亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

*盛大にネタバレしております。記事を探すにはトップのカテゴリー一覧からどうぞ 

カテゴリー一覧です[トップに固定]

ご訪問ありがとうございます。
このブログをスマホでご覧くださっている方もいらっしゃると思いますが、PCに表示されるカテゴリー一覧がスマホにはないのですよね。
そこでカテゴリー一覧を作りました。
タップして頂くと、それぞれのカテゴリーの記事一覧に飛びます。
もちろんスマホだけでなくPCやタブレットでご覧の方も、どうぞご利用くださいね。

・・・>>><<<・・・

ポーの一族

ポーの一族 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

トーマの心臓・訪問者

トーマの心臓・訪問者 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

1969-73年作品

1969-73年作品 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

1ページ劇場

1ページ劇場 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

イラスト集

イラスト集 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

アンケート

アンケート カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

イベント

イベント カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

メディア・関連書籍

メディア・関連書籍 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

お知らせ

お知らせ カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

ごあいさつ

ごあいさつ カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

記事(110)に追記しました

「アランがポーの村に受け入れてもらえない」ということをアーサーが知ったのは、「青のパンドラ Vol. 6」よりも前だった?
追記しました。

(110)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケート結果②と萩尾先生の日本芸術院会員ご就任 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

(111)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケート結果③

こんにちは。春ですね。
先日、当ブログの「『ポーの一族』これからどうなる!? アンケート」に新たなご回答を頂きました!
どうもありがとうございます!!


早速ご紹介させて頂きますね。
とても読み応えがありますよ。


「私にとってポーの一族は旧シリーズで完結していたのですが、やはり気になってこちらのブログのネタバレをこっそり読ませて頂いておりました。


今回「小鳥の巣」のラストページが載っているのを見て、私はキリアンのその後が気になっていて彼の物語を知りたかったのだ、と思い出した次第です。


エドガーはかつて「まえにきた時は東西に分かれてなかったのにな これからどうかわるかも 神のみぞ知る」と言っていました。
ベルリンの壁が落ちたとき、キリアンは44歳、結婚して子どももいたかもしれません。
あの歴史的な出来事を、彼はどこにいてどう見たのでしょう。


新シリーズでもエドガーはドイツへ行っていますが、エドガーとアランはどこかで成長したキリアンを見かけるか、或いは“深く沈んだ因子”を持ったその子孫と関わることがあるのか、子孫の誰かの中で因子が顕在化したとしたらどのような現れ方をするのか...
小鳥の巣のラストに「それはもっと後の話となる」と書かれている、その“後の話”を知りたいと思います。

 

ところで彼らは人間の何倍もの時を生き、時代の大きな変化を超えて経験を積んだはず。
それでもアランは子どもっぽいままで、エドガーも円熟味というよりは、その利発さも尖って青い少年のもののように見えます。


秋の成熟を促す力が彼らの上には働かず、春から夏の旺盛な成長の力も素通りし、早春の中に閉じ込められているような。
昔から人間は不老不死に憧れてきましたが、皆が厭う老いと死の力は、人間を成熟させ完成させるために必要なプロセスではないかと思うのです。


彼らとひととき遭遇したり、ポーの村の話を語り伝えられた人々にとって、そこは美しいバラの咲く永遠の村。
けれど村人の側の実態は、怠惰で寝てばかりいるらしい。
なぜ新シリーズではこれほど、ある意味幻滅させるようなバンパネラたちの裏事情が明らかにされるのか...


「不老不死はいったい幸せなのか」と、TVの特集の中だったか萩尾先生が(それとも他の人だったかも)語っていたように思います。


ほんの短いあいだしか関わることができないのに、エドガーは時に関わった人間たちに入れ込みすぎるほどに見えました。
エルゼリの昔の恋人に会いに行ったり、リデルを育てたり、難民だったキリアンの心中を思ったり。


エドガーとアランは人間側から見ると、バラの咲く村を探して旅する少年たちという、見果てぬ美しい夢の姿。
逆に彼ら(特にエドガー)の側から見ると、限りある時間を生きる人間のダイナミックな生こそが見果てぬ夢なのでしょう。


近年の萩尾作品は、福島のことなど外的にも内的にも現実を生きていく人間の深みを描かれたものが多くなり、私は夢見るような終わり方をした前シリーズに対し、今回は“人間がこの世界で生きるということ”が鍵になるような気がしています。


でも人間に戻ったアランが人生を全うするのを見届けるというのは、エドガーにとっては酷かもしれません。


それならばエドガーも人間に戻って、大人になり結婚もして、かつてのエドガーとメリーベルそっくりな子どもたちが生まれ、その日々の成長を見ながら、本来ならこうだったはずの自分たちの姿を重ね合わせる。


アランはエディスの子孫と結婚し、娘にシャーロッテと名づける。
これでエドガーとは文字通り親族となる。


ポーの村伝説を知るルイスの子孫がどこかでエドガーとメリーベルJr.に出会い驚くが、兄妹が成長していくのを見て「まさかね...」と思う。


生老病死、苦難をも包括してなお輝く人間の生を引き受ける、これがエドガーがずっと望んでやまなかった幸せの姿ではなかったか...
バンパネラとして数百年を生きた彼にとってはあまりに短い数十年の一瞬一瞬こそが真の永遠だったと思い、満ち足りた喜びの中でこの世の生を終える....

