと。
エドガーは元々アランがエディスを好きになっていくことを快く思っておらず、2人は口論になります。


前置きが長くなってしまうのですが、その部分を引用させて頂きます。
青い文字がエドガー、緑の文字がアランのセリフです。


「エディスに なにかしたのか?」

「…気絶させただけ…仲間に…」

「アラン!!」

「ぼくはエディスが好きだ――
エディスも――」

「きみはエディスなんか好きじゃないんだ!!」

「好きなんだ!」

「うそをつけ!」

エドガー!」

「どこに彼女をおいてきた!」

「だって ぼくが呼んだのに――
ふりむかないんだもの あの子は
だから…だから…」

「だから?
きみ幸福にできるのかエディスを?
ロジャーやヘンリーや学校から引きはなしても
それ以上に?」

 

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(『萩尾望都パーフェクトセレクション7 ポーの一族Ⅱ』2007年 小学館より。以下同)

 


エドガーは更に続けます。


「好きなら好きなほど
愛してれば愛してるほど
きみは後悔するんだ
幸福にしてやれない もどかしさに!」

 

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この言葉を聞いてアランの脳裏にメリーベルの姿が浮かびます。
そしてハッと気づくのです。


「ぼくはエドガーにとって
リーベルの みがわりで…
エディスは ぼくにとって…」

 

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この言葉の続きは何か?
エディスはアランにとって誰の身代わりなのか?


私がずっとわからないのは、これなのです。
いえ、正確に言えば確証が持てずにいるんです。


・・・・・・・・・・・・


この答えをネットなどで何度か見かけたことがあります。
それはすべて「エドガーの身代わり」でした。


「アランはエドガーに自分のことだけを考えていてほしいのに、エドガーの心の中にはメリーベルが棲んでいる。だからエドガーの代わりにエディスの愛を欲しがった」
私が今までに見た答えは大体こういったものでした。


「アランは最後まで『エドガーは自分のことだけを見てくれない。自分はエドガーに愛されていない』と思ったまま炎の中に消えた」と書かれているものも、いくつかありました。


逆に「エドガーの愛を確信したので更にエディスの愛を欲しがった」という解釈もありました。


もし皆様の答えが「エドガーの身代わり」で一致しているなら、そうなのかもしれません。
でも考えれば考えるほど私は違う気がするんですよね。


だったら誰なんだ?というと、


「エディスはアランにとってシャーロッテの身代わり」


ではないでしょうか。


・・・・・・・・・・・・


シャーロッテは「ランプトンは語る」に登場しました。
エディスの10歳上の姉で1966年当時14歳。
オービンがクエントン館で開いた「バンパネラ狩り」の集会に招待されていました。


しかしエドガーの放火によって火災が発生。
シャーロッテはランプトンの絵を持ち出そうとして逃げ遅れ、助けようとしたアランの目の前で亡くなりました。

 

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それから10年後。
「エディス」でエドガーとアランは運命的にエディスと出逢います。
エディスがシャーロッテの妹と知ってアランは激しく動揺しました。


私はアランがこの10年間、シャーロッテを忘れたことはなかっただろうと思います。
きっと思い出すたびに「救えなかった」「殺してしまった」という罪悪感にさいなまれたことでしょう。
エドガーの放火を止められなかった自責の念もあったのではないでしょうか。


アランはエディスに尋ねます。


「…きみ幸せ?」


そして「どうして? 幸せよ」と屈託なく答えるエディスの笑顔を見て安心するのです。
エディスが幸せなふうだと自分も幸せな気持ちになる。
その気持ちを恋だと思う。


けれど、そんなアランの様子をエドガーは冷静に見ていました。


「それは まちがいだよ
きみはシャーロッテを助けられなかった
そのハンデを うめたいだけだよ」

「うそだ! ちがうよ」

「彼女が不幸だと きみも不幸だ
きみは負い目でいっぱいだ
だからね 教えてあげるよ
きみはエディスに借りをかえしたいだけさ」

 

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きみはシャーロッテを助けられず結果的に焼死させ、彼女の幸福を奪ってしまった。
だから妹であるエディスには姉さんの分まで幸せでいてもらいたいんだ。
妹が幸せなら、きみの罪悪感が軽くなるから。
きみは無意識にエディスとシャーロッテを同一視している。
エディスをシャーロッテの身代わりにしているんだよ――


エドガーは、そう言っている訳ですね。
これにはエドガー、アラン、メリーベルの関係も重なります。


エドガーはメリーベルを愛していたがゆえに幸福にしてやれないことがもどかしく、仲間に入れたことをずっと後悔していました。
人間でいる方が幸せだったのに、その幸福を奪ってしまった。
呪われた身にしてしまった。
そんな罪悪感からメリーベルに持てるだけの愛情を注いでいました。


その妹を失った時(やはり助けが間に合わなくて)、エドガーは空っぽになった心を埋めるようにアランを仲間にしました。
アランをメリーベルの身代わりにして、無意識に2人を同一視していたのだと思います。


エドガーは孤独と喪失感を埋めるためにアランをメリーベルの身代わりにした。


アランは罪悪感を埋めるためにエディスをシャーロッテの身代わりにした。


私にはこう思えて仕方ありません。
だからアランのモノローグを最後まで続けると


「ぼくはエドガーにとって
リーベルの みがわりで…
エディスは ぼくにとって
シャーロッテの みがわり…」


ではないかと思うんです。


それに、もしエディスがエドガーの身代わりだとすると、エドガーとはいつも一緒にいるのに、その心を独占できないからと言って人間を代わりに求めるかな?という疑問もあるんですよね。
エディスがアランを好きだとしても常にアランのことばかり見て愛してくれるわけではないと、アラン自身もわかっていたでしょうから。


ただ、アランのエディスに向かう気持ちが100%シャーロッテと重なるものだったかというと、そうでもない気がするんですよ。
もちろん始めに近づいたのはエドガーに似ていたしシャーロッテの妹だったからですが、知り合ううちにエディスの持つ明るさ、素直さ、優しさといった魅力に惹かれた面もあると思います。
自分のために初めてクッキーを焼いてくれたら、そりゃ嬉しいですよね。


