亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

*盛大にネタバレしております。記事を探すにはトップのカテゴリー一覧からどうぞ 

(74)Eテレ「100分 de 萩尾望都」

1月2日にNHK Eテレ「100分 de 名著」のスペシャル版として「100分 de 萩尾望都」が放送されました。
ご覧になった方も多いことでしょう。


萩尾漫画を愛する4人のゲストがそれぞれ作品を選び、その魅力を全員で分析するという企画で、ゲストの考察の後に萩尾先生のコメントもVTRで流れ、とても見応えのある番組でした。


進行役はカズレーザーさんと安部みちこアナウンサー。
ゲストの方々と選ばれた作品は次のとおりです。


小谷真理さん(SF・ファンタジー評論家):「トーマの心臓
ヤマザキマリさん(漫画家):「半神」「イグアナの娘
中条省平さん(フランス文学者):「バルバラ異界
夢枕獏さん(作家):「ポーの一族


この記事では番組中のキーワードを柱にして内容を簡単にご紹介したいと思います。
もし間違いにお気づきになりましたら、ご指摘頂けますと幸いです。


・・・・・・・・・・・・・・

第1章
性別を越境する少女漫画
トーマの心臓

・・・・・・・・・・・・・・


トーマの心臓」を選ばれた小谷さんは、まずこの作品を「文学そのもの」「難解だが、そのわからなさ自体が魅力的」と評されました。
私も全面的に同意です。


そして4つのポイントから魅力が論じられていきました。


①少年が主人公


「少女に非ず 少女的でない何者か」


小谷さんによれば当時の少女漫画の主人公といえば女の子で、少女読者が自分を投影するものでした。
でも女の子が全く登場しないギムナジウムという世界で少年が主人公だと、読者は日常的に縛られている「女の子らしさ」から解放されて自由を感じられました。
つまり、少女でも少年でもない曖昧な存在として自分を投影できたということです。


ヤマザキさんも共感され、「トーマの心臓」で描かれている少年を「実際とは違う『女性が創った少年』という、ある意味新しいカテゴリの人種」と表現されました。


②14歳の意味


「14歳という美しいファンタジーを生み出した」


これは獏さん(本来なら夢枕さんとお呼びすべきですが、皆さんに倣い親しみを込めてこう呼ばせて頂きます)が力説されました。
「13歳では幼い。15歳では少し色気づいてくる。そんな香りが漂わないのが14歳」とのこと。


萩尾先生も以前、「13歳だと少し子どもっぽく、15歳だともう大人になることを考えなくてはならない。14歳がちょうどいい」という風に話されていました。


③トーマの心の意味


「エロス(性愛)ではなくアガペー(自己犠牲的愛)の話」

「神から人間への愛 自己犠牲的な愛」

「罪人でありながら救世主でもあるトーマ」


萩尾先生が以前おっしゃっていましたが、タイトルの「トーマの心臓」とは「トーマの心」という意味だそうです。


小谷さん曰く


トーマと同じ顔をしたエーリクに「ぼくの翼をあげる」と言われた時、ユーリはトーマの死の意味を知る。
それは「あなたがどんな罪を犯していても、自分が身代わりになります」という心。


トーマの心臓」はキリスト教におけるアガペー――神から人間への自己犠牲的な愛の話。
トーマは死んだも同然のユーリを生かすために自分の命を差し出すという、救世主がなすべきことをした。


けれどキリスト教で自殺は大罪。
ユーリはまた、トーマの中に罪人と救世主が共存していることにも気づく。


ラストでユーリが神学校に進むことについてヤマザキさんが「トーマの自己犠牲を請け負ったという解釈になるのか」とおっしゃり、小谷さんは「トーマの愛に生きると決意したのでは」と返されていました。


④「トーマの心臓」=SF


ギムナジウムはSF的異世界

異世界をつくることで現実を相対化できる」

「ユーリの罪が救われることが現実の女性たちの救いになる」


④はSF・ファンタジー評論家の小谷さんならではの発想で驚いたのですが、この作品のギムナジウムは「生臭さのない美しい少女漫画的なギムナジウム」であり、現実にはない異世界だからSFとして読めるのだそうです。
なるほど!
先ほど①でヤマザキさんが言われた「実際とは違う『女性が創った少年』」とも繋がりますね。