 

読者としては永遠の少年のイメージはとても捨てがたいのですが、エドガー自身が最も望んでいた幸せが何だったかを考えると、こんな話になりました。


そして、もう人生の残り時間のほうが少なくなっているであろう、旧シリーズをリアルタイムで読んでいたかつての少女たちにとっても、苦をも含む人生はバラ色の夢以上の何かだと思えるなら、それは幸せなことだと思うのです。


すっかり長くなってしまいました。
このような場を提供してくださってありがとうございました。」


読ませて頂いて、私などにはとても及ばない深い想いに感動してしまいました。
最後に「ありがとうございました」と書いてくださいましたが、こちらこそありがたいです。


回答者さんは、まずキリアンの「その後」の話を知りたいとのこと。
分かります!!
これ、旧シリーズの読者は皆さん知りたいですよね?


ご回答の中にある「小鳥の巣」のラストページ、作品を未読の方もいらっしゃると思うので今回も掲載させて頂きます。

 

(『萩尾望都パーフェクトセレクション6 ポーの一族Ⅰ』2007年 小学館より)


「小鳥の巣」は1959年の西ドイツが舞台でした。
キリアンは東ドイツから来た少年です。
「ランプトンは語る」のルイスの話では、7年後の1966年の春にルイスがキリアンの家を訪ねた時、彼はもうそこにいませんでした。


その後、ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。
回答者さんがおっしゃるようにキリアン44歳の時です。


彼はどんな人生を送ったのでしょうか。
新シリーズの「現在」である2016年には、生きていれば71歳になっているはず。
果してエドガーとアランが、キリアンまたはその子孫と邂逅することはあるのでしょうか。
バンパネラの因子が子孫にどんな影響を及ぼしたのか、とても気になります。


実は私、クロエが殺したレイライン研究者がキリアンの子孫と繋がっていたら面白いなーと思っているんです。
あと、大学教授のライナーが何を専門としているのかまだ明かされていませんが、それがレイラインか血液の研究だったらな、とか。
いや、ないでしょうけども。


◆◆◆**◆◆◆


今回の方が考えてくださったストーリーも、良いなあと思います。


エドガーもアランも人間として限りある生を生ききり、充足感と共にこの世を去る。
2人は親族となり、エディスやルイスの子孫が絡んで、きれいにまとまって。
素晴らしい!


エドガーの結婚相手のことは書かれていなかったので考えてみたのですが、いっそキリアンの子孫というのはどうですか?
もし彼女がバンパネラの因子を受け継いでいたら、新たなストーリーが生まれそう。


それはともかく、私がこの方のご回答に感動したのは、根底に「不老不死は幸せなのか」という問いかけがあるからです。
そしてその問いかけは自分自身にも向けられているように感じました。


「皆が厭う老いと死の力は、人間を成熟させ完成させるために必要なプロセスではないか」というお言葉に頷きましたし、まさしく「もう人生の残り時間のほうが少なくなっている、旧シリーズをリアルタイムで読んでいたかつての少女たち」の1人として、最後の一文はとても心に響きました。
「かつての少年たち」や、残り時間がまだたっぷりある読者の方にとっても、そうならいいなと思います。


また、人生を季節になぞらえてエドガーとアランを「早春の中に閉じ込められているような」とイメージされているのも、分かる気がします。


ポーの一族」から離れてしまいますが、私は「早春」と聞くと「トーマの心臓」のオスカーのモノローグが浮かぶのですよ。


「それぞれの思いは
胸の奥に秘められる

まだ透きとおった
少年の日に

あこがれは
――やさしく
恋は ためらいがちに
おずおずと訪れをつげる

すぎてゆく 早春
つかのまの

忘れがたい日び……」

(『萩尾望都パーフェクトセレクション1 トーマの心臓Ⅰ』2007年 小学館より)


画像は控えますが、このコマは言葉も絵も優しくて大好きなんです。


エドガーもアランも長い時を生きていて、特にエドガーは老成しているように見えるけれど、でもやっぱり彼らも「トーマの心臓」と隣り合わせの世界にすむ14歳の少年なのではないか。
ただ違うのは、彼らの「早春の日々」は永遠に続くということなんだろうなと思います。


それから「ポーの一族」の新シリーズは「“人間がこの世界で生きるということ”が鍵になるような気がする」というご指摘には、なるほど!と唸りました。
秘密の花園」なんて、まさにその通りですよね。


◆◆◆**◆◆◆


さて、これまで3人の方のご回答をご紹介しましたが、皆さん「エドガーとアランにとって何が幸せか」を第一に考えてくださっているところがとても素敵だなと思います。


今回の方は1人目の方とも2人目の方とも少し重なる部分がありながら、ストーリーは三者三様で面白いですね。


他のファンの方々もきっと様々な予想や願望をお持ちだと思いますので、もしよろしければぜひぜひ当ブログにお聞かせくださいませ。


結末やストーリーに限らず「あの人が気になる」とか「あのエピソードはどうなるんだろう?」など、ちょっとしたことでも構いません。
思いのたけを綴って頂いてもいいし、簡潔に数行でも。
回答フォームを用意しておりますが、コメント欄に書いてくださってもOKです。
お待ちしております ♪


回答フォームはこちらの記事内にあります↓

(108)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケートを実施します - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


この記事以外の回答はこちらからご覧頂けます↓

アンケート カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

 

(110)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケート結果②と萩尾先生の日本芸術院会員ご就任

こんにちは。
当ブログでは「『ポーの一族』は今後どうなると思いますか? または、どのようなラストを迎えると思いますか?」というアンケートをひっそり実施中ですが、先日ある方からご回答を頂きました!
どうもありがとうございます!!


