亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(27)「ポーの一族」イラスト集~予告・表紙・合同扉絵①

ポーの一族」イラスト集は綴じ込み付録に続いて旧作の予告カット・表紙カット・合同扉絵を作品発表順にご紹介していきたいと思います。
合同扉というのは、作品ごとの扉とは別に設けられた2~4作品合同のカラー扉のことです。昔の『別コミ』にはよくあり、例えば「フレッシュ3人集」や「デラックスけっ作4人集」などといったキャッチフレーズが付いていました。
この①では「すきとおった銀の髪」「ポーの村」「グレンスミスの日記」のイラストをご紹介します。

 

特に記載のない限り出版元は小学館です。
ほとんどが古い雑誌のコピーの画像ですのでコンディションが良くないものもあります。特にモノクロは不鮮明だったり裏写りしたりしています。また、絵の傾きを補正しきれていません。どうぞご了承ください。
このイラスト集は旧作のレアなイラストをご紹介してファンの方にポーの世界をより楽しんで頂きたいという思いで作りました。萩尾先生ならびに小学館様より削除のご要請がありました場合は速やかに削除いたします。

 


「すきとおった銀の髪」

予告カット
別冊少女コミック』1972年2月号(※作品ではなく予告の掲載号です。以下同)

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カラーはメリーベルと出会った時のチャールズ、モノクロは再会した時のチャールズです。

 


「ポーの村」

予告カット
別冊少女コミック』1972年6月号

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合同扉絵
別冊少女コミック』1972年7月号
(画像は『デビュー40周年記念 萩尾望都原画展』(2009年 「萩尾望都原画展」実行委員会/トラフィックプロモーション)より)

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「すきとおった銀の髪」「ポーの村」のカットは、エドガーは小さく描かれているだけでメリーベルがメインですね。
当時の少女漫画では主人公は女の子と決まっていたので、男の子が主人公だと読者に受け入れてもらえない心配があったのかもしれません。

 


「グレンスミスの日記」

予告カット
別冊少女コミック』1972年7月号

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予告では「グレンスミス」が「グレン・スミス」になっていますね。
モノクロの方に「ファンタジックシリーズ」と書かれているのが珍しいです。
カラーはモノクロと同じ絵なのですが…
「え、このダークブラウンヘアの男の子、誰!?」って思いませんか?
私は一瞬ユーリかと思ったのですが、いやいや、そんなバカな。
次にルイスかと思いましたが、モノクロの方はエドガーと並んでいるし、微笑んでいることからしてもアランですよね。びっくりです!
ちなみに「グレンスミスの日記」本編のアランとルイスはこちらです。
(画像は『萩尾望都パーフェクトセレクション6 ポーの一族Ⅰ』より)

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念のため右からアラン、エドガー、ルイスです。

 

(26)「ポーの一族」イラスト集~綴じ込み付録③

ポーの一族」イラスト集~綴じ込み付録の最後です。


特に記載のない限り出版元は小学館です。
ほとんどが古い雑誌のコピーの画像ですのでコンディションが良くないものもあります。どうぞご了承ください。
このイラスト集は旧作のレアなイラストをご紹介してファンの方にポーの世界をより楽しんで頂きたいという思いで作りました。萩尾先生ならびに小学館様より削除のご要請がありました場合は速やかに削除いたします。


『週刊少女コミック』1976年1号
年賀状(2018. 9. 18 追加)

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読者プレゼントの年賀状です。
シックなエドガーのポートレート
こういうマント姿はエドガーの定番スタイルですね。
流し目に思わずドキッとします。
この企画ページには先生方のコメントも付いていました。
萩尾先生のコメントは次のとおりです。