ところでエドガーのこの言葉、


「好きなら好きなほど
愛してれば愛してるほど
きみは後悔するんだ
幸福にしてやれない もどかしさに!」


これはエドガーのメリーベルに対する想いのすべてだったような気がします。


エディスが兄達の逮捕で悲しみに沈んでいた時、アランは何も助けになれないことがもどかしく、自分が永遠にそばにいて愛する方がエディスにとって幸せではないかと考えます。
それはエディスのためというより、自分がエディスに恋していた(と思っていた)からでしょう。


けれどメリーベルを愛すれば愛するほど後悔が募ったエドガーは、人間でいる方が幸せだとよくわかっていたんですね。

 

・・・・・・・・・・・・


はじめに書いたように、私はネットなどで「アランは『エドガーが自分のことだけを見てくれない、自分はエドガーに愛されていない』と思ったまま消滅した」という解釈を何度か目にしたことがあります。


これについても私は、本当にそうなのかな?違うんじゃないかな?という気がしています。
まあ、気がするだけで、はっきりとはわからないんですけどね。
あえて理由を挙げるとすれば「そんなふうに見えないから」です。


このブログの最初にエドガーとアランの互いの気持ちについて自分なりの推測を綴ったのですが、そこに書いたことをもう一度書いてみます。


1959年の「小鳥の巣」で、アランは「ぼくのことだけ考えてくれなけりゃいやだ!」と思いのたけをぶつけました。
「エディス」は1976年の話で、間に入るのは1966年の「ランプトンは語る」だけですが、そこに2人の関係性を示す描写はありません。
一緒にしていいのかわかりませんが、新シリーズの「ユニコーンVol. 4 カタコンベ」は1963年の話で、この作品でエドガーは最後にチラッと出てくるだけです。


なので「小鳥の巣」から「エディス」までの間のアランの心の動きはわからないのですが、「エディス」のアランは「小鳥の巣」の時と違ってわがままで甘えた感じがなく、のびのびとして健康的な、ごく普通の少年に見えます。


例えば、それまでアランが1人で楽しそうに行動しているのは「一週間」や「カタコンベ」などでエドガーが一緒にいられない時がほとんどでしたが、「エディス」ではもっと自由に単独行動しています。


また、エドガーとカフェで待ち合わせをしていた時に「エド」と声をかけていますが、「エドガー」でなく「エド」と呼んだのは今のところこの時だけで、2人の関係が少し変化したのかな?と思わせます。


更にエドガーがエディスの存在を知りながらロンドンを発とうとすると、「……じゃ…きみ やいてるんだ!」と言ったりして、心の余裕さえ感じるんですよね。


この頃のアランは自分がメリーベルの身代わりだということに、わだかまりがなくなっていたような気がします。
そしてエドガーが自分を大切に思ってくれていると心から信じられたのではないでしょうか。


・・・・・・・・・・・・


ここに書いたことはすべて私が感じたことに過ぎないので本当のところはわかりません。
間違っているかもしれません。


エディスはアランにとって誰の身代わりだったのか。
旧シリーズの最後の頃、2人は互いにどう思っていたのか。


萩尾先生も当時と今ではお考えが変わっているかもしれませんが、新シリーズの中で答えなりヒントなりを示してくださると嬉しいです。


・・・・・・・・・・・・


新シリーズといえば、4月28日頃発売の『flowers』6月号から「秘密の花園」の連載が再開されます!
しかもA5サイズのクリアファイル付き ♪

 

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小学館『flowers』2021年5月号より)


エドガーの絵を描きながら
子供時代を懐かしむアーサー。
ある日アーサーの友人が訪れ、
過去の秘密が暴かれる――…!?」


新たな登場人物、新たな展開ですね。
連休前の素敵なプレゼント、楽しみです!


・・・・・・・・・・・・


2人の気持ちについて過去に書いた記事です。もしご興味がありましたらどうぞ。
(1)から(5)までは続いています。

 

(1)アランは、わがまま? - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(2)エドガーの気持ち① - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(3)エドガーの気持ち② - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(4)エドガーの気持ち③ - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(5)アランの気持ち - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(18)「春の夢」あれこれ~②ふたりの距離感 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

記事(62)に追記しました

オスカーの系譜にオズワルドを追加しました。
忘れていてどうもすみません。

(62)オスカーの系譜を辿ってみました - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(75)梅田芸術劇場版「ポーの一族」を観てきました~宝塚版との違いを中心に

2018年に宝塚で上演された「ポーの一族」が先ごろ外部で再演されました。


主役のエドガーを演じられたのは、宝塚版でもエドガーを演じて絶賛され、その後退団された明日海りおさん。
公演は3都市を回るスケジュールでした。


1月11日~1月26日 大阪 梅田芸術劇場
2月  3日~2月17日 東京 東京国際フォーラム
2月23日~2月28日 名古屋 御園座


企画・制作は梅田芸術劇場(以下、梅芸)。
主催は大阪と東京が梅芸で、名古屋が御園座中日新聞社です。

 

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(上/プログラム表紙 下/同扉)

 


私は東京で1回観劇し、大阪と名古屋のライブ配信を1回ずつ視聴しました。
この記事では私が観た範囲でわかった宝塚版との違いを、感想を交えながら書いてみたいと思います。
もっと何度もご覧になった方も多いと思いますので、間違いにお気づきになりましたらご指摘頂けますと幸いです。


なお個々の俳優さんの演技につきましては、このブログが萩尾漫画の感想ブログであることと、舞台は生もので日々変わることから言及を控えています。


全体的なこと


男女混成キャスト


宝塚版と今回の梅芸版の一番大きな違いは、何と言っても女性だけだった出演者が男女混成になったことでしょう。
主演の明日海さんと幼いエドガー役の田中なずなさん以外は、男性の役は男優さんが、女性の役は女優さんが演じています。


原作は少女漫画ですから100%ファンタジー
宝塚も女性が演じるので男性役が非現実であるのはもちろん、女性役も男役に合わせた虚構の世界。
原作と同じファンタジーです。


梅芸版は男優さんが演じることによって男性役はリアルな男性に、女性役も現実味のある女性になりました。
また、ダンサーが男性に変わってダンス場面がよりダイナミックになり、歌にも男性の声が入って作品全体に力強さと厚みが出た印象を受けました。


キャストの人数


出演者の数は79人から半分以下の35人に減りました。
宝塚では役を増やすためにマーゴットの妹弟や2人の霊能者を創作していましたが、それらの役はなくなっています。


と言っても、宝塚も全員が舞台上に並ぶのはフィナーレの最後だけですし、梅芸版に人数の少なさは特に感じませんでした。
ただ、クリフォードとジェインの婚約披露パーティーなど華やかな場面は少し寂しかったです。