個人的に共感できる上に、以前からの疑問に答えを提示してくださる内容でしたので、ほぼ全文をご紹介させて頂きます。


「コミックス派なので連載は亜樹さんのネタバレ以外は知りません。
その前提で、「エドガーとアランは永遠に14歳のままポーの村を探し続ける」結末がよいなと。


前シリーズでは協力者はポラスト先生、アーサー、ポリスター卿くらい?で、資料を探し(ホームズの帽子)、同行を頼み(ピカデリー7時)、ポーの村を探し続けてきました。
今回のシリーズでは当初からシルバーを始め協力者がわらわらいて多少興をそがれたような気もしました。
でも、ポーの村はそもそもアランを受け入れないから、協力者たちは場所を教えなかった、ということなんですね。
ポリスター卿は境遇に同情してか、教える気になったようですが。


ポーの村に行く目的は「一面のバラをアランにひと目見せてやりたい」だと思います。
アランをどうしても仲間に入れてもらいたい!わけではなくて。
ユニコーン」でアランは公園のバラを見て「エドガーの言ってたポーの村もきっとこんなふうなんだな」と言いました。
そうだよね、と素直に思いました。
ポーの村は夢見るもので、2人の憧憬にとどめておきたい。


結末では移転改築したポーの村には金輪際入れないように結界を張るか緘口令を徹底するかして、また人間界を浮遊する2人、ゆったり漂うなかで、たまにはファルカやブランカやアーサーにも会える(というか何十年ぶりでも会える友達がいてよかった)。


ちなみにわたしは、アランの青年姿はすでに新シリーズで小カットながら見ており、想像もできるのですが、エドガーの青年姿がどうしても浮かばないんですよ。(アランが人間らしいままでエドガーがすでに老成しているせい?)


2人一緒にいるのなら、14歳のままなら、やっぱりバンパネラでなくちゃね、が結論です。
「小鳥の巣」の最終カット(2人手を取り去っていく大好きなコマ)から全然進歩していませんが、それが2人の幸せであってくれたらいいなと思ってます。」


読ませて頂いて、わー素敵だなあ!と思いました。
私の前々からの疑問にも2点触れられていますので、まずはそこから書いていきますね。


①旧シリーズでエドガーとアランはポーの村を探していた。
エドガーは村と接触があったのに、なぜ場所を知らなかったのか?


これ、旧シリーズの中では別に不思議じゃなかったんですよね。


ポリスター卿も村を探していて、その入口が見つかったのでエドガー達を一緒に連れて行ってくれるはずだった(ピカデリー7時)
アーサーは村と繋がりがあるのか不明(エディス)
ポラスト先生は名前しか出てこない(一週間)
アランを仲間に加えた後で他の一族は登場しない


なのでエドガーが村の場所を知らないことは全然不自然じゃなかったんです。


でも新シリーズになると、実はアランを仲間に入れた後もクロエやシルバーやケイトリン達と接触していたことが分かってきました。
村の方ではエドガーの居場所を把握しているのに、なぜエドガーの方は知らなかったのか?


その謎に回答者さんが出してくださった答えは、「ポーの村がアランを受け入れないから、協力者達は場所を教えなかった」。


なるほどー!
それは十分考えられますね!


少なくともクロエやシルバーといった村側の人は、そうかもしれません。
秘密の花園」に名前だけ出てきた後見人の弁護士・ウィンクル氏や、ロンドンにいるという主治医(実在するのか不明)も同じでしょう。


ただアーサーはちょっと違うようです。


回答者さんはコミックス派だそうなのでまだ読んでいらっしゃらないと思うのですが、「青のパンドラ」Vol. 6 でアーサーは、シルバーに何度か村に連れて行ってもらったと話します。
その時初めてエドガーから、アランが一族に加わる儀式をしていないため村に行けないことを聞くのです。


つまりアーサーは事情を汲んで教えなかった訳ではないんですよね。
じゃあなぜ教えなかったのかといえば、単に聞かれなかったからかもしれないし、あるいは初めて村に行ったのが1976年にエドガーとアランの消息が途絶えた後だったからかもしれません。


②旧シリーズでエドガーはなぜアランを村に連れて行こうとしていたのか?


これも新シリーズで、アランが一族と認められていないという設定が加わって謎になりましたよね。


クロエなんて「本当は生かしておくこともできないわ!」とまで言ってるし(春の夢)。
村に行ったら消されてしまうかもしれないのに、なんで?


回答者さんの答えは「一面のバラをアランにひと目見せてやりたい」から。


なーるほどー!
私は全く思いつきませんでしたが、その可能性はありますよね。


アランがロンドンの公園のバラを見て「…すごいなァ どこまで行ってもバラだ エドガーが言ってたポーの村もきっとこんなふうなんだな……」と嬉しそうに言っていたのは「ユニコーン」Vol. 3 でした。
ポーの村にはもっとバラが咲いているでしょうから、エドガーとしては見せてやりたいと思うかもしれません。


「ポーの村は夢見るもので、2人の憧憬にとどめておきたい」という一文に心を掴まれました。


◆◆◆**◆◆◆


回答者さんが望むラストをまとめさせて頂くと、「ポーの村は場所を移して再建されるが、エドガーとアランはその場所を知らされず永遠に14歳のまま探し続ける。たまに友達と会いながら、ゆったりと人間界を浮遊する」ということになるでしょうか。


さながら「小鳥の巣」の最終ページのように手を取り合って。
それが2人の幸せであってくれたらいいな、と。


はい、私、ここにめちゃくちゃ共感いたしました。
なぜなら私も「小鳥の巣」のラストページが大大大好きだから!