「たくさんのお手紙ありがとう。’76年も、“ポーの一族”をよろしく。」


『週刊少女コミック』1976年4・5号
’76星うらない付き 少コミ 名作ポスター
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とてもドラマチックな絵柄のポスターです。
リーベルとユーシスの華やかさと、青白く浮かび上がるエドガー達バンパネラの異質さが対照的。
踊るメリーベルとユーシスの姿は舞踏会の場面を彷彿させますが、髪をなびかせて見つめ合う2人からは激しい胸の鼓動が伝わってくる一方で、悲劇の幕が切って落とされようとする緊迫した空気も感じられます。
画像はトリミングしていますが、この絵の下には星占いが付いています。
裏面は竹宮惠子先生の「ファラオの墓」の星占い付きポスターでした。


『週刊少女コミック』1976年10号
少コミ特製 ポーの一族バレンタイン・カード
(画像はセイカ永遠の少女マンガぬりえ5 ポーの一族」より)

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この絵はあちこちで使われているので「ポーの一族」のイラストとしては最も有名かもしれません。
大きく引き伸ばされていたりするので掲載誌をご覧になっていない方は意外に思われるでしょうが、カードの実物は外枠を含めても約14.6×10.2センチの葉書サイズしかないのです。
私はデビュー40周年記念原画展で原画を観る機会に恵まれましたが、原画も小さいものでした。
レースの部分まで丁寧に描き込まれていて、とても優美で上品なポートレートです。


『週刊少女コミック』1976年14号
小学館漫画賞受賞記念 夢のデラックス・ポスター ポーの一族

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萩尾先生の第21回小学館漫画賞受賞記念特大号に付いていたポスターです。
縦約36.8×横約26.0センチと、ちょうど見開き2ページ分の大きさがあります。
マンドリンを弾くエドガーと、ささやきを交わすメリーベル
背景の緑にとても映えますね。
この絵は『萩尾望都対談集1970年代編 マンガのあなたSFのわたし』(2012年 河出書房新社)の帯に使われています。


別冊少女コミック』1976年4月号
小学館漫画賞受賞記念 アンコールポスター
(画像はセイカ永遠の少女マンガぬりえ5 ポーの一族」より)

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こちらも小学館漫画賞受賞記念のポスター。
「エディス」前編の掲載号に付きました。
エヴァンズの遺書」後編の扉絵です。
この絵も割とあちこちで使われているのでメジャーな方ではないかと思います。
残念ながらフラワーコミックスの「エヴァンズの遺書」には収録されていません。


別冊少女コミック』1976年7月号
ポーの一族 イラストポエム

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「エディス」が終了し、第2シリーズが完結した翌月号に付いた華やかなイラストポエムです。
当時、「ポーシリーズは本当にもう終わってしまったの?」と半信半疑の状態だったので、このイラストを見て「やっぱりまだ終わりじゃないよね」と自分に言い聞かせたものでした。
その後、もう続きはないのだとわかって、がっかりしていましたが…
あれから40年。やっぱり終わっていませんでした!!
ポエムは1行目が切れてしまったのですが全文は次のとおりです。

「夜のあけそめに目をさまし
ただ音もない静けさを
この身の中にひきこめば
花の色さえとけだして
なにかけだるいモノローグ
きみ ロンドを踊ろう
ゆるやかに
きみ ロンドを踊ろう
くりかえし
きみ ロンドを踊ろう
   え・詩/萩尾望都

2人は「小鳥の巣」でも軽やかにワルツを踊っていましたね。
昔はダンスが上流階級のたしなみでしたし、彼らもつれづれに踊ったりしたのでしょうか。
私はずっとこのイラストポエムを2人が一緒に旅している時の情景だと思っていたのですが、最近もしかするとアランがいなくなってしまった後のエドガーのモノローグかもしれないと思うようになりました。
夜明けに1人目覚めたエドガーがアランの思い出を辿っているのではないか、と。
もちろん違うかもしれませんが、そう思うとこのイラストポエムが全く違うものに見えてきます…。
この絵は「チェリッシュ・ギャラリー 萩尾望都 自選複製原画集」(1978年 白泉社)のカバー裏に使われています。


