亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(23)萩尾望都SF原画展@佐野美術館に行ってきました

12月15日(金)、静岡県三島市の佐野美術館で開催されていた「萩尾望都SF原画展」に行ってきました。
この原画展は2016年の吉祥寺からスタートして新潟・神戸と巡回し、三島は4か所目です。
私は吉祥寺にも行って原画の美しさに感動したのですが、新潟から大幅にスケールアップしたと聞いてぜひとも観たくなったのでした。


三島駅で友人と合流し、3両編成の可愛い伊豆箱根鉄道に2駅揺られて三島田町駅へ。
すると改札の横の掲示板にポスターが!
歓迎されているみたいで嬉しくて思わず記念写真(友人撮影)。

 

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美術館は駅から歩いてすぐ。
入口を入ると、この原画展のお約束になっている撮影コーナーです。

 

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展示室に行く前に映像コーナーへ。
そこでは神戸で行われた萩尾先生と森見登美彦さんの対談のダイジェスト版VTRが流れていました。
お2人とも穏やかな方で、ほのぼのとした雰囲気の中、SFにまつわる面白いお話をいろいろ聞けました。


さて、いよいよ展示室。
佐野美術館は新潟・神戸の会場と比べると小さいので、展示数が若干少ないそうですが、それでも吉祥寺では見られなかった原画や複製原画が沢山あって感激でした。展示総数は約400点だそうです。


特に寓話のようで大好きな「月蝕」のモノクロ原稿を12枚すべて見られたのが嬉しかったです。
これは1979年の作品で、繊細な線、黒と白のコントラスト、不穏な森の描写など、その美しさに溜息が出そうでした。


左ききのイザン」と「いたずららくがき」も原稿が全ページありましたし、「11人いる!」「スター・レッド」「百億の昼と千億の夜」「マージナル」なども複製ではあるものの20枚以上連続したページの展示なので、眺めるというよりはじっくりと読んでしまいます。


「11人いる!」の貴重なプロットも2枚ありました。
場面ごとの人物の心理状態が細かく設定されていて、不安と安定を交互に配してストーリーを構成し、クライマックスに向かって盛り上げていくなど、創作の一端を垣間見ることができてとても興味深かったです。


私にとって馴染み深いのは70年代の作品ですが、80年代以降のあまり知らない作品も、すべて手描きという原画の美しさと迫力に圧倒されました。
映像コーナーも含めて3時間以上、絵だけでなく萩尾先生の豊かなイマジネーションの世界を堪能し、長年にわたってこれほど多くの素晴らしい作品を生み出してこられたことに改めて敬服しました。
1つだけ残念だったのは大好きな「ユニコーンと少女」のイラストがなかったこと。でも「SFアートワークス」を見て満足することにします。


会場の出入口の近くには萩尾先生へのメッセージノートが置かれていて、手に取ってみると熱いメッセージでいっぱいでした。
幅広い年代の方が書かれていましたが「親子で来ました」というものが結構あり、10代・20代の方も多くて、若い萩尾ファンも大勢いるんだなあと思って嬉しかったです。
そればかりか英語のメッセージもいくつか見られ、先生の人気は世界的なんだと実感。さらに広く読まれてほしいと思いました。


美術館の敷地内には庭園もあります。
12月半ばでも、まだ紅葉が残っていました。

 

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原画展を鑑賞した後、庭園に面したお食事処で一休み。
寒い日だったので私はお汁粉で暖まり、友人はフルーツ山盛りのあんみつを。珍しい柚子蜜でおいしかったそうです。


佐野美術館でのSF原画展は12月23日で終了し、来春、北九州市漫画ミュージアムに場所を移します(なんと木原敏江先生の原画展と同時開催という贅沢さ! 行ける方が羨ましい)。
その後も各地を巡回予定とのことで、ぜひ多くの方に観て頂きたいなと思います。

 

(22)「訪問者」~オスカーの涙

「訪問者」は「トーマの心臓」のオスカーがシュロッターベッツ高等中学校(ギムナジウム)に転入して来るまでの物語です。


トーマの心臓」で私達はすでにオスカーの過去を知っています。
実の父はシュロッターベッツのミュラー校長であること。
オスカーの両親グスタフとヘラ、そしてミュラーの3人は大学時代の同窓で、ミュラーとグスタフが美しいヘラを競い合い、グスタフが射止めたこと。
ヘラは子どもを授からないことに悩み、オスカーが生まれたこと。
グスタフがヘラを射殺し、オスカーを連れて1年余り逃亡した末、息子をミュラーに託して南米へ旅立ったこと。
それきり5年間手紙をよこさず、おそらくもう生きてはいないことを――。


だから「訪問者」を読む時、私達はオスカーの健気さに殊更心を打たれるのでしょう。


父が母を撃ち殺すまでは2人がたびたび喧嘩をしても、家の中で時々行き場がなくなっても、オスカーは家族の間はうまくいっていると思っていました。というよりも、そう思いたかったのだと思います。母が死ぬと父の罪を知りながら、かばって警察に偽証までします(この頃から機転のきく子だったのですね)。


父と愛犬と旅に出てからは、父の優しさにふれ、自分の気持ちをわかってもらえることが嬉しくて、ますます慕うようになります。放浪癖のある父が長い間帰って来なくても、じっと待ち続けるのです。
2人と1匹の旅の情景は、まるで映画のように流れていきます。


そんなオスカーが折にふれて思い出すのが、かつて猟について行った時に父が話してくれた神様の話です。


「あるとき……
雪の上に足跡を残して神さまがきた
そして森の動物をたくさん殺している狩人に会った
『おまえの家は?』と神さまは言った
『あそこです』と狩人は答えた
『ではそこへ行こう』
裁きをおこなうために