小谷さんは、ユーリのような体験をした女性は現実の話からは目を背けたくなるけれど異世界の話としてなら読むことができて、ユーリが救われることで自分も救われるのではないか、とも話されました。


この後、萩尾先生のコメントが流れました。


①で小谷さんとヤマザキさんが言われたように、先生ご自身も少年だと非常に描きやすく、「少年の自由」に目覚めた。
そして「女の子は女の子らしくしないといけない」と自分で枷をはめていたことに気づいたそうです。


コメントの途中で、この作品を描くきっかけとなったフランス映画「寄宿舎~悲しみの天使」も紹介されました。


またスタジオでは、いわゆる「花の24年組」の功績についても語られました。


・・・・・・・・・・・・・・

第2章
家族という病
「半神」「イグアナの娘

・・・・・・・・・・・・・・


①「半神」


「強烈な『人間の実存』を問いかけてくる作品」

「自分が思っている自分と世間が見ている自分が一心同体になった存在」


ヤマザキさんは「半神」を「カフカのよう。奥行きがどこまでもある作品」と評されました。
自分に問いかけてくるものがある、とも。


そして大人になってから、これは双子の話ではなく、1人の人間の話と考えるようになったそうです。


人間の中には二面性があり、育つに従って世間(他者)から求められていない方を捨て、求められる姿になる。
本来あった自分を捨てていく。


ラストでユージーが鏡の中に亡くなった妹の姿を見て感じるのは一種の喪失感であり、「自分が求めていたのは本当にこれだったのだろうか」という想いではないか。


カズさんが「両親から見れば、美しい妹の肉体の中に姉の精神が宿っている。周囲にとっては姉が死んだことになっている」とコメント。


お2人の考察は私にとって目からウロコでした。


②「イグアナの娘


「何で ありのままの自分を愛してもらえないのか」


この作品では母娘問題とともに、ラストページの意味が特に話題になりました。

 

f:id:mimosaflower:20210204122031j:plain

(『萩尾望都パーフェクトセレクション9 半神 自選短編作品集』2008年 小学館より。下も同)


最後のモノローグ「どこかに 母の涙が凝(こご)っている」について、「凝っている」とはつまり苦しみが流れていない、浄化されていないのではないかという意見が出ました。


そして最後のコマの下の方に小さく描かれている、こちらの絵。

 

f:id:mimosaflower:20210204122038j:plain

 

これは何を表しているのだろう?というところで萩尾先生のVTRになり、お答えが。


小さな生き物はトカゲで、人間になりたかったお母さんの正体のイメージなのだそうです。
苦しみが流されたのはリカだけで、リカは「お母さんは無念のまま死んだだろうな」と思っている。
凝っていたのは「母の無念」とのことでした。


この後、VTRで精神科医斎藤環さんが「母娘問題のかなりの構造は、この作品が描き切っている印象が強い」などとコメントされました。


・・・・・・・・・・・・・・

第3章
夢と現実のパラレルワールド
バルバラ異界

・・・・・・・・・・・・・・


「時夫は夢の中で場所と時間を移動している」

ファシズム的な誘惑」

「生命の統一性の回復は危険」

「言葉を介してでなければ本当の人間にはなれない」


カズさんが「バルバラ異界」を萩尾漫画で「おそらく最も難解な作品」とおっしゃったのですが、私もずいぶん前に読んだ時、よく理解できませんでした。
しかもそれきり一度も読み返していなかったのでストーリーさえ忘れかけていて、この番組のおかげで「そんな話だったのか~!」と初めてわかりました。ありがたい。