セットなど


宝塚の専用劇場には銀橋(ぎんきょう)と呼ばれる独特の舞台があります。
これはオーケストラピットと客席の間にある通路で、客席に向かって弧を描くように張り出しているので観客と距離が近く、ここで演じるとインパクトがあります。


今回は銀橋がありませんが、セットに階段が多用されていてとても効果的でした。
この作品は「ミュージカル・ゴシック」と銘打たれているのですが、ゴシック式のセットが重厚で全体的に色も照明も暗めになっていて、宝塚よりゴシック的な雰囲気が色濃く感じられました。


第1章


序章


マルグリットとルイスが、ドン・マーシャルとバイク・ブラウン4世(原作にない人物)に会う場面。
原作ではドンがマルグリットを見て「美人だ!」と喜びます。


宝塚版もそうだったのですが、今回はそれがバイク4世になっていました。
ドンとマルグリットは後に結婚するのでドンのセリフのままの方が良かったな~と思うのですが、どうしてでしょうね?


プロローグ


全体の流れは同じですが、振りが変わり、大老ポーと老ハンナもソロで歌うようになりました。
振りの変更は他の場面でも行われています。


大老ポー役の福井晶一さんと老ハンナ役の涼風真世さんはそれぞれオルコット大佐とブラヴァツキーの2役を演じ、常に一緒に出ておられました。
お2人は歌う場面が多く、迫力満点でした。


スコッティ村近くの森


エドガーとメリーベルが森で老ハンナに拾われる場面。
宝塚版の老ハンナは毅然としながらも優しい印象でしたが、梅芸版はこの後の場面でも不気味さを前面に出していました。
エドガーから見たおばあちゃま」と「人間から見たバンパネラ」という視点の違いなのかな、と思います。


婚約式


シーラを一族に加える儀式の場面。
大老ポーは宝塚では棺の蓋が開いて登場していましたが、今回は階段の上に扉があり、そこからの登場でした。
また、元はセリフだったところが一部歌になり、たっぷり聴かせてくれました。


一族と村人の対決


老ハンナがビルに杭を打ち込まれて消滅し、村人達が館に押し寄せてくる場面。
ここは宝塚版では盆が回って一族と村人達が交差するスペクタクルな見せ場だったのですが、今回は盆が回らず残念でした。


ここでも大老ポーのセリフが歌になっていました。
大老ポーと老ハンナの消え方は梅芸版の方が良かったです。


馬車


エドガーが馬車の中で変化から目覚める場面。
シチュエーションは違いますが、ここに原作の会話が挿入されました!


エドガー「あなたは自分を呪わないの シーラ」

シーラ「なぜ?」

エドガー「…なぜ?」

シーラ「なぜ?」


私は原作のこの場面がとても好きで、宝塚版にないのを残念に思っていたので嬉しいです。

 

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(2007年 小学館萩尾望都パーフェクトセレクション6 ポーの一族Ⅰ』所収「メリーベルと銀のばら」より。以下同)

 


コヴェントガーデン


ロンドンの市場で人々が賑やかに歌い踊る場面。
大道芸人達の芸が大技になりました。
宝塚版のバトンも楽しかったですけどね。


そこへ、ふらふらと現れるエドガー。
ここにも原作のセリフが歌として挿入されました。


「血がほしい…
生命(いのち)の かて…
あの色はどうだ…
ぞくっとする…」

 

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この後、エドガーは「ぼくは狂っている…」と歌い、男性のダンサー達がエドガーの内面を表現します。
ダンサーは衣装が黒衣に変わり仮面をつけ、跳躍力が素晴らしくて、エドガーの葛藤がより強く迫ってきました。


その後のメリーベル


アート男爵家の養女になったメリーベルと、オズワルド、ユーシスとのいきさつが語られる場面。
ここは宝塚では時間の制約から簡単な説明だけで終わってしまっていたのですが、梅芸はフィナーレがない分だけ時間を取れるので膨らませてあり、とても良かったです。


リーベルとオズワルド、メリーベルとユーシス、ユーシスと母の短いダンス。
ユーシスの母がナイフを持ち出し、そのナイフでユーシスは自殺。
原作とは違いますが納得できる流れでした。


そしてメリーベルの歌も新しく作られました。


「もう誰も水車を作ってはくれない
あの遠い夏の日
バラの谷の小川の陰で水車が回る
エドガー どこにいるの
どんな姿だとしても
どこにいても すぐわかる
エドガー どこにいるの
たった1人の きょうだい
生きているなら会いたい」


歌詞は原作のこのあたりから採られたのでしょうね。

 

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ホテル・ブラックプール


1879年、ホテルに霊能者一行、ポーツネル一家、トワイライト一家が次々と登場します。


2幕のクリフォードとジェインの婚約披露パーティーと並ぶ華やかな場面なのですが、どちらも照明が薄暗くセットに色味も少ないので、もう少し明るくてもいいのにな、と思いました。


もっとも、ゴシック小説風の雰囲気を出すための演出なのでしょうけど。


エドガーとアランの出会い


ここは演出が変わっていて、今回の方が良かったです。


宝塚版ではエドガーが下手から、アランが上手から歩いて来て鉢合わせしていましたが、梅芸版ではエドガーが階段の上から、アランが下から歩いて来て中ほどで鉢合わせ。


その後の会話も階段上で続き、アランが少し上の段にいることで相手を見下している感じが出て、とても効果的だったと思います。


セント・ウィンザー


セント・ウィンザーに転校してきたエドガーが、アランのご機嫌取りの少年達と喧嘩になります。


この作品には他にもギムナジウムの生徒やエドガーをからかう村の子どもが登場するのですが、年齢をぼかしているとはいえ大人の男性が少年を演じるのは正直ちょっと厳しいな~と思いました。


頭の中で「少年、少年」とイメージしながら観るのでビジュアルは何とかOKなのですが、声がどうしても大人なんですよね。
配信だとアップになるので喉仏までしっかり見えてしまうし。
と言って実際に少年が演じるとかえって変な気がするし、しょうがないんでしょうね。


クリフォードの診療所


場面の最後にシーラがクリフォードに「先生、改めてお礼に参りますわ」と言って立ち去った後に、アランとクリフォードの説明ゼリフが加わりました。


アラン「ぼくも先生が母の往診でいらっしゃるのをお待ちしていますよ」

クリフォード「ああ、来週の水曜日だ」


1幕ラスト


キャスト総出演で歌い上げる最も高揚感にあふれる場面。
ここでは盆が回りました!