別冊少女コミック』1976年8月号
ポーの一族名場面集

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左下に作品リストが載っています。
絵は予告カットと表紙カットで構成されていて初出は次のとおりです。

〈上列 左から右へ〉
エドガー:「メリーベルと銀のばら」第3話予告カット
エドガーとアラン:「小鳥の巣」第3話予告カット
リーベル:未確認
エドガーとメリーベル:「メリーベルと銀のばら」第1話予告カット
エドガーとアラン:「小鳥の巣」第1話予告カット

〈下列 左から右へ〉
エドガーとアラン:「ピカデリー7時」予告カット
シーラとクリフォード:「ポーの一族」第3話予告カット
リデル:「リデル・森の中」表紙カット


別冊少女コミック』1976年8月号
ポーの一族アイロンプリント

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あまり鮮明でなくて申し訳ないのですが、上の名場面集と同じ号に付いていたアイロンプリントで実物は赤い色です。
アイロンプリントなのでオリジナルの絵と逆向きになっています。
それぞれの初出は次のとおりです。

左端 アラン:「一週間」扉絵
上列左 エドガー(アップ):「エディス」後編予告カット
上列右 エドガー(上半身):「一週間」本編内
下列左 エドガーとアラン:「小鳥の巣」本編内
下列右 ロゼッティ(ローザ):「ポーの一族」本編内のアランが持っていた焼き絵。メリーベルではありません。

この号には萩尾先生と羽仁未央さん(当時12歳)の対談を含む「ポーの一族」特集も5ページに渡って掲載されていました。

 


ポーの一族」イラスト集、次回は予告カット・表紙カットをご紹介する予定です。

 

 

(25)「ポーの一族」イラスト集~綴じ込み付録②

ポーの一族」イラスト集~綴じ込み付録の続きです。


特に記載のない限り出版元は小学館です。
ほとんどが古い雑誌のコピーの画像ですのでコンディションが良くないものもあります。どうぞご了承ください。
このイラスト集は旧作のレアなイラストをご紹介してファンの方にポーの世界をより楽しんで頂きたいという思いで作りました。萩尾先生ならびに小学館様より削除のご要請がありました場合は速やかに削除いたします。


『週刊少女コミック増刊フラワーコミック』1974年夏の号
イラストピンナップ 萩尾望都ポーの一族」――バンパネラの洗礼――

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「洗礼」という言葉でいいのかな?とも思いますが、大老ポーにエネジイを授けられるエドガーです。
右下に男爵の姿も見えます。
そして左の方には原作のセリフが添えられています。

「…朝までには時間がある
…今じゃない! ぼくがおとなになって……
…幸運な子だ 大老(キング・ポー)の血を……
 ――「ポーの一族」2(フラワー・コミックス)
    メリーベルと銀のばらより――」

このイラストの原画は読者プレゼントでした。
当たった方、部屋に飾るのはちょっと怖かったのではないかと思うのですが…今もお持ちなのでしょうか。


別冊少女コミック』1974年9月号
ジャンボイラストポスター ポーの一族

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縦約34.5×横約20.5センチの、A4サイズより少し縦長のポスターです。
私は昔、このポスターを部屋に貼っていました (*^-^*)
2人きりでしなやかに時を駆けていくエドガーとアランの姿を、うっとり眺めていたものです。
この絵を見ていると作品中の詩が浮かんできます。

「通りすぎる
ときどきの間(ま)に
ささやき 笑い
まなざしを送りかわし

夢を織る
人びとの
あいだを
走り走り

このときの
流れの果てに
なにかあるのなら……」
(「ポーの一族」より)

「時の風よ
といきよ夢よ
走り 走れ
輝きのいまだ
見えぬ地平へ」
(「エディス」より) 


