亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(18)「春の夢」あれこれ~②ふたりの距離感

 前のページで新作と旧作の世界が繋がっていると確信できたと書きましたが、私がそう思えたのはエドガーとアランの関係が昔と変わっていなかったからです。
さらに嬉しいことに、「春の夢」では2人の互いへの心情が細やかに描かれていました。
作品の中で私が特に印象に残ったセリフは、どれもそんな2人の心を映したものでした。


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最終話でエドガーがファルカに言います。


「時々思うよ 
ぼくは生きてるんだろうか?
…存在してるんだろうか?
…幻…幽霊のような気が…する
そんなとき妹…が 
リーベルがそばにいると
ぼくは存在してるんだと 
ほっとしていたんだ
アランもそうだ
アランの感情はぼくよりずっと人間に近い
アランがいないと
ぼくは幽霊になってしまう」

 

これを読んだ時、私はエドガーはこんなふうにアランを見ていたのかとハッとしました。
そして、ああそうだったのかと思いました。
もちろんエドガーがアランを大切に思っていることは以前からわかっていました。
それは孤独を知る者同士だから。
リーベルの思い出を共有しているから。
自分が仲間に引き入れたから。
永い旅を共にするパートナーだから。
でもそれだけではない何か決定的な理由が他にあるという気がしながらも、それが何なのかわからないもどかしさを、ずっと抱えていたのです。
けれどエドガーのこの言葉を読んだ時、これが答えなのだと腑に落ちて、いろいろなことが理解できたような気がしたのでした。


エドガーも変化したばかりの頃は人間らしい感情を持っていました。
けれども、いつしかそれを失ってしまった。あれほど人間に戻りたいと望んでいたのに。
でも自分がなくした人間らしい感情をアランはずっと持ち続けている。
エドガーにとって、そんなアランは羨ましくもあり愛おしくもあるでしょう。
いつまでも変わらずに、そばにいてほしいと願うでしょう。


エドガーはアランから秘密主義者と言われるほど、一族の事情についてアランに口を閉ざしています。
クロエとの契約や村の話はもちろんのこと、お金を調達したり移動先を決めたりする方法(このあたりは読者にもまだ謎ですが)なども話していないようです。
それは心配をかけたくないという気持ちもあるでしょうが、もしかすると知ることによってアランもまた完全なバンパネラになっていくことを恐れているからではないでしょうか。
アランの人間らしい感情にふれて自分も生きていると思い、アランを守ることで存在意義を感じているのに、アランまで幻か幽霊のようになってしまえばエドガーは自分の存在さえ感じられなくなるのですから。
エドガーはメリーベルにもそういう話をあまり聞かせないようでしたが、それも同じ理由からだったのかもしれません。


ブランカを死なせたくない一心で――おそらくは後先を考える余裕もなく――仲間に加えるよう必死にファルカに頼むエドガーですが、アランが「ファルカと行く」と言い出すと迷わず「絶対ダメだ!」と言い放ちます。
そして先ほどの言葉へと続くわけで、アランの“別離宣言”を受けて真情を吐露した格好です。
アランを失いたくないという気持ちがどれほど強いものかがここでわかり、すると「エディス」でアランが消えてしまった時のエドガーの絶望感と虚無感がよりリアルに迫ってきて、胸が苦しくなってしまいました。


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一方のアランは、エドガーがいなければ人間界で1人では生きていけません。
だからこそ、いつかエドガーが自分より気に入った子(男でも女でも)を仲間にして、自分は見捨てられてしまうのではないかという不安を常に抱いていたと思うのです。
この作品の1944年の時点では、自分はメリーベルの身代わりだという意識がまだ強くて、エドガーが自分のことを考えてくれているという安心感を絶えず求めていたと思いますし。


眠りの時季に動けなくて「眠りたくない ぼくが眠ってると きみは浮気をするんだ やだ…」と口走ったのも、そんな不安や心細さの表れなのでしょう。
そしてエドガーがブランカを助けるためにファルカを呼ぶのを見た時、頂点に達して言葉が溢れ出たのだと思います。


「…ブランカを手に入れたら
…もうぼくなんか どうでもいいね」


単行本を1冊読み通して私が一番切なくなったのはアランのこの言葉と2コマ前からの表情で、単純なわがままではない痛切な思いがひしひしと伝わってきました。
その後エドガーがなりふり構わずファルカに頼む姿を目の当たりにして、「ファルカ! ぼく あんたと行くよ!」と言う場面は、まさに “意を決した” 感じで辛かったです。
エドガーが引き留めてくれて本当によかった…。


エドガーの沢山の秘密。
それをアランが深追いしないのは、どんなに聞いても絶対に教えてくれないエドガーの性格をよく知っているからでしょう。
心配をかけたくないというエドガーの気持ちも、自分は知らない方がいいのだろうということもわかる。
それでも度を越すと、何か悪いことをしているのではないかと心配になったり、トラブルに巻き込まれているのに何もできない自分を歯がゆく思ったりしてしまう。
バラの谷間で消耗しきったエドガーに寄り添って「ぼく もっと きみの役に立てたらいいのに…」とつぶやくコマは、アランの気持ちがいじらしく、バラに囲まれた2人の絵が美しくて(本を逆さまにするとアランの表情が微妙に違って見えます)、作品中一番の私のお気に入りです。


アランの印象的なセリフは他にもあります。


「きみは壊れた時計が好きなんだ
だから ちょっと壊れた人間のそばにいたがるんだ」


これは真実を言い当てているなと思いました。
私は真っ先にエルゼリを思い浮かべましたが、ロビンも、そして人間時代のアランも「ちょっと壊れた人間」だったのですね。
もう1つ。


エドガーってさ ウソつくときは目をつぶるんだ」


これは長年のパートナーならではの言葉ですね。
だけど口に出さず胸にしまうところがアランなのですね。


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過去作から変わらない2人の関係。
それは互いに相手を大切に思いながらも必要以上に踏み込まない、つかず離れずの適度な距離感をもった関係です。
余計なことを一切言わず「黙ってぼくについて来れば万事OK」的なエドガーと、何も知らされないことを寂しく思いながらもそれを受け入れているアラン。
2話の冒頭にエドガーが「覚えてる?」とパリ万博でファルカに出会った時のことを話す場面がありましたが、「あの時のこと覚えてる?」「あの人、どうしてるかな」などという会話を時折交わしながら、2人は静かに同じ時を過ごしているのだろうなと思いました。


2人のこういう絶妙な距離感が私は大好きですし、次の作品でも内面をじっくり描いて頂きたいなと願っています。


(初投稿日:2017. 8. 4)