亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(106)「小夜の縫うゆかた」「毛糸玉にじゃれないで」~等身大の日本の少女たち

こんにちは。
今月は「青のパンドラ」がお休みなので、久しぶりに萩尾先生のデビュー直後の作品をご紹介したいと思います。


初期作品は圧倒的に外国が舞台の話が多いのですが、今回取り上げるのは日本の少女の内面を描いた2作です。
2人とも私達と同じ日常を生きている、ごく普通の女の子です。


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「小夜(さよ)の縫うゆかた」

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「小夜の縫うゆかた」は『週刊少女コミック』1971年夏の増刊号(小学館)に掲載された16ページの小品です。
萩尾望都作品集』収録の最終ページには「1971年6月」と書かれています。

 

(『萩尾望都作品集2 塔のある家』1995年 小学館より。下も同)


初期作品は扉に言葉が書かれていることがよくありました。
この扉絵では、その言葉が主人公・小夜のモノローグになっています。


「小夜は十四
十四の夏は
ひまわりが
とても高い


しゃくやくの
つぼみ
去年よりおおい


なすの花青い
なすの実青い


赤と白と
だんだらの
白粉花オシロイバナ)が
咲きかおる


やつでのかげに
まだユキノシタの白い花」


ストーリーは――


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中学2年生の夏休み。
小夜は宿題のゆかたを縫い始めます。


ゆかた地は2年前に母が選んでくれた赤トンボの柄。
けれど母は、そのゆかたを縫う前に交通事故で亡くなりました。


生前、母は小夜と兄のために毎年ゆかたを新調してくれたものでした。
遺された残された赤トンボ柄の生地を裁ち、針を運びながら、小夜は母とゆかたにまつわる思い出を辿るのでした――


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これは少女のある1日の、ほんの数時間を描いた作品です。
そんな短い時間の話で、しかもたった16ページなのに、読み終わるとそれ以上の厚みを感じます。
ちなみに「小夜」という名前は先生のお姉様のお名前だそうです。


私がこの作品で特に素晴らしいなと思うのは、構成の巧みさです。
現在と過去を行きつ戻りつしながら時間が経過していくのですが、読者が迷子になることはありません。


その理由の1つは、思い出の中の小夜の年齢が幼い時から少しずつ上がっていって、2年前の母の死の前後で終わっているからでしょう。


もう1つは枠線の違いです。
現実の場面は通常の枠線ですが、過去の場面は基本的に枠線がないか、あっても細い線なので、混同せずスムーズに読み進めることができます。


それでいて現在と過去は互いに溶け合うように境界がおぼろで、自然に行き来できるのです。
個人的に印象深いのは、このページです。

 

 

母と同じ手つきで、ゆかたを縫う小夜。
母の顔がクローズアップされて一瞬現実に戻り、再び思い出に帰って、また戻ってくる。
小夜が感じている懐かしさ、思慕、淋しさ、切なさが、寄せては返す波のように伝わってきます。


画像は載せませんが次のページの事故当日の描写も、母を直接描いてはいないのに状況や兄妹の心情がまざまざと見えて、すごいなあと思います。


これらとは別に、現実の小夜の心の機微が描かれているところも見所です。


小夜が針仕事をしていると、高校生の兄が友人の畑(はた)を連れて講習から帰ってきます。


小夜は密かに畑に好意を寄せていて、話す時も普段は「お母ちゃん」と言うのに畑の前では「お母さん」と言い直したりする。


始めはゆかたの赤トンボ柄を友人に「子どもっぽい」と言われて「そうかなあ」と思ったりしたのが、畑の「かわいいゆかた縫ってんなあ」という言葉で気持ちが動く。


兄と畑。
恋バナを楽しむ仲良しの友人。
思い出の中の母。


大切な人々とのやりとりを経て、ラストページはこんなモノローグで終わります。


「……今年は ええのんよ
お母ちゃん


小夜は十四
針に糸とおして
今年は自分で ゆかた縫うの


家庭科の本も まえにあるし
おとなりのおばちゃんにも聞けるし


おととしの柄
とても小夜に似合うの
あれからずっと
背がのびたのよ………」


萩尾漫画で14歳は特別な年齢。
小夜も子どもと大人の「あわい」の時にいるのでしょう。
それが現在と過去が溶け合う構成とあいまって、作品の奥行きを深めているのだろうと思います。


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この作品を読むと私はいつも温かい気持ちになります。


1つには言葉のためかもしれません。
どこの地方か分からないのですが(先生は中高時代の一時期大阪に住んでいらしたので大阪? 違ったらすみません)、方言なので人情味を感じるんですよね。


そしてこれは年代差があるので人によって感じ方が違うと思いますが、昭和の香りが懐かしいんです。
この作品が描かれた1971年は昭和でいうと46年。
年齢がバレますが当時私は小学生で、作品に出てくる物が実際に身の回りにありました。