別冊少女コミック』1974年10月号
別コミにんきまんが主人公イラスト集 エドガー

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約9.2×4.4センチの小さいサイズながら繊細な絵です。
樹の上で物思いにふけるエドガー。
「メリーベルと銀のばら」での、月明かりに照らされた樹の上でメリーベルに忘れられることに涙していた姿や、「小鳥の巣」での「つれていくな つれていくな――」の場面が思い出されます。
ちなみにこの主人公イラスト集、他の絵は竹宮惠子先生の「空がすき!」よりタグとジュネ、岸裕子先生の「恋はどこから」より玉三郎大島弓子先生の「ジョカへ…」よりジョカとシモンでした。


別冊少女コミック』1974年11月号
フラワーコミックスにんきまんがシール

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フラワーコミックスの最初の3タイトルのキャラクターシールです。
シールと言っても糊は付いていません。
上から刊行順に「ポーの一族」、上原きみこ先生の「ロリィの青春」、竹宮惠子先生の「空がすき!」です。
とても繊細な絵なのに、掲載誌では1つが約2.8×2.0センチという切手サイズの小ささなのです。
なんと勿体ない!
せめてエドガーだけでも、もう少し大きいサイズでご覧ください。
(画像はセイカ永遠の少女マンガぬりえ5 ポーの一族」より)

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美しいですね~!


別冊少女コミック』1975年6月号
別コミ イラストピンナップ 怪奇ロマン ポーシリーズより〈エドガー〉

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第2シリーズが始まり、「リデル・森の中」掲載号に付いていたピンナップです。
画像はトリミングしていますが、左側がカレンダーになっています。
縦笛を吹くエドガーの端正なポートレート
この頃の萩尾先生のイラストは楽器を手にしている人物をよく見るような気がします。
このような単色のイラストは珍しく、独特の雰囲気を醸し出していますね。
ところでタイトルの「怪奇ロマン」って…と思ってしまうのですが、掲載誌の予告などではポーシリーズは最後まで「怪奇ロマンシリーズ」と書かれているのです。
ファンタジーとは認識されていなかったのでしょうか。


『週刊少女コミック』1975年32号
まんが家から書中見舞い状プレゼント

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読者プレゼント企画(各3名)の暑中見舞です。
萩尾先生には珍しいタッチの可愛いアラン。
着ている服は「一週間」の寝間着と同じですね。
私はジューンの言葉からアランに「森の精」のイメージを抱いているのですが、この絵はまさにそのイメージにぴったりで大好きです。


『週刊少女コミック』1975年51号
ポーの一族クリスマスカード エドガー

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光がゆらめく水底で夢を見ているようなエドガー。
幻想的で美しいクリスマスカードです。
この絵は単行本やデビュー40周年記念原画展図録に収載されているほか、海外版の表紙にも使われています。

 

 

(24)「ポーの一族」イラスト集~綴じ込み付録①

今回から数回に分けて「ポーの一族」の旧作のイラストをご紹介していきたいと思います。
最初は雑誌に綴じ込みで付いていたポスターなどです。


特に記載のない限り出版元は小学館です。
ほとんどが古い雑誌のコピーの画像ですのでコンディションが良くないものもあります。どうぞご了承ください。
このイラスト集は旧作のレアなイラストをご紹介してファンの方にポーの世界をより楽しんで頂きたいという思いで作りました。萩尾先生ならびに小学館様より削除のご要請がありました場合は速やかに削除いたします。


『週刊少女コミック』1973年16号
少コミ愛の名場面集 ロミオとジュリエット

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いきなりですが、こちらは綴じ込み付録ではなく見開き2ページのカラーイラストです。
『週刊少女コミック』(少コミ)1973年16号(4月15日号)掲載ですので、『別冊少女コミック』(別コミ)で「小鳥の巣」が連載されていた頃の作品だと思います。
ロミオとジュリエットになったエドガーとメリーベル
毅然と前方を見据えた力強い眼差しが印象的です。
確かにロミオとジュリエットなのですが、何だかエドガーとメリーベルがしっかりと手を取り合って呪わしい運命に立ち向かおうとしているようにも見えますね。
右下の赤ベタ内の文章は次のとおりです。