神さまが家に行くと家の中に みどり児が眠っていた……
それで神さまは裁くのをやめて きた道を帰っていった

ごらん……
丘の雪の上に足跡をさがせるかい? オスカー」


この話は物語の中に何度も出てきて、とても印象的です。
そしてそのたびにオスカーの心の声が聞こえてきて切なくなります。


「(神様が来たら)言ってくれるだろうか
ぼくは この家にいてもいいと……」

「ぼくがパパの子どもでなくても
この家にいていいんだよね…」

「パパ お祈りをさせて
神さまはこないでほしい
パパを苦しめないでください
ママ パパを許してください
おねがいです おねがいです」


家の中の大切な子どもになりたかったオスカー。
けれど旅の終わりに「ヘラと同じような目を…して おれを せめるな……!」と言われた時、父にとって自分は家の中の大切な子どもではなく、裁きに来る神様だったことを悟るのです。


「――パパにとって
雪の上を歩いてくる神さまは
それは ぼくの顔をしていたの?
あなたを裁きに訪れた人は ぼくなの?
あなたには じゃあ
ぼくのなりたかったものが わからなかったんだね
ぼくは……そう なれなかったんだね」

 

オスカーが父に連れられてシュロッターベッツにやってくるラストシーンは、2人の服装も別れの抱擁も何から何まで「トーマの心臓」と同じで、2つの作品がオーバーラップしていることを実感させます。


オスカーはこの時に初めてミュラーに会うのですが、直前まで「ぼくはパパの子だよね」と思っていたのに対面した瞬間に残酷な真実を受け入れざるをえない、その微妙な心理が数コマで見事に表現されていて感嘆してしまいます。
この時のことをオスカーは「トーマの心臓」の中でユーリにこう語っています。「ふん…と ぼくは思ったよ 校長を見てね ふん…こいつか こいつがグスタフおやじに ぼくの母(ヘラ)を殺させ グスタフから ぼくを引きはなすはめになった ぼくのおやじか」。
その気持ちが「訪問者」では無言のうちに伝わってくるのです。


最後に逃げるように走り去る父の後ろ姿に向かって「パパ」ではなく「グスタ――フ!!」と叫ぶオスカー。旅先の凍った海で感じた時のように「グスタフが思い出の中に帰ってしまって ぼくを忘れないように」という思いで名を呼んだのでしょうか。


その後、初対面のユーリに優しい言葉をかけられ、薄暗い建物の中から光に満ちた中庭へと導かれて、オスカーは涙があふれます。それまでほとんど泣かなかったのに、まるで涙で心を浄化させるように。

 

「――ぼくは いつも――
たいせつなものに なりたかった
彼の家の中に住む 許される子どもになりたかった
――ほんとうに
――家の中の子どもに なりたかったのだ――」

 

オスカーにとって家とは、最初のうちは家族が住む家だったことでしょう。けれども旅に出てからは父グスタフの心の中を意味していたのではないでしょうか。
でも、その望みは叶わなかった。わかってもらえなかった。


「訪問者」の許されて愛されたかった子どもから、「トーマの心臓」の許し愛する心をもった15歳の少年へ――。


その転換点はこの時の涙だったという気がしてなりません。
光の中に踏み出したことが、それを象徴しているように思います。
トーマの心臓」の始まりとも呼べる、心に響く美しいラストです。


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私はこの作品を掲載誌(『プチフラワー』1980年 春の号)でも読みましたが、その時はオスカーの視点でしか見ることができませんでした。でも今読むとグスタフやヘラにも感情移入してしまいます。


グスタフは一言で言ってしまうと現実逃避型のダメ男です。オスカーの言葉を借りれば「大学に行って将来を嘱望されて首席で卒業して いい会社に勤めたけど いまはルンペン」。都合の悪いことは見ないふりをしてやり過ごす。そんなダメ男でも、今は自分の弱さや不甲斐なさに押し潰されそうになっている辛さが理解できます。


ヘラもグスタフを愛していたからこそ繋ぎとめるために子どもが欲しかったのだろうし、「ミュラーとはそれきり会ってないわ どうせ信じやしないでしょう」という言葉に嘘はなかった気がします。夫婦の結末はグスタフが思うように「何もかも少しだけずれた歯車のせい」だったのかもしれません。


最近再読して気づいたのですが、オスカーがシュロッターベッツに来た時に身に着けていた長いマフラー(「訪問者」の扉絵にも描かれています)は、もともとはグスタフが旅の道中に巻いていたものでした。それがラストシーンでさりげなくオスカーの肩にかけられているのです。あのマフラーはオスカーにとって父の思い出と優しさが詰まった大切なものだったのですね。

 

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「訪問者」扉絵
小学館『flowers』2016年7月号別冊付録「訪問者・湖畔にて」表紙)

 

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マフラーをしたグスタフ
(『萩尾望都パーフェクトセレクション2 トーマの心臓Ⅱ』「訪問者」2007年 小学館より)


それからこれは教えて頂いたことですが、1ページ1コマ目の楽譜はブラームスの曲だそうです。それを知ると後のオスカーの「これブラームスだよ!」という一言が、どれほどの意味を持っていたかわかる仕掛けというわけです。


こんなふうに読み手の年齢によって違う感じ方ができるところや、読み直した時に伏線に気づいて作品をより深く味わえるところが萩尾漫画の醍醐味なのだなあと改めて思いました。


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それにしても「トーマの心臓」のオスカーは本当にカッコいいですよね!
まさに男にも女にも惚れられるタイプ。辛い体験を乗り越えたことが彼を大人っぽく魅力的にしたのでしょうね。相手が自分の想いに気づいてくれるまで黙って待ち続ける辛抱強さは、旅の間に培われたのだろうなと思います。