しかもエドガーの記憶の中の人々が、乳母、レダ、村の子ども達、シーラの儀式に集まった一族、バラを差し出すディリー…と走馬灯のように現れては消え、過ぎ去った長い年月を思わせてとても良かったです。


ただ、宝塚では最後にエドガーが銀橋で1人で決めポーズをして終わるのが鮮烈な印象を残したのですが、今回は階段の中央に立っているだけなので、何かポーズがあればもっと良かったかな、という気はしました。
まあ、宝塚版を観ていなければ感じないでしょうけど。


それと、アランファンとしてすごく個人的な感想を言ってもいいですか?


宝塚版には、この大ナンバーの中でアランが片手を上げたまま、その場で1回転する振りがあったんです。
たったそれだけの振りの中にアランの孤独・不安・何かにすがりたい気持ちがギュッと凝縮されているように見えて、私は「ああ、アランだ!」と心が震えたんですが…。
今回はそれがなくて残念でした。


第2章


アランとメリーベルの出会い


エドガーと一緒にいたメリーベルにアランが初めて会う場面で、セリフが追加されました。


アラン「(メリーベルに)ブラックプールにきみほど純粋な子はいないよ。青い瞳が永遠を見ているようだ」

エドガー「ポーツネル家の特徴だよ。似てるだろう?」


宝塚版にこのセリフはありませんでしたが、メリーベル役の華優希さんは青いコンタクトをつけておられました。


で、疑問なのですが…
リーベルの瞳の色って青いんですか?


そもそも原作ではメリーベルの瞳が何色かという話はどこにも出てこないんですよね。


このブログの「ポーの一族」イラスト集にもカラーイラストを多数掲載させて頂いておりますが、瞳の色はほとんどが緑で、青とブラウンがちらほら。
だから私はずっと緑だと思っていたんです。


でも舞台化にあたって小池修一郎さんはエドガーの髪の色を萩尾先生にお聞きしたそうなので、きっとメリーベルの瞳の色についても了承を得ているはず。
萩尾先生がOKなら私もこれからは青もアリだと思うことにします。


セント・ウィンザーの塔


エドガーがアランを襲う場面で、その前の会話にセリフが追加されました。
正確ではないかもしれませんのでニュアンスとしてお読みください。
黒文字は元からあるセリフです。


アラン「もっと彼女のことを知りたい。もっとメリーベルに会いたい

エドガー「兄の許可がいる」


アランとメリーベルの出会いの場面に続いての追加で、アランがメリーベルにプロポーズするのが唐突すぎる印象を与えないようにとの配慮でしょうか。


降霊会


ブラヴァツキーが大老ポーの霊を呼び出した降霊会。


宝塚版にいたメイヤーとイゾルデという霊能者の役がなくなり、代わりにシーラ、ジェイン、カスター先生、ホテルの支配人・アボットが一緒に手をつないでいました。


また、大老ポーの霊を呼び出した後でオルコットがブラヴァツキーに「わしの髭とどっちが長かった?」と聞くのですが、その後にセリフが追加されていました。

 

ブラヴァツキー「あっちの方」

オルコット「あっちか。クソッ」


アランの家


アランの母が心臓発作を起こし、カスター先生とクリフォードが診察に来ている場面。


宝塚ではアランは手ぶらで現れますが、今回は「お母様の好きな白いバラ…」と花束を持ってきて執事に渡していました。
しかも執事に名前が付きました!
私は「バレット」と聞こえたのですが、合っていますかね?


それからマーゴットがアランに言う「キャーハハ! バカね!」という原作のセリフは、なくなりました。


ブラヴァツキーとオルコット


シーラがクリフォードを一族に加えるためホテルを出た後に、ブラヴァツキーとオルコットがホテルをチェックアウトする場面が追加されました。


この後の男爵夫妻が消える場面で福井さんと涼風さんが大老ポーと老ハンナとして再登場するので、ブラヴァツキーとオルコットとしては出られないからでしょうね。


ブラヴァツキーはバイクに「(男爵夫妻を撃つことになる)あの銃は持っている? 肌身離さずにね」と言っていました。


アランの家


アランが母レイチェルと伯父ハロルドの関係を知り、ハロルドを階段から突き落とす場面。


ハロルドとレイチェルが歩きながらベッドに移動する形に変わり、セリフも少し増えました。
ハロルドは抱き合った時にレイチェルから見えないところでは笑っていなくて、打算だとはっきりわかるようになっていました。


そしてアランが白バラの花束を抱えて階段を下りてきて2人に気づき、花を床に叩きつける。
これ、宝塚では本だったのが花に変わりました。
母の好きな白バラを持って来たんですね。優しい子だ。


取り繕うハロルドに向かってアランが「大方この汚い手でお母様をたぶらかしたに違いない!」と言うと、宝塚では伯母のセリフが「アラン!」でしたが、今回は「何ですって!」。
たった一言の変更ですが意味合いが変わって緊迫感が高まり、とても効いていると思いました。


で、ハロルドが階段落ちして、ここからですよ。
レイチェルが「アラン…取り返しのつかない事を…」と言い放って去るのは宝塚版から変わらないのですが、梅芸版ではバラの花束を一度拾ってまた捨てるという容赦のなさ!


私は宝塚版を観た時にレイチェルの冷たさがショックだったんですよね。
それが更に増し増しに…。


1幕で「父親に似てきた 信用できない」と憎々しげに言って(歌って)いるところを見ると、亡くなった夫との仲は冷え切っていたんでしょうか。
原作では「お父さん そっくりになって…」と愛おしそうに言いながらアランの頬をなでる優しいお母さんなのに。


アランを絶望の淵に叩き落とすための演出だとわかってはいるんですけど、「何もそこまで」ってどうしても思っちゃいます。


時の輪


エドガーがアランを仲間に加え、2人で永遠の旅に出る場面。
梅芸版ではスクリーンに、バラ、風、城、舞う花びらなどの絵が映し出されて、とても素敵でした。
あれは萩尾先生の絵なのでしょうか?