この作品を選ばれた中条さんのお話を要約すると


人間の永遠の生命への欲望は、文学的なテーマというより人類の根源的な欲望で、萩尾さんはそれを問題にしている。


夢の中の火星は全ての生命が溶け合って1つになっている原初のユートピアだが、1つになることはカルト宗教的な匂いがして怖い。


個人を捨てて美しく快い全体になれば何も考えなくてよくなってしまう。それはファシズム的な誘惑であり、その危うさは現在のコロナ禍の社会と共通するものがある。


時夫とキリヤは本当の親子ではないが血縁を超えた絆があった。キリヤは死ぬが、その前に2人にコミュニケーションが芽生えた瞬間が一番美しい。


今は遺伝子が全てのように言われるが、萩尾さんは科学万能の決定論に警鐘を鳴らしている。


ラストの「キリヤ 青羽 子どもたち 未来はきみらを愛しているか?」という問いかけには「神のもたらす『運命』と人間の『自由意志』の葛藤」という人類文化史の大問題が埋め込まれている。


途中、萩尾漫画における父親像の話になり、萩尾先生が「残酷な神が支配する」のグレッグについて語られました。


残酷な神が支配する」を描く前は親や大人や社会が怖かったけれど、描きながらグレッグの内面を追いかけていくうちに怖さがなくなっていった。
描くことによって片づけることができて自分でも面白かった、とのことでした。


・・・・・・・・・・・・・・
第4章
人間ならざるものの孤独
ポーの一族
・・・・・・・・・・・・・・


「集団の中で違和感をもった子が どうやって世間と折り合いをつけていくか」

エドガー=究極のマイノリティー

「永遠に時間と空間を旅してゆく宿命」


獏さんにとって「ポーの一族」は、一言でいうと「読んだ人の魂が透きとおる」作品だそうです。


エドガーはバンパネラという異形のものの中でも変わり種の14歳。
つまりは究極のマイノリティー


不老不死でありながら万能ではない。
血を吸わなければ生きられないので人間社会と距離を置けないが、親密になることもできない。


1つの場所に長く留まれず、時間と空間を永遠に旅しなければならない。
こうした設定がすごい。


エドガーがアランを迎えに来るコマが話題に。

 

f:id:mimosaflower:20190906194250j:plain

(『萩尾望都パーフェクトセレクション6 ポーの一族Ⅰ』2007年 小学館より)


ヤマザキさんが「このコマには萩尾漫画の絵の特徴が全て入っている」と、スケッチブックに萩尾風の絵を描いて説明してくださいました。
特徴とは


鼻のライン

点描で表現された「気配」
舞う花びら


この他に目の描き方も従来の少女漫画と違うと言って、描いて見せてくださいました。


獏さんが「この場面は宝塚も良いんですよ」と嬉しそうにおっしゃると、宝塚の映像が流れ、エドガー役の明日海りおさんがVTRでコメントされました。


獏さんはこの作品を「永遠と一瞬の物語」と表現されました。
永遠のエドガーと、一瞬のオービンの物語だと。


そしてエドガーの「創るものもなく生みだすものもなく うつるつぎの世代にたくす遺産もなく 長いときをなぜこうして生きているのか」というモノローグの話になり、中条さんが「70年代の生産至上主義(=男性至上主義)に対するアンチテーゼ」と指摘されました。


萩尾先生のコメントは「社会から異端であるとされている人も心をもっている。そういう立場の人としてエドガーを描きました」とのこと。


インタビュアーが最後に「アランは死んでしまいましたが…」と新シリーズに水を向けると、先生は「これから復活させます」ときっぱり宣言されました。


・・・・・・・・・・・・


番組の最後にカズさんが、こう言って締めくくられました。


「今、若い読者が萩尾作品を読んだら『あ、〇〇みたい』と思うものが沢山あると思う。その『〇〇みたい』を生み出しているのだから、やっぱり神様に間違いないと思う」


この番組をきっかけに萩尾作品を手に取る方が増えるといいですね。


見終わって、萩尾漫画の魅力を多面的に伝えてくれたとても面白い番組だったと思います。
ですが100分ではまだ足りないですね。


第4章の「ポーの一族」に入る前にカズさんが「収録が始まって6時間」とおっしゃっていたので、軽く400分以上あったはず。
1章100分として全4回バージョンをぜひ見てみたいものです。