「湖畔にて」では少したくましくなっていたし、あれからさぞ、いい男に成長したことでしょう。
旅行好きなのでグスタフと同じ写真家になって世界を飛び回っているのではないかと、私は勝手に想像しています。今頃は南米で写真を撮っているかもしれない、なーんてね。

 

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この作品はこちらで読めます

訪問者 (小学館文庫)

訪問者 (小学館文庫)

 

 

 

(21)ヨハンナスピリッツのパイの謎

トーマの心臓」にオスカーがエーリクを町に連れ出す場面があります。
カフェで注文したのは


「ヨハンナスピリッツのパイふたつ!」

 

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(『萩尾望都パーフェクトセレクション1 トーマの心臓Ⅰ』2007年 小学館より)


このヨハンナスピリッツって何? そう思われた方、結構いらっしゃるのではないでしょうか。私もその1人。パイの材料だからフルーツかナッツ? 絵を見ると三角形のパイ生地の上にサクランボのような丸いものがたくさん乗っていて、これがヨハンナスピリッツなのかなあとぼんやり考えていました。


その後、「トーマの心臓」の後日談「湖畔にて~エーリク14と半分の年の夏~」(『ストロベリーフィールズ』1976年 新書館所収)にもヨハンナスピリッツは出てきました。


「毎日 ヨハンナスピリッツが色づく
それを食べに小鳥が飛んでくる」

 

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イラストでは笹のような長楕円形の葉むらに、丸い実が房のように下がっています。でもそれが日本にもあるのか、あるとしたら何という名前なのかということは、わからないままでした。


月日は流れ、最近のこと。私は米沢嘉博記念図書館で『週刊少女コミック』1973年6号に掲載されていた萩尾先生のヨーロッパ旅行記「こんにちは⇔さようなら」第4回を閲覧していて、1つの絵に目が釘付けになりました。
そこにはオスカーが注文したのと同じパイの乗った皿を持つ先生と、老婦人が!

 

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添えられた文章は


「ドイツ ハイデルベルグの すてきなカフェで
同席した おばあちゃんが話しかけてきました
おばあちゃんは クリームのたっぷりかかった
チョコレートケーキを
わたしは フルーツのパイを」


そして吹き出し


先生「この まるい実なに?」
おばあちゃん「ヨハンナスピリッツ」←日本では ぐずべり という 北海道にだけあるという実


あああーっ ヨハンナスピリッツー!!! そうか日本ではグズベリというのかーっっ。
グズベリといえば萩尾先生の童話集『月夜のバイオリン』(1976年 オリオン出版)の中の1篇「地球よいとこ一度はおいで」にも出てきましたっけ。
これは初夏の北海道にやってきたオランウータンそっくりの宇宙人が北海道の美しさに感動して「明日また来る」と言って帰って行くけれど、明日とは5年後の冬で…というユーモラスなお話です。宇宙人と小学生の女の子・ななのやりとりに、こんなくだりがありました。


(男の人は)かきねをゆびさすと、「これはなに」と聞いた。
「それはグズベリよ。まだ青いから食べられないわよ」
「これもグズベリか」と、男の人は池のそばの木を指さした。
「これはカリンツよ。これはもう赤くなってるから食べられるわ」


さらに『月夜のバイオリン』の中の「トリッポンのカエル」と「トリッポンと王様」にもグズベリの茂みが出てきて、「トリッポンのカエル」の方は「赤い実のしげみ」と描写されています。先生、よっぽどグズベリがお気に入りだったのでしょうか。


やった~。ついに40年来の謎が解けた~ ♪
と、大喜びしたのも束の間、事はそう簡単には終わらなかったのでした…。


  ●   ●′ ′ ′ 


私はグズベリがどんな実なのか知らなかったので、まずは辞書を引いてみました。するとグズベリという項目はなくて、代わりにグズベリーの項目に次のように書かれていました。
グズベリー=gooseberry、スグリ


gooseberryを引くと
「gooseberry=グースベリ、グーズベリ、グーズベリーグズベリー(の実)、スグリ(の実)、セイヨウスグリ
いろいろ出ましたが、とりあえずグズベリとグズベリーはほぼ同じもののようです。


次に和独辞典を見ました。女性名ヨハンナのスペルはJohannaです。グズベリ、グズベリーは載っていなくてスグリの項に
スグリ=Johannisbeere、学名Ribes sinanense」
うーん、ヨハンナスピリッツと前半は合っているけど後半が違うみたい。


じゃあ独和辞典はどうか。ヨハンナスピリッツらしき単語はなく、
「Johannisbeere=(植)スグリ(属)(Johannisの頃に実る)」
Johannisとは6月24日の聖ヨハネの祝日、また、夏至のことだそう。
ん? スグリ「属」? スグリって固有の植物名じゃなくて総称なの? そもそもグズベリースグリって同じ物?