・◆・◆


以上、宝塚版と梅芸版の違いについてのレポートでした。
それぞれに良さがありますので、どちらが好きかは観る人次第かなと思います。


名古屋の配信の日は大千秋楽で、カーテンコールで小池さんと萩尾先生も挨拶されました。


萩尾先生はマスク越しにもわかるほど嬉しそう!
先生、舞台をご覧になるたびにエナジーチャージされているのではないでしょうか。
この春に連載の再開が予定されている「秘密の花園」も張り切って描いてくださりそうです。


お2人と出演者の方々の笑顔を見ながら、コロナ禍の中で1公演も落とさずに完走させた関係者の皆様のご尽力に思いを致すとともに、この作品はいつかまた再演されるだろうなと予感しました。


・◆・◆


過去に宝塚版の感想も書いています。もしよろしければご参考までにどうぞ。


原作ファン目線で見た観劇の感想です

(31)宝塚「ポーの一族」東京公演を観てきました~原作ファンの愛のツッコミ - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記


千秋楽ライブビューイングの感想や、ブルーレイ収録時と千秋楽の違いなど

(32)宝塚「ポーの一族」ライブビューイングを観てきました~原作ファンの初ライビュ - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

 

(74)Eテレ「100分 de 萩尾望都」

1月2日にNHK Eテレ「100分 de 名著」のスペシャル版として「100分 de 萩尾望都」が放送されました。
ご覧になった方も多いことでしょう。


萩尾漫画を愛する4人のゲストがそれぞれ作品を選び、その魅力を全員で分析するという企画で、ゲストの考察の後に萩尾先生のコメントもVTRで流れ、とても見応えのある番組でした。


進行役はカズレーザーさんと安部みちこアナウンサー。
ゲストの方々と選ばれた作品は次のとおりです。


小谷真理さん(SF・ファンタジー評論家):「トーマの心臓
ヤマザキマリさん(漫画家):「半神」「イグアナの娘
中条省平さん(フランス文学者):「バルバラ異界
夢枕獏さん(作家):「ポーの一族


この記事では番組中のキーワードを柱にして内容を簡単にご紹介したいと思います。
もし間違いにお気づきになりましたら、ご指摘頂けますと幸いです。


・・・・・・・・・・・・・・

第1章
性別を越境する少女漫画
トーマの心臓

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トーマの心臓」を選ばれた小谷さんは、まずこの作品を「文学そのもの」「難解だが、そのわからなさ自体が魅力的」と評されました。
私も全面的に同意です。


そして4つのポイントから魅力が論じられていきました。


①少年が主人公


「少女に非ず 少女的でない何者か」


小谷さんによれば当時の少女漫画の主人公といえば女の子で、少女読者が自分を投影するものでした。
でも女の子が全く登場しないギムナジウムという世界で少年が主人公だと、読者は日常的に縛られている「女の子らしさ」から解放されて自由を感じられました。
つまり、少女でも少年でもない曖昧な存在として自分を投影できたということです。


ヤマザキさんも共感され、「トーマの心臓」で描かれている少年を「実際とは違う『女性が創った少年』という、ある意味新しいカテゴリの人種」と表現されました。


②14歳の意味


「14歳という美しいファンタジーを生み出した」


これは獏さん(本来なら夢枕さんとお呼びすべきですが、皆さんに倣い親しみを込めてこう呼ばせて頂きます)が力説されました。
「13歳では幼い。15歳では少し色気づいてくる。そんな香りが漂わないのが14歳」とのこと。


萩尾先生も以前、「13歳だと少し子どもっぽく、15歳だともう大人になることを考えなくてはならない。14歳がちょうどいい」という風に話されていました。


③トーマの心の意味


「エロス(性愛)ではなくアガペー(自己犠牲的愛)の話」

「神から人間への愛 自己犠牲的な愛」

「罪人でありながら救世主でもあるトーマ」


萩尾先生が以前おっしゃっていましたが、タイトルの「トーマの心臓」とは「トーマの心」という意味だそうです。


小谷さん曰く


トーマと同じ顔をしたエーリクに「ぼくの翼をあげる」と言われた時、ユーリはトーマの死の意味を知る。
それは「あなたがどんな罪を犯していても、自分が身代わりになります」という心。


トーマの心臓」はキリスト教におけるアガペー――神から人間への自己犠牲的な愛の話。
トーマは死んだも同然のユーリを生かすために自分の命を差し出すという、救世主がなすべきことをした。


けれどキリスト教で自殺は大罪。
ユーリはまた、トーマの中に罪人と救世主が共存していることにも気づく。


ラストでユーリが神学校に進むことについてヤマザキさんが「トーマの自己犠牲を請け負ったという解釈になるのか」とおっしゃり、小谷さんは「トーマの愛に生きると決意したのでは」と返されていました。


④「トーマの心臓」=SF


ギムナジウムはSF的異世界

異世界をつくることで現実を相対化できる」

「ユーリの罪が救われることが現実の女性たちの救いになる」


④はSF・ファンタジー評論家の小谷さんならではの発想で驚いたのですが、この作品のギムナジウムは「生臭さのない美しい少女漫画的なギムナジウム」であり、現実にはない異世界だからSFとして読めるのだそうです。
なるほど!
先ほど①でヤマザキさんが言われた「実際とは違う『女性が創った少年』」とも繋がりますね。


小谷さんは、ユーリのような体験をした女性は現実の話からは目を背けたくなるけれど異世界の話としてなら読むことができて、ユーリが救われることで自分も救われるのではないか、とも話されました。


この後、萩尾先生のコメントが流れました。


①で小谷さんとヤマザキさんが言われたように、先生ご自身も少年だと非常に描きやすく、「少年の自由」に目覚めた。
そして「女の子は女の子らしくしないといけない」と自分で枷をはめていたことに気づいたそうです。


コメントの途中で、この作品を描くきっかけとなったフランス映画「寄宿舎~悲しみの天使」も紹介されました。


またスタジオでは、いわゆる「花の24年組」の功績についても語られました。


・・・・・・・・・・・・・・

第2章
家族という病
「半神」「イグアナの娘

・・・・・・・・・・・・・・


①「半神」


「強烈な『人間の実存』を問いかけてくる作品」

「自分が思っている自分と世間が見ている自分が一心同体になった存在」


ヤマザキさんは「半神」を「カフカのよう。奥行きがどこまでもある作品」と評されました。
自分に問いかけてくるものがある、とも。


そして大人になってから、これは双子の話ではなく、1人の人間の話と考えるようになったそうです。


人間の中には二面性があり、育つに従って世間(他者)から求められていない方を捨て、求められる姿になる。
本来あった自分を捨てていく。


ラストでユージーが鏡の中に亡くなった妹の姿を見て感じるのは一種の喪失感であり、「自分が求めていたのは本当にこれだったのだろうか」という想いではないか。


カズさんが「両親から見れば、美しい妹の肉体の中に姉の精神が宿っている。周囲にとっては姉が死んだことになっている」とコメント。


お2人の考察は私にとって目からウロコでした。


②「イグアナの娘


「何で ありのままの自分を愛してもらえないのか」


この作品では母娘問題とともに、ラストページの意味が特に話題になりました。

 