例えばダイヤル式の黒電話、夏の飲み物の定番カルピス、私の母が使っていたような買い物かごや針箱…。
私も小学生の頃には母や祖母が縫ってくれたゆかたを着て盆踊りに行ったものでした。


それに扉のモノローグに出てくる白粉花
この花が近所のあちこちに咲いていたので、白粉花と聞くと子ども時代の夏の情景がパーッと思い浮かぶんですよ。


作品中にも描かれていますが、この花です。

 

(フリー画像を使用しています)


何気ない日常が愛おしく思えてくる――これはそんな作品ではないでしょうか。


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「毛糸玉にじゃれないで」

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「毛糸玉にじゃれないで」は『週刊少女コミック』1972年2号に掲載された25ページの作品です。
萩尾望都作品集』の最終ページには「1971年12月」と記されています。

 

(『萩尾望都作品集5 3月ウサギが集団で』1995年 小学館より。下も同)


この扉絵からも分かるようにネコがスパイスになっている作品です。
ストーリーは――


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むつきは高校受験を間近に控え、志望校スレスレで息苦しい毎日を送っていました。


ある日の下校途中、キャベツ畑でまだ目も開いていない子ネコを拾います。
そして受験勉強の邪魔になると言う母の反対を押し切り、「バタ」と名付けて世話をするのでした。


期末テストの最中、むつきはカンニングを疑われますが、星という男子に助けられます。
星は成績優秀なのに下級生とボール遊びをするような受験生らしくない生徒でした。


入試まで2か月となり皆が疲れている頃、学校から帰ったむつきは母がバタを捨てたことを知ります。
探し回ると、バタは星に保護されていました。


それをきっかけに2人は話をします。
星は志望校のランクを下げて、入学後は勉強以外にもやりたいことをいっぱいやるのだと目を輝かせます。


むつきは初めて、自分のやりたいことは何だろうと考えるのでした――


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先生のご著書『一度きりの大泉の話』には、この作品のエピソードが書かれています。


「ちょっと時間を戻して、大泉で飼っていた猫の話をします。
バス停を降り、畑とキャベツ畑の道を10分ほど歩くと住宅地で、そこが長屋、住まいでした。


1971年の秋にキャベツ畑の道で子猫を見つけました。目も開いていません。ピーピーと鳴いています。
拾って帰りました。皆、飼うのを賛成してくれました。「バタ」と名づけました。

(中略)

この猫をモデルに描いたのが『毛糸玉にじゃれないで』25ページの短編です。
高校受験を控えた女子中学生の話です。」(p. 138-139)


これを読むと実際の出来事がかなり忠実に活かされているのが分かります。
先生もスポイトでミルクをあげたり、足をかじられたりしたのかもしれません。
様々なバタのポーズもスケッチを基にされたのでしょう。


続けて『一度きりの大泉の話』には、ご自身が中学3年生の時、どれほど勉強疲れだったかが書かれています。
それをそのまま描いたような、こちらのコマが印象的です。

 

 

「一高のために
たんたんと
感動もなく
覚えこむ知識


法則
方程式
原理
単語
語彙
人名
年代


……こういうものは
あたしの
なんになるんだろう」


ああ、分かります。
こういうこと、誰でも学生時代に一度は考えたことがありますよね。


『一度きりの大泉の話』は次のように続きます。


「疲れた中3時代の話を描きつつ、「やはり日本を舞台にしたものは辛いなあ」と思いました。
家族を描くのが辛いのです。厳しかった両親を思い出してしまうので。
以後は日本を舞台にしたものはシリアスではなく、コメディになりました。」(p. 139-140)


むつきの母は大変な教育ママです。
1970年代の初めは大学に進学する女子はまだ少なかったのですが、娘がランクの高い公立大学に行くことを望んでいます。
むつきは「あたし学者にも弁護士にもならない」と言いますが、おそらくそれが母の希望で、父も同じ考えなのでしょう。


先生のお母様も、それはそれは厳しい教育ママだったそうです。
有名な話ですが、ご両親とも漫画家という職業を低く見ていて「漫画なんてやめなさい」と言い続けておられたとか。


ラストのむつきの決断は、もしかすると逃げとか甘えと受け取られるかもしれません。
けれど自分が選んだ道を両親が受け入れてくれることは、当時の先生の願望だったのではないかなあと思います。


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最後に作品中の面白い手書き文字をご紹介します。

 

 

「吸血鬼の話を描きたい!」


冒頭の1コマ目です。
ポーシリーズの構想が膨らんでいた頃ですね。

 

 

 

「ハギオモトはミメウルワシ女でゴザル」
「ウは宇宙船のウ スはスペースのス キは吸血鬼のキ」


デビュー当初、お名前や作風や画風から先生を男性だと思っていた読者が少なからずいたようです。
そこで右のようなメッセージ(?)を書かれたのかもしれません。
左はSFやポーシリーズを描きたい!というお気持ちの表れですね。


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記事内の作品はこちらで読めます

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「小夜の縫うゆかた」「毛糸玉にじゃれないで」ともに

 

 

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