これはどうも本腰を入れて調べないといけないようだ…。
そこで私は数種類の図鑑、百科事典、ネット検索を総動員してヨハンナスピリッツの正体を調べにかかりました。
そして結論から言うと…正確にはわかりませんでした。


一応調べたことをまとめると次のようになります(読むのが面倒な方は↓↓↓から↑↑↑まで飛ばしてください)。


↓↓↓


まず、スグリとは
ユキノシタ科(スグリ科に分類されることもある)の小低木スグリ属(ドイツ名Johannisbeere)の総称で150種ほどある。スグリ属は①スグリ類と②フサスグリ類に大別される。


スグリ
グズベリー(英名gooseberry)と総称される。実は房状ではない。この中に含まれる種に次のものがある。


セイヨウスグリ(ヨーロッパスグリ、オオスグリマルスグリ)
英名(European)gooseberry
ドイツ名Stachelbeere
学名Ribes uva-crispa、Ribes grossularia
ヨーロッパ原産で明治6年(1873)に日本に渡来。主に北海道で栽培。北海道ではグズベリと言われる。実は直径約1~2センチで熟すと緑色になる品種と赤くなる品種がある。


スグリ
ドイツ名Johannisbeere
学名Ribes sinansense
日本固有種。長野県、山梨県の特産。


フサスグリ
カラント(英名currant)と総称される。房状に実をつける。この中に含まれる種に次のものがある。


フサスグリ(赤スグリ、赤フサスグリ、レッドカランツ、赤カシス)
英名red currant
ドイツ名Johannisbeere
学名Ribes rubrum
西ヨーロッパ原産で明治6年(1873)に渡来(セイヨウスグリと同じ年ですね)。北海道・本州中北部で栽培。北海道ではカリンズカーランツと言われる。実は赤く、直径約5~8ミリ。


以上です。問題は
ヨハンナスピリッツというドイツ語の単語が見つからない。
ヨハンナスピリッツに近いJohannisbeereに当たる日本語は、スグリ属、日本固有のスグリフサスグリといろいろある。
グズベリ(グズベリー)はセイヨウスグリのことで間違いなさそう。でもドイツ名はStachelbeere。また「湖畔にて」のイラストは実が房のように下がっているので、これとは違う。
フサスグリはドイツ名がJohannisbeereで実が房状に付くところが「湖畔にて」とよく似ている。でもこれは北海道でカリンズ、カーランツと言われるものなので、「地球よいとこ一度はおいで」のカリンツのような気がする。


さらに謎を深めているのが、図鑑を見る限りスグリ属の葉はどれもみんな基本的にカエデのような形で尖ったり丸みを帯びたりしているのに、「湖畔にて」のイラストの葉は長楕円形だということ。
実は「トリッポンのカエル」と「トリッポンと王様」にもグズベリの茂みのラフなイラストがあるのですが、やはりスグリ属の葉ではありません。しかも「湖畔にて」を含めて葉の形や実の付き方が少しずつ違うのです。

 

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(上「トリッポンのカエル」/下「トリッポンと王様」)


これはもう「湖畔にて」やトリッポンシリーズのイラストに囚われていてはいけないのではないか。
そこで振り出しに戻って「トーマの心臓」と「こんにちは⇔さようなら」のパイの絵を見直してみると、ヨハンナスピリッツの実は意外と大粒でした。大きさで考えるなら直径1センチ未満のフサスグリよりは約1~2センチのセイヨウスグリの方が近いように思えますが断定はできません。


↑↑↑


で、結局「ヨハンナスピリッツとは何か?」の正確な答えは次のどれかとしか言えません。

 

①セイヨウスグリ(グズベリ、グズベリー、Stachelbeere)→大粒でパイの絵に近い
フサスグリ(レッドカランツ、Johannisbeere)→小粒。カリンツ
③そのどちらでもない別の種類のスグリ
④すべてをひっくるめた広い意味でのスグリ属(Johannisbeere)の実

 

どなたか植物に詳しい方、もしくはドイツ語に堪能な方、もしおわかりでしたら、ぜひご教示のほどお願いいたします~!


というわけで何だか調べれば調べるほど深みにはまってしまいましたが、とりあえずスグリの1種だと思っていれば間違いはないようです。
ちなみにレッドカランツを使った焼き菓子は私も大好きです。オスカーも好きなのかなと思うと嬉しかったりして ♪

 

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さて、ここからは余談です。


童話集『月夜のバイオリン』は最初1976年にオリオン出版から刊行されましたが、書き下ろしではなく、もともと『小三教育技術』に発表された作品をまとめたものです。1981年には3作品を加えた新装版が新書館から出されました。


その後、全作品ではありませんが大部分を収録した単行本『銀の船と青い海』が2010年に河出書房新社から出版され、2015年に文庫化されました。「地球よいとこ一度はおいで」も『銀の船と青い海』で読むことができます。ななちゃんのフルネームは「ささやまなな」。きっと北海道在住のささやななえこ先生のお名前をとってつけられたのでしょうね。


「トリッポンのカエル」「トリッポンと王様」そしてもう1作「トリッポンとオバケ」は『銀の船と青い海』に入っていませんが、こみねゆらさんの絵で絵本として2007年に教育画劇から出版されました。「トリッポンのカエル」は「トリッポンのこねこ」と改題されています。絵本「トリッポンのこねこ」に描かれているグズベリの茂みはスグリ属の葉に小さな赤い実、「トリッポンと王様」の方は同じ葉に大きな茶色い実です。


「こんにちは⇔さようなら」は1972年の秋に萩尾先生、竹宮惠子先生、山岸凉子先生、増山法恵さんの4人でヨーロッパを旅行した時のイラストエッセイで、『週刊少女コミック』1973年1号・2号・3-4合併号・6号・7号に計5回連載されました。1回と4回を萩尾先生が、2回と5回を竹宮先生が担当され、3回だけがカラーでお2人の共作です。


まだ1ドル=360円の固定相場制で気軽に海外旅行などできなかった時代に、シベリア経由でストックホルムに入り、そこからヨーロッパ各地を回るという大旅行。先生方の行動力には脱帽するしかありません。この旅行の話は竹宮先生の著書『少年の名はジルベール』(2016年 小学館)に詳しく書かれています。


「こんにちは⇔さようなら」は残念ながら現在のところ単行本未収録です。萩尾先生と竹宮先生の共作なのでどこに掲載するか悩ましいと思いますが、できれば24年組の特集本を作って、その中に入れてほしいなあと願っています。どこかの出版社で企画して頂けないでしょうかね?