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(『萩尾望都パーフェクトセレクション9 半神 自選短編作品集』2008年 小学館より。下も同)


最後のモノローグ「どこかに 母の涙が凝(こご)っている」について、「凝っている」とはつまり苦しみが流れていない、浄化されていないのではないかという意見が出ました。


そして最後のコマの下の方に小さく描かれている、こちらの絵。

 

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これは何を表しているのだろう?というところで萩尾先生のVTRになり、お答えが。


小さな生き物はトカゲで、人間になりたかったお母さんの正体のイメージなのだそうです。
苦しみが流されたのはリカだけで、リカは「お母さんは無念のまま死んだだろうな」と思っている。
凝っていたのは「母の無念」とのことでした。


この後、VTRで精神科医斎藤環さんが「母娘問題のかなりの構造は、この作品が描き切っている印象が強い」などとコメントされました。


・・・・・・・・・・・・・・

第3章
夢と現実のパラレルワールド
バルバラ異界

・・・・・・・・・・・・・・


「時夫は夢の中で場所と時間を移動している」

ファシズム的な誘惑」

「生命の統一性の回復は危険」

「言葉を介してでなければ本当の人間にはなれない」


カズさんが「バルバラ異界」を萩尾漫画で「おそらく最も難解な作品」とおっしゃったのですが、私もずいぶん前に読んだ時、よく理解できませんでした。
しかもそれきり一度も読み返していなかったのでストーリーさえ忘れかけていて、この番組のおかげで「そんな話だったのか~!」と初めてわかりました。ありがたい。


この作品を選ばれた中条さんのお話を要約すると


人間の永遠の生命への欲望は、文学的なテーマというより人類の根源的な欲望で、萩尾さんはそれを問題にしている。


夢の中の火星は全ての生命が溶け合って1つになっている原初のユートピアだが、1つになることはカルト宗教的な匂いがして怖い。


個人を捨てて美しく快い全体になれば何も考えなくてよくなってしまう。それはファシズム的な誘惑であり、その危うさは現在のコロナ禍の社会と共通するものがある。


時夫とキリヤは本当の親子ではないが血縁を超えた絆があった。キリヤは死ぬが、その前に2人にコミュニケーションが芽生えた瞬間が一番美しい。


今は遺伝子が全てのように言われるが、萩尾さんは科学万能の決定論に警鐘を鳴らしている。


ラストの「キリヤ 青羽 子どもたち 未来はきみらを愛しているか?」という問いかけには「神のもたらす『運命』と人間の『自由意志』の葛藤」という人類文化史の大問題が埋め込まれている。


途中、萩尾漫画における父親像の話になり、萩尾先生が「残酷な神が支配する」のグレッグについて語られました。


残酷な神が支配する」を描く前は親や大人や社会が怖かったけれど、描きながらグレッグの内面を追いかけていくうちに怖さがなくなっていった。
描くことによって片づけることができて自分でも面白かった、とのことでした。


・・・・・・・・・・・・・・
第4章
人間ならざるものの孤独
ポーの一族
・・・・・・・・・・・・・・


「集団の中で違和感をもった子が どうやって世間と折り合いをつけていくか」

エドガー=究極のマイノリティー

「永遠に時間と空間を旅してゆく宿命」


獏さんにとって「ポーの一族」は、一言でいうと「読んだ人の魂が透きとおる」作品だそうです。


エドガーはバンパネラという異形のものの中でも変わり種の14歳。
つまりは究極のマイノリティー


不老不死でありながら万能ではない。
血を吸わなければ生きられないので人間社会と距離を置けないが、親密になることもできない。


1つの場所に長く留まれず、時間と空間を永遠に旅しなければならない。
こうした設定がすごい。


エドガーがアランを迎えに来るコマが話題に。

 

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(『萩尾望都パーフェクトセレクション6 ポーの一族Ⅰ』2007年 小学館より)


ヤマザキさんが「このコマには萩尾漫画の絵の特徴が全て入っている」と、スケッチブックに萩尾風の絵を描いて説明してくださいました。
特徴とは


鼻のライン

点描で表現された「気配」
舞う花びら


この他に目の描き方も従来の少女漫画と違うと言って、描いて見せてくださいました。


獏さんが「この場面は宝塚も良いんですよ」と嬉しそうにおっしゃると、宝塚の映像が流れ、エドガー役の明日海りおさんがVTRでコメントされました。


獏さんはこの作品を「永遠と一瞬の物語」と表現されました。
永遠のエドガーと、一瞬のオービンの物語だと。


そしてエドガーの「創るものもなく生みだすものもなく うつるつぎの世代にたくす遺産もなく 長いときをなぜこうして生きているのか」というモノローグの話になり、中条さんが「70年代の生産至上主義(=男性至上主義)に対するアンチテーゼ」と指摘されました。


萩尾先生のコメントは「社会から異端であるとされている人も心をもっている。そういう立場の人としてエドガーを描きました」とのこと。


インタビュアーが最後に「アランは死んでしまいましたが…」と新シリーズに水を向けると、先生は「これから復活させます」ときっぱり宣言されました。


・・・・・・・・・・・・


番組の最後にカズさんが、こう言って締めくくられました。


「今、若い読者が萩尾作品を読んだら『あ、〇〇みたい』と思うものが沢山あると思う。その『〇〇みたい』を生み出しているのだから、やっぱり神様に間違いないと思う」


この番組をきっかけに萩尾作品を手に取る方が増えるといいですね。


見終わって、萩尾漫画の魅力を多面的に伝えてくれたとても面白い番組だったと思います。
ですが100分ではまだ足りないですね。


第4章の「ポーの一族」に入る前にカズさんが「収録が始まって6時間」とおっしゃっていたので、軽く400分以上あったはず。
1章100分として全4回バージョンをぜひ見てみたいものです。