と言っても「小鳥の巣」を未読の方や、読んだけどラストページを忘れちゃった方もおられるでしょうから、こちらに掲載させて頂きます。

 

(『萩尾望都パーフェクトセレクション6 ポーの一族Ⅰ』2007年 小学館より)

 


このページ、いつまでも眺めていたくなります。


ちなみにですね、はじめの3コマ――つまりアランが斜め後ろからエドガーの左肩に手を置き、エドガーが振り向いて微笑み合う流れは、宝塚版「ポーの一族」のラストシーンで再現されてブルーレイに収録されているんですよ。


もっとも収録後いつからか、この演出はなくなりましたけど。
マニアック過ぎてどうもすみません。


話をアンケートに戻して。


回答者さんがおっしゃるアランが青年になった姿は、フラワーコミックススペシャル『秘密の花園1』所収の番外編「月曜日はキライ」に登場します。
サラサラッと描かれているんですけど、「ああ、アランが成長したら10年後はこんな感じね」と納得。


でも私も24歳のエドガーってあまり想像できないんですよね。
顔つきや体つきが多少大人っぽくなるだけで、基本的に今と変わらないような…?


◆◆◆**◆◆◆

 

今回頂いた回答は、もしかしたら多くのファンが望んでいるラストに近いかもしれません。
でも、ちょっと違う、または全然違うラストを思い描いている方もいらっしゃるでしょう。
連載が再開されて思いつくこともあると思います。


もしよろしければ、それを当ブログに教えて頂けませんか?
自分1人が考えつくことなどタカが知れているので、他のファンの方の予想や願望をぜひ聞いてみたいと思っています。


「ラストはどうなるか」というだけでなく、「あの人がこんなことをするかも」「あのエピソードがこうなるんじゃない?」など何でも結構です。


フォームを使わずコメント欄に書いて頂いても大丈夫です。
お待ちしております ♪

 

回答フォームはこちらの記事内にあります ↓

(108)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケートを実施します - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

この記事以外の回答はこちらからご覧頂けます ↓

アンケート カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


◆◆◆**◆◆◆


さて、もはや旧聞に属する話ではありますが、最後に萩尾先生のニュースを。


先生は3月1日付で日本芸術院会員に就任されました!
先生、おめでとうございます!!

 

flowers.shogakukan.co.jp

 

会員は非常勤の国家公務員で任期は終身だそうです。
萩尾先生のますますのご活躍をお祈り申し上げます。

 

~2024. 4. 25 追記~


上の記事内で、アーサーとポーの村の関係を次のように書きました。


「回答者さんはコミックス派だそうなのでまだ読んでいらっしゃらないと思うのですが、「青のパンドラ」Vol. 6 でアーサーは、シルバーに何度か村に連れて行ってもらったと話します。
その時初めてエドガーから、アランが一族に加わる儀式をしていないため村に行けないことを聞くのです。


つまりアーサーは事情を汲んで教えなかった訳ではないんですよね。
じゃあなぜ教えなかったのかといえば、単に聞かれなかったからかもしれないし、あるいは初めて村に行ったのが1976年にエドガーとアランの消息が途絶えた後だったからかもしれません。」


ところが「青のパンドラ」を読み直していたところ、Vol. 1 でアーサーとバリーが次のように話す場面があることに気付きました。

 

(フラワーコミックススペシャル『ポーの一族 青のパンドラ1』2023年 小学館 p. 19)


アーサーはこう言っています。


「(バラ油などを)この頃は外注してるが
1950年頃までは ここでつくってた
シルバーにポーの村に案内されて…
そこで作り方を教わった」


エドガーは(一緒に)行っていない
あの村はアランを迎えてくれないそうだ
だからアランに気を使ったんだろう」


これが事実なら、こういうことですよね。


アーサーは、エドガーとアランが消息を絶つ1976年よりもずっと前からポーの村に行っていた

Vol. 1 の時点で、アランが村に受け入れてもらえないことを知っていた

 

そうだとしたらVol. 6 でアーサーは、アランが村に行けないことを初めて聞いた振りをしたのでしょうか?
それなら回答者さんがおっしゃるように、アーサーもエドガー達に村の場所を敢えて教えなかったのかもしれないですね。


私はこのVol. 1 の会話をすっかり忘れていまして、大変失礼いたしました。
今後真実が明らかになるのか見守りたいと思います。

 

 

(109)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケート結果①と継続のお知らせと萩尾先生のアングレーム国際漫画祭特別栄誉賞受賞

こんにちは。
記事のタイトルが長くてどうもすみません。


先月の記事(108)で「『ポーの一族』は今後どうなると思いますか? または、どのようなラストを迎えると思いますか?」というアンケートの告知を行いました。


募集しても誰も答えてくれないかもなあと思っていたのですが、嬉しいことにお1人書いてくださいまして、意表を突かれて面白かったのでご紹介させて頂きます(元の文章をまとめさせて頂いています)。


その方のご意見はですね、


「何となくエドガーとアランは人間に戻りそうな気がする。
他の一族も血の神の被害者なので、できれば全員人間に戻って大団円で終われば良いな」


えーっ
アランだけじゃなくて皆で人間に戻る!?
いやあ、考えたこともなかったです!


私はエドガーとアランが2人で永遠の旅を続けるというラストを信じて疑わなかったのですよ。
というのも、それが彼らにとって一番の幸せだと思ったからで。
でも人間として共に生きていくのも、違う形の幸せかもしれないですね。


ただ前提として、エドガーは人間に戻りたい、アランは戻りたくないという気持ちのギャップがあるので、そこを埋めないと。


そしてこれは完全に個人的なこだわりなのですが、2人には絶対に同い年でいてほしいんです。
だからアランが11月30日の誕生日に15歳になる前にエドガーに人間になってもらわねば。


エドガーとアランだけでなく一族全員が人間に戻るというのも面白いですね。
もし人間になったら、この21世紀の世の中でどうやって生きていくのかなあ。
どこかにコミュニティを作ってひっそり暮らすとか?