※記事内の先生方のお名前は現在の表記です。

 

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「地球よいとこ一度はおいで」と絵本のトリッポンシリーズを読んでみたい方はこちらをどうぞ。 

 

銀の船と青い海

銀の船と青い海

 

 ↑ 画像は単行本です。文庫本もあります。 

トリッポンのこねこ

トリッポンのこねこ

 
トリッポンと王様

トリッポンと王様

 

↑ 絵本です。同じシリーズに「トリッポンとおばけ」もあります。 

 

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2019. 7. 14 追記


先日この記事を読まれた花屋さんが別の記事に貴重なコメントを寄せてくださいましたので、こちらに転載させて頂きます。


「ヨハンナスピリッツのパイ!
まだまだ外国の風物が呪文のような時代、丸ごと覚えて丸ごと憧れた頃でした
で、ヨハンナはわかるのですがスピリッツはドイツ語でしょうか
グーズベリーでしたら信州の我が家にもありますが、青いうちは生食しづらく、熟してからは時期が短く、結局お酒に漬けるしかありません
スピリッツとはこのことでないでしょうか
イギリスの小説にも「グーズベリーのお菓子」やら「グーズベリー色の眼」などと出てきます
身近なものであるためにはやはり貯蔵品とするのではないかと思うのです(缶詰もあるようです)
リキュール漬けグーズベリーのパイではないかとドイツ語も知らぬドイツに行ったこともないシロトが愚考いたしました」


リキュール漬けグーズベリーのパイ!
スピリッツはドイツ語ではない!?
私もう、目からウロコでした。


さっそく和独辞典で「リキュール」を引いてみましたが、どうもこれではない様子。
でも百科事典で「リキュール」を調べると気になる文言が。
酒税法上はエキス分が2度以上のもの。
エキス分が2度未満のものは主にスピリッツ類に分類される」


あ、そういえばお酒の用語でスピリッツってありますね!
spirit(s) を英和辞典で引くと
「酒精、アルコール。蒸留酒、スピリッツ」
酒精とはエチルアルコールのことで、酒精飲料というと酒類です。
liquor は
アルコール飲料、酒。特に蒸留酒、スピリッツ」
あれ、同じ?
調べてみると英語ではエキス分の度数に関わりなく、主にイギリスで spirits、アメリカで liquor と言われるようです。


次に和独辞典・独和辞典に当たると
「アルコール(飲料)・酒精飲料・蒸留酒=Spirituose (f) ほか」
こ、これは近づいてきた気がする!


最後に英独辞典では
「spirit (英) ; liquor (米) = Spirituose (f) ; Sprit (m)」
(※ドイツ語Sprit のスペルは英語と違います)


わ、これはもう花屋さんがおっしゃるように「スピリッツ=リキュール漬け」でいいのではないでしょうか?
いいですよね!(←勝手に決める)
花屋さん、どうもありがとうございました!!


そして Johannisbeere ですが、最近ドイツ在住の方や前に住んでいたという方のブログで「ヨハネスベリー」として紹介されているのを見かけるようになりました。
皆さん「日本ではフサスグリ、レッドカランツ」と書かれていて、ジャムやジュースにして楽しんでいるようです。
ドイツではポピュラーな果物だそうなので、萩尾先生やオスカーが食べたのもこれではないでしょうか。


というわけで、
「ヨハンナスピリッツのパイ」とは「リキュール漬けヨハネスベリーのパイ」

 

とりあえずこれを結論としたいと思います。


ただ「湖畔にて」の「毎日 ヨハンナスピリッツが色づく」はリキュール漬けではないだろう?という疑問は残っています。
もしかすると老婦人はリキュール漬けヨハネスベリーという意味でヨハンナスピリッツと言ったのを、先生はそれ自体が果物の名前だと思われたのかもしれません。
でも本当のところはわかりませんので、もし新たな情報がありましたら引き続きご提供をお待ちしております。


長々とお読み頂きましてありがとうございました

 


2019. 12. 25 追記


上の7月14日の追記で、現地の方々のブログにJohannisbeere が「ヨハネスベリー(日本ではフサスグリ、レッドカランツ、レッドカラント)」と紹介されていると書きました。
言葉だけではイメージが湧かないので画像をどうぞ。

 

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(フリー画像を使用しています)


赤い色も美しい小粒のベリー。
かなり酸味が強いのでジャムやジュースにしたり、ソースにして肉料理に添えたりと加工して食すのが一般的だそうです。
もちろんリキュールにも。


そして上の追記では「ヨハンナスピリッツのパイ」=「リキュール漬けヨハネスベリーのパイ」と、とりあえず結論を出しました。
今回はそれを修正したいと思います。


最初にこの記事を書いた時、下のコメント欄で「おばあちゃんがJohannisbeere と言ったのが先生にはヨハンナスピリッツと聞こえたのかも」というやり取りをしていたのですが、先日それを読まれた「私も聞き間違い説派です」さんが貴重なコメントを寄せてくださいました。


わざわざ標準ドイツ語の発音例を聴いてくださり、Johannisbeere からヨハンナスピリッツへの変換はあり得ると思います、というご意見です。
お忙しい中、どうもありがとうございました!


そうか、その手がありましたね!