 

 

(73)「ポーの一族 番外編 火曜日はダイエット」

2021年が明けました。
世の中は大変な状況が続いていますが、1日も早く平穏な日常に戻れるよう願っております。


さて、そんな中、『flowers』2月号に「ポーの一族」のショート番外編第2弾「火曜日はダイエット」が掲載されました。
第1弾「月曜日はキライ」のホロ苦いテイストから一転して、今回は可笑しくてちょっとシュールで、いろいろ不思議な世界です。


それでは早速感想を。
普段からネタバレしまくっているこのブログですが、今回は4ページしかない上にストーリーがシンプルなので隠しようがなくなっております。
どうぞご了承ください。


~・~~・~~・~~・~


朝起きたら、なぜかぽっちゃり体型になっていたアラン。
でも何も食べていないと言い張るので、エドガーはアランが前日に散歩したコースを一緒に歩いて原因を突き止めようとします。
その間にもアランの体はどんどん膨らんで、もはや別人。


で、エドガーがアランの左耳あたりを思いっきり叩いたら右の耳からドングリが飛び出してきて、空気がシューッと抜けて元に戻る。


これってどういうことーー!?
片耳が塞がっていたから、反対の耳から入った空気の出口がなくて体が風船みたいに膨らんでたってこと?


と、一瞬マジメに考えたんですが、理屈じゃないんですよね、きっと。


古過ぎる話で恐縮なんですが、例えば昔のアメリカのアニメ「トムとジェリー」(トムがネコでジェリーがネズミ)なんかで、体に空気を入れたら風船みたいにパンパンに膨らんで栓を抜くと勢いよく飛んで行っちゃうとかありましたけど、それと同じ?(←飛ばなかったけど)


決してこれがバンパネラ特有の体質ってわけじゃないと思うんですが…。
でもエドガーは、リスが頭の上を歩いていたと聞いたのと、アランが右耳を触っているのを見て原因を察したんですよね。
どうしてわかったんだろう?


それも不思議だけど、もっと根本的な疑問が。


エドガーがアランに「うまそうな人間に会って食った?」「ネコ食った?」「鳥とか」「馬とか?」「リス食った?」と、しつこく問い詰めていますよね。


バンパネラにとって「食う」とはエナジーをもらうこと。
エナジーを摂り過ぎたら太るの?
あ、絞り取られたら干からびるから逆に太ることもあるのか。


以前書いたことがあるのですが、私は旧シリーズを読んでいた頃、バンパネラは人間の血とバラ以外は何も欲しくないのだろうと思っていたんです。
だから「春の夢」でアランがハチミツ好きでビスケットに付けて食べると知って衝撃だったんですよ。


それでバンパネラにも好きな食べ物や飲み物があって、生命維持に必要というわけではなくても食べたり飲んだりするんだなと認識を改めました。


今回、アランが朝起きてすぐにハチミツをなめているので本当に好きなんだな~(おめざ?)と思ったんですが、ハチミツの瓶のそばにお菓子らしき物もあるんですよね。

 

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小学館『flowers』2021年2月号より)


ガラスポットに入っているのはガム?
その横の箱はビスケット?
アラン、お菓子も好きだったのか。
エドガーも食べるのかな。


ここでまた疑問なんですけど、こういうお菓子とか人間と一緒に食事した時とか、食べた物は体の中でどうなるの?
食べ過ぎたらやっぱり太るんですかね?


~・~~・~~・~~・~


今回、私はエドガーのツッコミ具合がツボでした。
特に最後の「やめんかっ」が最高ですね!
魔夜峰央先生の「パタリロ!」を思い出しましたよ。


パタリロ!」と言えば『花とゆめCOMICS SPECIAL パタリロ!99.9 トリビュート・ファンブック』(2018年 白泉社)に萩尾先生が2ページ寄稿されているのですが、その中でエドガーとアランがクックロビン音頭を踊っているんですよね。
これを見た時は笑劇がジワジワきたんですが、この「火曜日はダイエット」も、その路線だなあと思いました。


それと「11人いる!」の番外編「スペース ストリート」に近い感じもしますね。
あちらも大体4ページでしたし。


ショート番外編はぜひこれからも「水曜日」「木曜日」とシリーズ化して、2人の日常を見せて頂きたいです!
(漫才やってる彼らも好きです。)


~・~~・~~・~~・~


『flowers』2月号には萩尾先生に関するお知らせが色々出ていました。


電子書籍「漫画界のレジェンド 萩尾望都フェア」

1月15日(金)までebook japanなど各電子書店で開催中。無料試し読みできるページを増量


②「デビュー50周年 萩尾望都 ポーの一族展」

鹿児島会場 1月17日(日)まで開催中

福岡会場  4月17日(土)~6月13日(日)

公式サイトはこちら

開催概要:デビュー50周年記念 萩尾望都 ポーの一族展 公式サイト:朝日新聞デジタル


③舞台「ポーの一族

梅田芸術劇場 1月11日(月)~1月26日(火)

東京国際フォーラム 2月3日(水)~2月17日(水)

名古屋 御園座 2月23日(火)~2月28日(日)

公式サイトはこちら

ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』|梅田芸術劇場

ライブ配信情報もあります。梅田芸術劇場からの配信は1月16日(土)と23日(土)です)

 

~・~~・~~・~~・~

 


アランがハチミツ好きと知って仰天した話を書いています。もしよろしければどうぞ

(10)バンパネラの好きなもの - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記


「月曜日はキライ」はこちらで読めます 

 
「スペース ストリート」はこちらで読めます

11人いる! (小学館文庫)

11人いる! (小学館文庫)

 

 
クックロビン音頭を踊るエドガーとアランが載っているのはこちら

パタリロ! 99.9 [トリビュート・ファンブック] (花とゆめCOMICS)
 

 

 

(72)フラワーコミックススペシャル『ポーの一族 秘密の花園1』

先月、フラワーコミックススペシャル『ポーの一族 秘密の花園1』が刊行されました。

 

ポーの一族 秘密の花園(1) (フラワーコミックススペシャル)

 

『flowers』に連載されたVol. 1 から5までが収録されています。
扉絵も載っていて嬉しいなあと眺めていたら、あれ?Vol. 4がなんか違う…。
そこで掲載誌の扉絵をもう一度見てみると

 