そして、この方がこう考えた理由がですね、


「新シリーズの読者は旧シリーズのファンが多い。
もう若くなく、人生の荒波を経験している世代。
先生はそういう読者を暗い気分にはさせないだろうし、ご自分も辛い話は嫌なのではないか。
だから新しいポーは悲しくなく辛くなく、「明日」へ向かっている。
エドガーは孤独ではなく、実は多くの仲間がいる一族の一員として描かれている」


何と新鮮な着眼点!
人生の折り返し点を過ぎた読者も先生自身も幸せになれる大団円。
それが皆で人間に戻ることなんですね。


新シリーズのエドガーは確かに孤独の影を漂わせていなくて、それが旧シリーズとの大きな違いの1つだなと思います。


旧シリーズのラストで「もう明日へは行かない」と草むらにうつ伏せに横たわっていたエドガー。

 

(『萩尾望都パーフェクトセレクション7 ポーの一族Ⅱ』2007年 小学館より)

 


それが新シリーズ開始のカラー予告では、草むらに仰向けに横たわってこちらを見ていて。

 

小学館『flowers』2016年6月号より)


この予告カットを見た時、私は新旧のシリーズが繋がっているのを感じたんですよ。
ここからエドガーは明日に向かって歩き始めたのかなあ。


というわけで、目からウロコのコメントをお寄せ頂き、どうもありがとうございました!


そしてアンケートですが、「ポーの一族」ファンの方々のお声をもっともっとお聞きしたいと思い、当面延長することにいたしました。


今後連載が再開されて物語が進んでいくうちに「もしかしたらこうなるかも?」「こうなってほしい」など思いついたことがありましたら、ぜひお聞かせくださいませ。


回答フォームでなくコメント欄に書いて頂いても構いませんので、お気軽にどうぞ。
よろしくお願いいたします ♪

 

回答フォームは、こちらの記事内にあります ↓

(108)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケートを実施します - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


この記事以外の回答はこちらからご覧頂けます ↓

アンケート カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


◆◆◆**◆◆◆


最後に、もうご存じの方も多いと思いますが萩尾先生のニュースを。


現在、フランスのアングレーム市立美術館で先生の特別回顧展が開催されていますが、先日先生はアングレーム国際漫画祭における特別栄誉賞を受賞されたそうです!
先生、おめでとうございます !!

 

flowers.shogakukan.co.jp


授賞式には先生も出席され、記者会見、サイン会、講演会が行われたようです。
『flowers』にレポが掲載されるでしょうか?
期待して待ちたいですね。

 

 

(108)「ポーの一族」これからどうなる!? アンケートを実施します

2024年が明けました。
元日の能登半島地震によって被災された皆様にお見舞い申し上げます。
2日には航空機事故も起きて不穏な年明けとなってしまいましたが、この1年が明るいものとなるよう祈るばかりです。


そんな中ではありますが、当ブログは相変わらず萩尾作品について書いてまいります。


ポーの一族」新シリーズは現在「青のパンドラ」Vol. 9 の第1回まで進んでおり、今年の初夏頃まで休載中。


衝撃的な展開の連続で先が全く読めず、そもそも先生の構想全体のどの辺りなのかも分かりません。
まだまだ話は膨らみながら続くのか、それとももう最終章に入りつつあるのか。


伏線らしきものが沢山ある一方で新キャラもどんどん登場してくるし、いや本当にどうなるんでしょうか?


私はエドガーとアランが2人で永遠の旅を続けるラストを信じているのですが、想像力の乏しさゆえ、そこに至るまでのストーリーを思い描けないんですよね。
「これが関係しそう」と思うものは色々あるんですけど。


そこで萩尾ファンの皆様はどんなストーリーを予想しているのかお聞きしたいと思い、アンケートを実施することにいたしました!
テーマはズバリ


「あなたは『ポーの一族』が今後どうなると思いますか?
または、どのようなラストを迎えると思いますか?」


妄想、願望、大歓迎ですので下記要領でぜひお聞かせください。


SNSとの連携さえしていない、こんな小さなブログのアンケートに答えてくださる方がいらっしゃるのか分からないのですが、もし回答を頂けましたらブログ上で発表したいと思います。


どうぞよろしくお願いいたします! 


◆◆◆ 回答方法 ◆◆◆


この記事の一番下に回答フォームのURLがありますので、そこからご記入ください。
(コメント欄に書いて頂いてもOKです。)


締切は2月4日(日)正午です。 →当面延長します。


ご記入頂くのはメールアドレスと回答のみです。


メールアドレスは公表いたしません。また第三者への提供も絶対にいたしません。


回答スペースに文字数制限はありませんので長文もOKです。ご自由にどうぞ。


回答スペースの下の「回答のコピーを自分宛に送信する」ボタンをオンにして送信すると、ご自分のアドレスに控が届きます。


新シリーズを全部読んでいなくても大丈夫です。想像力でお書きください。


昨年7月に女子美術大学で行われた特別講演の中で、萩尾先生が今後の展開を示唆するようなお話をちょっとだけなさっています。
記事(104)のリンクからレポートを読めますので参考にしたい方はどうぞ。
レポートの終わりの部分です。

(104)漫画家協会チャンネルのインタビューと女子美術大学特別講演 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


新シリーズの年表を確認したい方はこちらをどうぞ。

(102)「ポーの一族」新シリーズ年表 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ


◆◆◆**◆◆◆


アンケートフォームはこちらです

   ↓ ↓ ↓

https://forms.gle/CeqsSonesE4J6t3s5

 

これまで頂いた回答はこちらからご覧頂けます ↓

アンケート カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

(107)「青のパンドラ Vol. 9 ヨーク・ロイヤル・ダイヤモンドホテル_01」

激しくネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになってから、ぜひまたいらしてくださいね ♪

 

こんにちは。
1か月のお休みをはさんで「青のパンドラ」Vol. 9 がスタートしました!