 

早速私もFORVO で Johannisbeere の発音例を聴いてみました。
(どこをクリックすれば音声が出るのかわからなくて、しばらく四苦八苦しました*汗)


すると、なるほど~!
おばあちゃんの発音次第ではヨハンナスピリッツと聞こえた可能性もあるような…。


もしヨハンナスピリッツをリキュール漬けヨハネスベリーとするなら、「湖畔にて」の「毎日 ヨハンナスピリッツが色づく それを食べに小鳥が飛んでくる」というフレーズにマッチしません。
でもヨハネスベリーの果実そのものを指すなら、ぴったり合いますね。


そこで今回
「ヨハンナスピリッツのパイ」=「ヨハネスベリーのパイ」
に修正したいと思うのですが、いかがでしょうか?


でもJohannisbeere という単語にリキュール漬けの意味が含まれていなくても、私はオスカーがカフェで注文したパイに乗っていたのはリキュール漬けだったかもしれないと思うのですよ。
と言うのは先ほど書いたように、ヨハネスベリーは加工して食べるのが一般的だからです。


では生でお菓子に使われることはないのか?
検索してみると…ありました!
パイの上に乗っているのと、マフィン生地に練り込まれている例が!
どちらもご家庭で作られたお菓子でしたが、旬の時季には街のケーキ屋さんでも生で使われるようです。


じゃあ旬の時季はいつかと言うと、そもそもヨハネスベリーの名前の由来は「6月24日の『聖ヨハネの祝日』の頃に実るベリーだから」。
つまり6月下旬頃からがシーズンだそうです。


エーリクがシュロッターベッツに転入してきたのは「4月の…おわり」と本人がヴェルナー家で言っていますから、オスカーが転入間もないエーリクをカフェに連れ出したのは5月の上旬から中旬頃かなと思います。
それだとヨハネスベリーが生で食べられる時季より早いので、リキュール漬けとか貯蔵されていた果実を使ったパイだったんじゃないでしょうか。


それにカフェで売られているお菓子ですから、正確に「リキュール漬けヨハンナスピリッツのパイ」ではなく簡単に「ヨハンナスピリッツのパイ」という商品名でも不思議はありません。


と、ここまで書いておいて何ですが、これは漫画ですからね。
いくら先生が徹底したリサーチをされる方でも、生だろうがリキュール漬けだろうがどっちでもいいのかもしれないという気がしてきました。


というわけで現時点では
「ヨハンナスピリッツのパイ」=「ヨハネスベリーのパイ」
(果実が生か加工品かはあまり気にしなくていい)


という結論にしておきたいと思います。
コメントをくださった皆様、どうもありがとうございました。


まだまだ私が気づいていないことや知らないこともあるかと思います。
もしかしたら先生は、おばあちゃんの言葉以外にも何か根拠があって「ヨハンナスピリッツ」と書かれたかもしれないですし。


もし情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご教示くださいませ。
引き続きお待ちしています

 


2020. 7. 30 追記


このたびドイツ在住のメグさんより嬉しいコメントを頂きました。
ドイツ人のダンナ様にヨハンナスピリッツを知っているか尋ねたところ、「ヨハニスベーレンのことじゃないの?」と即答だったそうです!


ヨハニスベーレン=Johannisbeere=ヨハネスベリー。
どうやら「ヨハンナスピリッツのパイ」=「ヨハネスベリーのパイ」という考えは間違っていないようです。
バンザーイ!!


また、Johannisbeereがヨハンナスピリッツと聞こえたのは、「ハイジ」の作者であるヨハンナ・スピリの名前が頭のどこかに残っていたからではないかとおっしゃっていたとか。
ヨハンナスピリッツとヨハンナ・スピリ。
確かに、ありえるかも。


ちなみに、お手持ちの「トーマの心臓」英語版では「ヨハンナスピリッツのパイふたつ!」が「JOHANNA!  TWO  SLICES  OF  RUM  APPLE  PIE!(ヨハンナ! ラム・アップルパイふたつ!)」と訳されているとのこと。
ヨハンナが店員さんの名前、スピリッツがお酒の意味に解釈されているのですね。


メグさん、ドイツから貴重な情報をどうもありがとうございました!!


いつか「トーマの心臓」のドイツ語版が出版されたら「ヨハンナスピリッツのパイ」は何と訳されるのでしょうか。
そこに正解があるのかもしれないですね。


もっとも翻訳とは単に言葉を置き換えればいいというものではなく、背景やニュアンスまで汲み取って自然な自国語(とは限りませんが)にしていく大変な作業。
すべてを調べ尽くすことは不可能に近いでしょう。


英語版の翻訳者の方も萩尾先生に色々と質問なさっただろうと思いますが、「ヨハンナスピリッツのパイ」は作品全体の中では瑣末な問題なので聞かなかったのかもしれません。
どのような訳語でも翻訳者の方には敬意を払いたいと思います。

 

  

(20)虹色に淡い天使の羽が

今回はとても私的な感想です…。


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トーマの心臓」は12歳の春に私が初めて出逢った萩尾作品です。学校が舞台ということもあってか、それは私の胸の奥底まで響き、中学時代の3年間ずっと寄り添い続けてくれました。


当時の私に学校は居心地の悪い場所でした。と言っても学校には毎日通っていたし、友達が全くいなかったわけでも、誰かにいじめられていたわけでもありません。ただ真面目すぎて、ひとりで勝手に張りつめていたのです。


そんなふうだったので私はユーリにシンパシーを感じて、彼の孤独に共感していました。もちろん悩みのレベルは天と地ほども違っていましたが。学校から帰ると「トーマの心臓」を開いてはユーリを見て癒やされる日々でした。

 

その頃の私にとって「トーマの心臓」は、天上から光がこぼれ落ちてくる透明で神聖な世界でした。そのイメージは今も変わりません。
私はドイツや寄宿舎に憧れ、聖書に興味を持ちました。「彼」「きみ」などという言葉や文学的な言い回し、詩のようなモノローグに心酔し、好きなフレーズをノートに書き写したり冒頭のトーマの詩を暗記したりしました。背伸びしてヘッセも読んでみました。萩尾先生の繊細な絵も大好きでした。