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小学館『flowers』2020年10月号より)


これがコミックスでは

 

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おお! 白いクジャクの周りが華やかになっている!
これは光でしょうか。
そして回廊の向こう側にスクリーントーンも足されています。
「天国の庭」の幻想的な雰囲気が増しましたね。


他にも絵が変わっているところがあるのかなと探してみると、変わったというか描き加えられたコマがVol. 1 にありました。


こうだったのが

 

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(同2019年7月号より)


このように。

 

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あとはVol. 5で背景にスクリーントーンが貼られたコマもありました。


文字では名前の訂正が2つありました。


1つはエドガー達の後見人の名前です。
Vol. 1 では「ウィンクル」、Vol. 2で「ウインクル」だったのが「ウィンクル」に統一されました。


もう1つはVol. 3で、なぜか「クロード夫人」となっていたところが「グレース夫人」(アーサーの曾祖母)に訂正されています。


セリフではVol. 3でアーサーの「何かの采配だったのだろうか?」が「何かの配剤だったのだろうか?」に変わりました。


実は私、密かに注目していたセリフがあったんですよ。
それがVol. 1 のこちら。

 

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エドガーが「私」と言っていますよね。
ユニコーン」でもエドガーが1度「私」と言ったことがあって、旧シリーズも含めて初めてなので新鮮だったのですが、コミックスでは別の言葉に変更されました。
だからこのコマの「私」も、もしかしたら変わるのかなと思っていたのですが、今回はそのままです。


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改めてVol. 1 から5までを通して読んで私が強く印象に残ったのは、バンパネラとしてまだ一人前になりきれていないエドガーの不安定な心でした。


一族に加わって以来125年を共に過ごし守ってくれていた男爵夫妻とメリーベルが消滅してから、まだ9年。
今になってわかる男爵夫妻のありがたみ。
決して消えることのないメリーベルを失った悲しみ。


シルバーに必死に抵抗するエドガーを見ていると「ペニー・レイン」での不安や心細さに押し潰されそうだった姿が思い出されて、この「秘密の花園」は時系列では「ペニー・レイン」「リデル・森の中」の次に位置する作品なのだと改めて気づかされました。


9年たってもエドガーには自分自身や一族について知らないことが色々あるのに、頼れる者がいない。
それでもアランを仲間にした以上、自分がアランを守らなくては。
そのためには人間の助けも借りよう。
人間と長く一緒にいるのは危険だと、わかってはいるけれど――。


男爵達といた頃、エドガーはずっと人間に戻りたくて孤独でした。
最愛のメリーベルに対しては、人間でいた方が幸せだったのに自分が仲間に加えてしまったという罪の意識が大きかった。


アランと2人になってからは孤独ではなくなったけれど、人間に戻りたいという気持ちを知らず知らずのうちに閉じ込めていたのではないかと思います。


でもクエントン館で過ごすうちにエドガーはアーサーに惹かれていきます。
それはエドガー自身のせいとはいえ大切な人を失った悲しみに共感しただけでなく、アーサーがとても寂しい人に思えて、どこか懐かしさを覚えたからかもしれません。


けれど人間に惹かれれば、人間に戻りたかった気持ちを思い出してしまうことになるでしょう。


眠っているアランに「アラン…やっぱり人間のところに長くいるのは よくない… どんどん人間に……ひかれてしまう…」と語りかけるエドガー。
その顔は揺れる心を映して切なそうに見えました。

 

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秘密の花園」の連載が再開されるのは来年の春。
ここまでで気になる点が沢山あるので、備忘録を兼ねてまとめてみました。


①ブラザー・ガブリエルの謎

本当に普通の人間なのか。

なぜフィレンツェで死んだと思われていたのか。

なぜ15年ぶりに館を訪れたのか。

エドガーとメリッサの話をしていた時に言い淀んだことは何か。

館に出る幽霊がメリッサの霊と知っていたのか。

エドガーがブラザーのエナジーを奪った時、記憶が入り込んだのはなぜか。


②メリッサの謎

最後にブラザーと会話してから亡くなるまでに何があったのか。同じ服を着ている意味は? 本当に自殺か。

エドガーに囁いた「ひとつだけ お願い」とは何か。


③眠り病の謎

アランの眠り病は、ポーの村の住人のそれと同じなのか(アランは気のヒフが薄いため?)

眠っている間の意識はどうなのか。

眠っている間のエナジーはどうなのか。目覚める時は、どういう状態か。

ルチオの眠れない病と関連があるのか。


④その他

エドガーの催眠術は今後どんな役割を果たすのか。他にも特別な能力があるのか。

エドガー達の後見人ウィンクル氏とは何者か。

ロンドンにいる主治医とは何者か。そもそも実在するのか。

犬のフォルテがアランの眠っている小屋までついて来たのは何かの伏線か。

パトリシアがランプトンの絵を「思い出の絵」と言うのはなぜか。

切り裂きジャックは物語にどう絡んでくるのか。


ざっと書き出しただけでも、こんなにありました。
秘密の花園」は長編になるのかな。
早く続きが読みた~い!


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この『ポーの一族 秘密の花園1』には「ポーの一族」のショート番外編「月曜日はキライ」(4ページ)と、「大英博物館 マンガ展 探訪記」(3ページ)も収録されています。


「月曜日はキライ」は、やっぱりアランが「秘密の花園」で眠りっぱなしなのでファンサービスで描いてくださったのでしょうか。
大英博物館 マンガ展 探訪記」は2019年に大英博物館で開催されたマンガ展のレポートです。


そして番外編と言えば、12月28日(月)頃に発売予定の『flowers』2月号にも「火曜日はダイエット」という番外編が掲載されるそうですよ ♪
わーい嬉しい! 楽しみ!
誰がダイエットするんだろう?
何かと慌しい年末ですが、忘れないようにしなきゃですね。


そうそう、コミックスの発売日に合わせて今回もCMが流れましたね。
皆様、ご覧になりましたでしょうか。
前回の『ユニコーン』のCMのナレーションが宝塚版シーラ役の仙名彩世さんだったので、今回は明日海りおさんかもと期待していたら、やっぱりそうでした。
エドガーの声にいざなわれる「秘密の花園」、素敵でした~♪


小学館様、ありがとうございました!
次回も期待しております。
できれば可憐で儚げながらも芯の強いメリーベルそのものだった、華優希さんにお願いして頂けると嬉しいです ♪