タイトルの最後に「01」が付いているところをみると、少しずつ数回に分けて掲載されるようです。
今回は10ページ。


「ポーの村のバラがフォンティーンによって焼き尽くされてしまったため、シルバーが村人達をホテルに連れて来る。
そのホテルに家族と食事に来たライナーは、偶然カミラと再会。
でもカミラは、なぜかよそよそしい。
ロビーの一角ではライナーの娘のワンダがアルゴスに興味を持って近づき、アルゴスはライナーの妻を見て驚く――」


ストーリーはこれだけなんですけど、情報量の多さにびっくり。
思わずページ数を数えてしまいました。


ということで感想を始めましょう。
まずは一族の話から。
ここで扉絵をどうぞ!

 

小学館『flowers』2024年1月号より。以下同)

 

バスでホテルに辿り着いた20人の一族。
(どうでもいいことですが、あのバスはホテルの送迎バスですかね?)
こんな集団がロビーにいたら2度見してしまいそう。


驚いたのは、子どもがいること!

 

 

子どもは仲間に加えないはずなのに、なぜいるの?
親も一族なの?
見たところエドガーやアランより年下っぽい。
何年生きてるの?


まあ、こうして子どもが出てくるということは、先々何かあるんでしょうね。


それにしてもこの面々、個性的で面白すぎます。
ホテルもエレベーターもカードキーも、何ならバスさえ未知との遭遇で、いちいち大騒ぎ。
いやあ、シルバーも苦労しますね。


「ブラム・ストーカー クモの会」という架空のファンクラブを装うとはナイスアイデア
ブラム・ストーカーは小説「吸血鬼ドラキュラ」の作者なんですね。
「吸血鬼ドラキュラ」が発表されたのが1897年なので「19世紀愛好家」という説明も、なるほどと思われそう。


でも「クモの会」にはどういう意味があるのでしょうか?
ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示をお願いしたいです。


◆◆◆◆◆◆


ホテルに来たのはシルバーを入れて20人で、シルバー以外に人間界に慣れているのは「シュタイン先生」と呼ばれている人物だけのようです ↓

 

 

「先生」ということは医師とか弁護士とか?


この20人の他にゴールドを含む15人が、マリアとアイザックの手引きでヘルムスリー城近くの農家の廃屋に落ち着いたようです。
アイザックが「まだ仲間はあちこち隠れてるだろう」と言っているので、逃れてきた村人は全部で40~50人くらいでしょうか。


人間界と行き来がある一族は、シルバー、マリア、アイザック、シュタイン、ケイトリン。
ゴールドも?
エドガーやアーサーのように、ほとんど人間界で暮らしている人もいますね。
あと、村を追放されたクロエやバリー達も。


村に引きこもっていた人と人間界にいる人では、どっちが多いのかな?


15人の女性が落ち着いたヘルムスリーは、ノース・ヨークシャー州のノース・ヨーク・ムーアズ国立公園内にあり、中世の面影を残す町だそうです。
シルバー達のホテルはノース・ヨークシャー州の都市ヨークにあり、ヨークには大老ポーの仕事場もあります。


フォンティーンとバリーがいるのもヨークシャーの灯台
今、一族は主にヨークシャーに散らばっている状態なんですね。


ところで前々から一族の潤沢な財源が謎でしたが、今回ますます不思議になりました。
「ヨーク・ロイヤル・ダイヤモンドホテル」って名前からして高級そうで、20人が長期滞在したら相当な費用がかかりそう。


何か秘密結社があってそこから資金が出ているのかなあと思ってたんですけど、もしかして錬金術ですかね?
新シリーズになって空間移動とか催眠術とか記憶操作とか出てきているから、錬金術くらい軽く使えるんじゃないかと思うんですよ。


この謎もそのうち明かされるかな。


◆◆◆◆◆◆


さてさて、今回はカミラとライナーと、その周辺の人々も登場しました。


Vol. 5 でライナーも言っていたように、カミラという名前はレ・ファニュの小説「吸血鬼カーミラ」から採られているんでしょうね。
ブラム・ストーカーはこの小説に影響を受けて「吸血鬼ドラキュラ」を書いたそうです。


ちょっと話が逸れましたが、カミラはアルゴスに操られている状態なんでしょうか?


ギリシャ出身の祖父が亡くなったので葬式のためロンドンに行っていて、今日はギリシャ人の弁護士の宿泊手続きでホテルに来た」と話していますが…。


多分全部作り話かなと思うんですけど、ギリシャ人の弁護士ってアルゴスのことですかね?
とてもそうは見えませんが(笑)


そしてもっと気になるのはライナーの家族ですよ。


娘のワンダはVol. 5 でカミラに「お人形のようにかわいい ひとり娘ね でも病気 青白い肌に白っぽい髪…」と言われていました。
ぜんそくの発作をたびたび起こすようです。
この言葉からもっと病弱そうな子を想像していたんですけど、意外と元気でしたね。


それよりむしろワンダの母、つまりライナーの妻のダフネーの方が何かありそうな。
だってアルゴスが「こんなとこに……いたのか……」って驚いてるんですから。


でもダフネーはアルゴスに見覚えがない様子。
金髪の儚げで美しい人ですけど、ライナーと結婚していて子どももいるのだから人間ですよね?
その母親らしき女性も、生命力が強そうで人間にしか見えないし。