ただ、それほど夢中で読んでいても、私は物語の表層をなぞっていただけで大事なことは何ひとつわかっていませんでした。ユーリが許されていたことに気づき涙を流す最も重要な(と思っています)場面も、その意味を理解できたのはもっと後になってからです。


やがて中学を卒業する頃になると私は他の世界にも目を向け始め、大人になってからは漫画をほとんど読まなくなりました。
けれど萩尾作品――とりわけ「トーマの心臓」は胸の奥深くで静かに光り続け、私は時おり宝物を取り出すように作中の詩のような言葉を心の中で唱えていました。優しい言葉や切ない言葉。
その1つがラスト近くのユーリのモノローグでした。


「いつも いつも
生徒たちの背に ぼくは
虹色に淡い天使の羽を見ていた」

 

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(『萩尾望都パーフェクトセレクション2 トーマの心臓Ⅱ』2007年 小学館より)


この言葉を思い出すと、群れる生徒達の背に光る翼と、それを眩しそうに寂しそうに見つめるユーリの顔が浮かんでくるのでした。


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その後、「ポーの一族」の続編発表を機に再び萩尾漫画に目覚め、ポーシリーズを読みふける日々が一段落した頃、私は本棚でずっと眠っていた「トーマの心臓」を開きました。自分がどう感じるのだろうとドキドキしながら。


およそ30年ぶりに再会したその世界は、昔と変わらず――いえ、むしろ昔以上に透明な光で溢れていました。生徒達が下級生や名前の出ない子までキラキラと輝いて、みんな愛おしく見えたからです。
まるで1人ひとりの背中に、虹色に淡い天使の羽がきらめいているようでした。もちろんユーリの背中にも。
けれども上級生や大人には、その羽は見えません。もしかするとそれは大人への階段を上り始めた、最も多感で傷つきやすい年頃の者にだけ現れるものだからかもしれないと思いました。


生徒達の中で一番可愛かったのは意外にもヘルベルトで、彼がユーリに突っかかるたびに「うんうん、わかるよ。キミの気持ち」と頭をなでたくなりました。
さすがにサイフリート一派だけは可愛くも愛しくもありませんでしたが、今のユーリなら彼らを許すだろうと思いました。彼らの背中にもかつては天使の羽があったのでしょうか。


本を閉じて目を上げると、向こうにユーリが立ってこちらを見ているような気がしました。あの頃のままの姿で、あの頃と同じ眼差しにあの頃よりも深い色を湛え、少し不安そうな顔をして。私は彼を抱きしめて「あなたはとても苦しんだんだね」と言ってあげたいと思いました。


当時の自分自身のことも今ならわかります。自分が何者かわからず、他人との距離の取り方もわからず、混沌としていたのだと。そして、この作品から私が受け取った最大の贈り物は “自分と向き合う時間” だったということも。


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それから数か月たって、もう一度読んでみました。今度は前よりも色々なことを感じました。
汚点のない完全な人間を目指していたがゆえに深まったユーリの罪悪感と苦悩。
無邪気な子どもだったエーリクの成長。
ユーリをめぐるオスカーの複雑な心境。ユーリにトーマの死の意味を悟らせたのはエーリクだけれど、許し愛されていたことに気づかせたのはやはりオスカーで、彼の大きな愛が報われたことが嬉しかったです。
大人達のさまざまな愛の形。特にシドがエーリクに会いに来る場面は胸が熱くなりました。


そしてトーマ。トーマはなぜ自分が死ぬことでユーリを生かすことができると考えたのか。それが私には長い間よくわかりませんでした。ですが今は、こんな想いではなかったかと感じています。
きみを苦しめているものは、すべてぼくが代わりに引き受けるよ。だからきみはおそれずに、愛する心、信じる心を取り戻して――と。
そんな自分の心をユーリはきっとわかってくれると信じて。


ただ、トーマが実際に自らの命を差し出すことができたのは、虹色に淡い天使の羽をもつ季節の中にいたからのような気がします。いくら彼がアムールでも、もしユーリと出会ったのがもっと大人になってからだったら、おそらくは別の選択をしていたのではないでしょうか。


大人になった同世代の彼らに逢いたいと、今思います。
虹色に淡い天使の羽を背中に隠して、あのラストシーンの明るい顔のまま大人になった彼らに――。 

 

トーマの心臓 (小学館文庫)

トーマの心臓 (小学館文庫)

 

 

 

記事(19)に追記しました

「(19)1ページ劇場――ポーの伝説によせて――」にSFの「1ページ劇場」が掲載されている書籍を追記しました。

(19)「1ページ劇場――ポーの伝説によせて――」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

 

(19)「1ページ劇場――ポーの伝説によせて――」

「(12)この作品は、いつ頃のお話?~②ピカデリー7時」で「1ページ劇場――ポーの伝説によせて――」に少しふれましたので、今回はこれについて詳しく書いてみます。


「1ページ劇場」というのは、かつて『別冊少女コミック』(別コミ)に掲載されていた文字通り1ページのモノクロページです。別コミの作家さん方が毎月1人ずつ思い思いの絵と言葉で独自の世界を表現されていました。


このページに萩尾先生が初めて登場されたのは、おそらく1972年2月号の「1971年12月10日のひとりごと」だと思います。デビュー40周年記念原画展に出品されて図録にも収められているので、ご存じの方も多いことでしょう。
「青いぼくたちの世界へおいで」で始まる詩とともにエドガーとメリーベルが描かれ、左下の隅に自画像があって「筆者は吸血鬼(バンパイア)の兄妹のお話をかきたくて うずうずしてるのです。12. 10」と吹き出しが付いています。
ポーシリーズ第1作「すきとおった銀の髪」が別コミに掲載されたのは翌月の3月号。
この「1971年12月10日のひとりごと」がエドガーとメリーベルの読者への初お目見えでした。


次が1973年8月号で、当時構想中のSF作品のキャラクター達を描いたもの。
これは文字の入っていないイラストのみの原画が「萩尾望都SF原画展」に出品され、『萩尾望都SFアートワークス』(2016年 河出書房新社)に収録されています。
文章にタイトルはありませんが「サイバネチック・オーガニズムってなあに」と始まってSF漫画が少女読者に受け入れてもらえないことを嘆きつつ、「――このロマンが いったい少女まんが以外の なんでありましょうや……」と結ばれています。
今でこそSF漫画の第一人者である萩尾先生も、少女漫画界のSF黎明期にはご苦労が多かったようですね。


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そしてその次が1974年12月号の「ポーの伝説によせて」で、私の知る限りでは萩尾先生の「1ページ劇場」はこれが最後でした。


1974年12月号はポー第2シリーズの第1作となる「エヴァンズの遺書」前編掲載号の前号に当たります。
「ポーの伝説によせて」はページの上半分に縦書きで、第2シリーズの各作品のさわりが詩のように書かれています。以下に全文を引用させて頂きます。


「――ポーの伝説によせて――

――昔むかし オオカミの出る山中に 金毛の兄弟が住んでいました
――明るい五月に少女は 青い目の少年に プロポーズしました
――シャーロック・ホームズふうの 帽子をかぶった紳士は バスのなかで 彼にほほえむ少年を 見ました
――戦争のすこしまえ ロンドンで殺人事件が起こりましたが 死体が見つかりませんでした
――オズワルド・エヴァンズは きみょうな遺書を残しました
――アランは エドガーが出かけたので 雨の日の一週間 ひとりでるす番をしなければ なりませんでした
――古城の城主は 川を流されてきた少年の死体が 生きかえるのを見ました
――幸福な婦人は バラの庭で 恋人の帰りを待っていました
――炎のなかで ひとりの少年が 燃えて消滅しました

          萩尾望都


この詩のうち最初の2つは作品化されませんでしたが、1番目は後に「月蝕」になったと言われているようです。3番目以下に該当する作品は次のとおりです。


「ホームズの帽子」「ピカデリー7時」「エヴァンズの遺書/ランプトンは語る」「一週間」「エヴァンズの遺書」「はるかな国の花や小鳥」「エディス」


不思議なことに「ペニー・レイン」と「リデル・森の中」は含まれていません。この2つは後から挿入された話なのかもしれません。
読んで驚くのは、この時点で「エディス」までの構成がきっちりと出来上がっていたことです。
アランが消えてしまうことも最初から決まっていたのかと思うと悲しいです。


ページの下半分がイラストで、画面右に片手を腰に当ててポーズを取るエドガー。「トーマの心臓」の連載後のためか、どことなく「トーマ」を思わせる優しい顔です。
中央に帽子を持つ可愛いメリーベルのアップ。
左下に「ポーの一族」の髪形のグラスを持つアラン。


そして注目したいのが左上。少し開いた門の向こうに少女の姿があるのです。
リデルには見えないし、エディスでもシャーロッテでもない。エルゼリでもなければカレンやジューンとも違う。
この娘はいったい誰? もしや作品化されなかった2番目の「青い目の少年にプロポーズした少女」でしょうか。それはどういうエピソードになる予定だったのでしょうか。
私はとても気になっていて、もし機会があればぜひ萩尾先生にお聞きしてみたいです。
もっともそんな昔の話、先生はもう覚えていらっしゃらないかもしれませんけど…。


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このように「ポーの伝説によせて」は第2シリーズの発表前から全体の構想が固まっていたことを示す貴重な資料であるとともに謎もはらんでいて、ファンには見逃せないものです。
それなのに、まだ一度も再録されていないのですよね…。


「(8)幻のカレンダー」の追記に「ポーの一族」のイラスト集出版の要望書を『flowers』編集部宛に送ったと書きましたが、実はその時、この「ポーの伝説によせて」も載せてほしいとお願いしました。
ついでに言うと、フレーズ集の出版も併せて要望しました。
ここでもう一度叫びます(こんなところで叫んでもどうにもならないとわかっちゃいるけど、何もしないよりマシかもしれないので)。


小学館様!
…がムリなら 他の出版者様!
どうかポーの一族」のイラスト集とフレーズ集を出版してください!
イラスト集には「1ページ劇場――ポーの伝説によせて――」とカレンダーのイラストをぜひ収録してください!
カレンダーの再製作もして頂きたいです!
何と言っても “不朽の名作” なのですから、これくらいはあって然るべきですよね。
絶対に売れると思いますし(責任は負えませんが)。
どうぞよろしくお願いいたします~!!

 

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2017. 10. 4 追記


SFの「1ページ劇場」は『萩尾望都対談集1970年代編 マンガのあなたSFのわたし』(2012年 河出書房新社)と『少女マンガの宇宙 SF&ファンタジー1970-80年代』(2017年 立東舎)にも掲載されていました。どちらも文章入りです。

マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編

マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編

 

 

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2018. 9. 3 追記


記事(40)に「1971年12月10日のひとりごと」と「ポーの伝説によせて」の画像を載せました。
ぜひご覧くださいませ。

(40)「ポーの一族」イラスト集~「1ページ劇場」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

また、「ポーの伝説によせて」の1番目の詩はコメント欄にみっしさんが書いてくださったように「ペニー・レイン」だと思います。