アルゴスが一方的に知っているだけなのか。
いつどこで会ったのか。
関係が気になります。


◆◆◆◆◆◆


さて、Vol. 9 はタイトルの通りホテルが主な舞台になるのでしょうか。
次回はエドガーとアランにも登場してもらいたいものです。


でも次回作が掲載されるのは来年の初夏頃とのこと。
毎年初冬頃から翌年の初夏頃まで休載ですが、最近は隔月掲載なので「青のパンドラ」が終わるまで長期のお休みはないんじゃないかと勝手に思っていました。


先生の休養期間かもしれませんが、もしかしたらこちらの関係かも。

 

flowers.shogakukan.co.jp

 

2024年1月25日から3月17日までフランスのアングレーム市立美術館で萩尾先生の特別回顧展が開催されるそうです!
先生も現地入りされるかもしれないですね。
そうしたら『flowers』にレポートが載るかも。


休載は残念ですが、首を長くして再開を待つことにしましょう。


◆◆◆◆◆◆


「青のパンドラ」これまでの感想はポーの一族カテゴリー一覧からご覧頂けます。よろしければどうぞ。

ポーの一族 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

 

 

(106)「小夜の縫うゆかた」「毛糸玉にじゃれないで」~等身大の日本の少女たち

こんにちは。
今月は「青のパンドラ」がお休みなので、久しぶりに萩尾先生のデビュー直後の作品をご紹介したいと思います。


初期作品は圧倒的に外国が舞台の話が多いのですが、今回取り上げるのは日本の少女の内面を描いた2作です。
2人とも私達と同じ日常を生きている、ごく普通の女の子です。


■■■■■■■■■■■■■■■■

「小夜(さよ)の縫うゆかた」

■■■■■■■■■■■■■■■■


「小夜の縫うゆかた」は『週刊少女コミック』1971年夏の増刊号(小学館)に掲載された16ページの小品です。
萩尾望都作品集』収録の最終ページには「1971年6月」と書かれています。

 

(『萩尾望都作品集2 塔のある家』1995年 小学館より。下も同)


初期作品は扉に言葉が書かれていることがよくありました。
この扉絵では、その言葉が主人公・小夜のモノローグになっています。


「小夜は十四
十四の夏は
ひまわりが
とても高い


しゃくやくの
つぼみ
去年よりおおい


なすの花青い
なすの実青い


赤と白と
だんだらの
白粉花オシロイバナ)が
咲きかおる


やつでのかげに
まだユキノシタの白い花」


ストーリーは――


~~~~~~~~~~~~


中学2年生の夏休み。
小夜は宿題のゆかたを縫い始めます。


ゆかた地は2年前に母が選んでくれた赤トンボの柄。
けれど母は、そのゆかたを縫う前に交通事故で亡くなりました。


生前、母は小夜と兄のために毎年ゆかたを新調してくれたものでした。
遺された残された赤トンボ柄の生地を裁ち、針を運びながら、小夜は母とゆかたにまつわる思い出を辿るのでした――


~~~~~~~~~~~~


これは少女のある1日の、ほんの数時間を描いた作品です。
そんな短い時間の話で、しかもたった16ページなのに、読み終わるとそれ以上の厚みを感じます。
ちなみに「小夜」という名前は先生のお姉様のお名前だそうです。


私がこの作品で特に素晴らしいなと思うのは、構成の巧みさです。
現在と過去を行きつ戻りつしながら時間が経過していくのですが、読者が迷子になることはありません。


その理由の1つは、思い出の中の小夜の年齢が幼い時から少しずつ上がっていって、2年前の母の死の前後で終わっているからでしょう。


もう1つは枠線の違いです。
現実の場面は通常の枠線ですが、過去の場面は基本的に枠線がないか、あっても細い線なので、混同せずスムーズに読み進めることができます。


それでいて現在と過去は互いに溶け合うように境界がおぼろで、自然に行き来できるのです。
個人的に印象深いのは、このページです。

 

 

母と同じ手つきで、ゆかたを縫う小夜。
母の顔がクローズアップされて一瞬現実に戻り、再び思い出に帰って、また戻ってくる。
小夜が感じている懐かしさ、思慕、淋しさ、切なさが、寄せては返す波のように伝わってきます。


画像は載せませんが次のページの事故当日の描写も、母を直接描いてはいないのに状況や兄妹の心情がまざまざと見えて、すごいなあと思います。


これらとは別に、現実の小夜の心の機微が描かれているところも見所です。


小夜が針仕事をしていると、高校生の兄が友人の畑(はた)を連れて講習から帰ってきます。


小夜は密かに畑に好意を寄せていて、話す時も普段は「お母ちゃん」と言うのに畑の前では「お母さん」と言い直したりする。


始めはゆかたの赤トンボ柄を友人に「子どもっぽい」と言われて「そうかなあ」と思ったりしたのが、畑の「かわいいゆかた縫ってんなあ」という言葉で気持ちが動く。


兄と畑。
恋バナを楽しむ仲良しの友人。
思い出の中の母。


大切な人々とのやりとりを経て、ラストページはこんなモノローグで終わります。


「……今年は ええのんよ
お母ちゃん


小夜は十四
針に糸とおして
今年は自分で ゆかた縫うの


家庭科の本も まえにあるし
おとなりのおばちゃんにも聞けるし


おととしの柄
とても小夜に似合うの
あれからずっと
背がのびたのよ………」


萩尾漫画で14歳は特別な年齢。
小夜も子どもと大人の「あわい」の時にいるのでしょう。
それが現在と過去が溶け合う構成とあいまって、作品の奥行きを深めているのだろうと思います。


~~~~~~~~~~~~


この作品を読むと私はいつも温かい気持ちになります。


1つには言葉のためかもしれません。
どこの地方か分からないのですが(先生は中高時代の一時期大阪に住んでいらしたので大阪? 違ったらすみません)、方言なので人情味を感じるんですよね。


そしてこれは年代差があるので人によって感じ方が違うと思いますが、昭和の香りが懐かしいんです。
この作品が描かれた1971年は昭和でいうと46年。
年齢がバレますが当時私は小学生で、作品に出てくる物が実際に身の回りにありました。


例えばダイヤル式の黒電話、夏の飲み物の定番カルピス、私の母が使っていたような買い物かごや針箱…。
私も小学生の頃には母や祖母が縫ってくれたゆかたを着て盆踊りに行ったものでした。


それに扉のモノローグに出てくる白粉花
この花が近所のあちこちに咲いていたので、白粉花と聞くと子ども時代の夏の情景がパーッと思い浮かぶんですよ。


作品中にも描かれていますが、この花です。

 

(フリー画像を使用しています)


何気ない日常が愛おしく思えてくる――これはそんな作品ではないでしょうか。


■■■■■■■■■■■■■■■■

「毛糸玉にじゃれないで」

■■■■■■■■■■■■■■■■


「毛糸玉にじゃれないで」は『週刊少女コミック』1972年2号に掲載された25ページの作品です。
萩尾望都作品集』の最終ページには「1971年12月」と記されています。

 

(『萩尾望都作品集5 3月ウサギが集団で』1995年 小学館より。下も同)


この扉絵からも分かるようにネコがスパイスになっている作品です。
ストーリーは――


~~~~~~~~~~~~


むつきは高校受験を間近に控え、志望校スレスレで息苦しい毎日を送っていました。


ある日の下校途中、キャベツ畑でまだ目も開いていない子ネコを拾います。
そして受験勉強の邪魔になると言う母の反対を押し切り、「バタ」と名付けて世話をするのでした。


期末テストの最中、むつきはカンニングを疑われますが、星という男子に助けられます。
星は成績優秀なのに下級生とボール遊びをするような受験生らしくない生徒でした。


入試まで2か月となり皆が疲れている頃、学校から帰ったむつきは母がバタを捨てたことを知ります。
探し回ると、バタは星に保護されていました。


それをきっかけに2人は話をします。
星は志望校のランクを下げて、入学後は勉強以外にもやりたいことをいっぱいやるのだと目を輝かせます。


むつきは初めて、自分のやりたいことは何だろうと考えるのでした――


~~~~~~~~~~~~


先生のご著書『一度きりの大泉の話』には、この作品のエピソードが書かれています。


「ちょっと時間を戻して、大泉で飼っていた猫の話をします。
バス停を降り、畑とキャベツ畑の道を10分ほど歩くと住宅地で、そこが長屋、住まいでした。


1971年の秋にキャベツ畑の道で子猫を見つけました。目も開いていません。ピーピーと鳴いています。
拾って帰りました。皆、飼うのを賛成してくれました。「バタ」と名づけました。

(中略)

この猫をモデルに描いたのが『毛糸玉にじゃれないで』25ページの短編です。
高校受験を控えた女子中学生の話です。」(p. 138-139)


これを読むと実際の出来事がかなり忠実に活かされているのが分かります。
先生もスポイトでミルクをあげたり、足をかじられたりしたのかもしれません。
様々なバタのポーズもスケッチを基にされたのでしょう。


続けて『一度きりの大泉の話』には、ご自身が中学3年生の時、どれほど勉強疲れだったかが書かれています。
それをそのまま描いたような、こちらのコマが印象的です。

 

 

「一高のために
たんたんと
感動もなく
覚えこむ知識


法則
方程式
原理
単語
語彙
人名
年代


……こういうものは
あたしの
なんになるんだろう」


ああ、分かります。
こういうこと、誰でも学生時代に一度は考えたことがありますよね。


『一度きりの大泉の話』は次のように続きます。


「疲れた中3時代の話を描きつつ、「やはり日本を舞台にしたものは辛いなあ」と思いました。
家族を描くのが辛いのです。厳しかった両親を思い出してしまうので。
以後は日本を舞台にしたものはシリアスではなく、コメディになりました。」(p. 139-140)


むつきの母は大変な教育ママです。
1970年代の初めは大学に進学する女子はまだ少なかったのですが、娘がランクの高い公立大学に行くことを望んでいます。
むつきは「あたし学者にも弁護士にもならない」と言いますが、おそらくそれが母の希望で、父も同じ考えなのでしょう。


先生のお母様も、それはそれは厳しい教育ママだったそうです。
有名な話ですが、ご両親とも漫画家という職業を低く見ていて「漫画なんてやめなさい」と言い続けておられたとか。


ラストのむつきの決断は、もしかすると逃げとか甘えと受け取られるかもしれません。
けれど自分が選んだ道を両親が受け入れてくれることは、当時の先生の願望だったのではないかなあと思います。


~~~~~~~~~~~~


最後に作品中の面白い手書き文字をご紹介します。

 

 

「吸血鬼の話を描きたい!」


冒頭の1コマ目です。
ポーシリーズの構想が膨らんでいた頃ですね。

 

 

 

「ハギオモトはミメウルワシ女でゴザル」
「ウは宇宙船のウ スはスペースのス キは吸血鬼のキ」


デビュー当初、お名前や作風や画風から先生を男性だと思っていた読者が少なからずいたようです。
そこで右のようなメッセージ(?)を書かれたのかもしれません。
左はSFやポーシリーズを描きたい!というお気持ちの表れですね。


■■■■■■■■■■■■■■■■

記事内の作品はこちらで読めます

■■■■■■■■■■■■■■■■


「小夜の縫うゆかた」「毛糸玉にじゃれないで」ともに

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■


1969-73年作品の過去記事はこちらからご覧いただけます。よろしければどうぞ。

1969-73年作品 カテゴリーの記事一覧 - 亜樹の萩尾望都作品感想ブログ