シェイクスピア原作ロミオとジュリエットの悲恋物語萩尾望都先生のすばらしい筆であなたの前に再現してみました!」


別冊少女コミック』1973年8月号
別コミにんきまんがの先生から あなたへ 夏のごあいさつ……

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「小鳥の巣」が終了し第1シリーズが完結した翌月号に付いていた、『別コミ』の作家さん方による暑中見舞の1つです。
緑の風の中のアランという感じで涼やかですね。
この絵を見ると私は「一週間」のジューンのセリフを思い出します。

「あの子って そら 森の精みたいじゃない?
わたしたち 名まえしか知らないわ
ほんとに いたのかしら?」

瞳の色が緑ということもあって、私の中でアランのイメージカラーはこの絵のような緑です。
エドガーはやっぱり青でしょうか。


『週刊少女コミック』1973年31号
まんが家からの暑中見舞い状プレゼント(2019. 4. 20 追加)

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上のアランと同じく緑を基調にしたメリーベルの暑中見舞です。
リーベルの瞳の色も緑なのですよね(宝塚版は青でしたけど)。
赤いペンダントがアクセントですね。


別冊少女コミック』1973年10月号
秋のけっ作イラストしおり

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切り取ってリボンを付けて使うしおりです。
記憶が今ひとつ曖昧なのですが、昔持っていた『週刊少女コミック増刊フラワーデラックス』(1976年)の「ポーの一族・イラスト&メルヘン大特集」にこの絵が載っていて「初期の習作」というようなことが書かれていた気がします。


~2018. 10. 5 追記~
『フラワーデラックス』を確認したところ、上に書いたような記述はありませんでした。
いい加減な情報を載せてしまい大変申し訳ありません。
ただ、同じページに載っている絵には「発表前のエドガーとメリーベル(未発表)」と書かれていました。
2つの絵の画像を記事(43)にアップしましたので、よろしければどうぞ。

(43)「ポーの一族」イラスト集~その他 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

『週刊少女コミック』1973年51号
クリスマスカード(2019. 4. 20 追加)

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クリスマスカードの左部分で、この右側は別の絵になっています。
ポーの一族」とは特に書かれていないのですが、エドガー、アラン、メリーベルだと思うのでこちらに載せました。
萩尾先生のこういう素描風の絵が私はとても好きです。


別冊少女コミック』1974年1月号
(画像は『萩尾望都パーフェクトセレクション6 ポーの一族Ⅰ』より)
イラストカレンダー

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この頃はカレンダー付きのイラストが、よく綴じ込み付録になっていました。
白磁の肌をしたエドガーの妖しい美しさが印象的です。
林の中のエドガーとアランのシルエットは「ポーの一族」で砦跡に行く場面のようでもあり、「小鳥の巣」の沼地のようでもありますね。


『週刊少女コミック増刊フラワーコミック』1974年春の号
萩尾望都イラストカレンダー

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お母さん(メリーウェザー)の夢を見ているエドガーでしょうか。

「春らんまんの花の中
香るさんざし 白い窓
緑のコテージで待っていた娘」
「メリーウェザー
かの おちぶれた男爵家の末娘
彼女だけには心をつくし
ひたすら愛し しげく通い」
(「メリーベルと銀のばら」より エヴァンズ伯爵)

「霧の夜――
行ってしまった馬車――
どこか遠くの おぼろな記憶…
ゆりかご… さんざし… 白い窓…
ほんとにあれは…
あれは いつかの日びの ことかしら……」
(「メリーベルと銀のばら」より エドガー)

もしお母さんが早くに亡くならなければエドガーとメリーベルは森に捨てられることもなく、この絵のような幸せな子ども時代を過ごして人間としての限りある命を全うできたのでしょう。
でも、それは夢なのですね。
「エディス」のラストでもエドガーは、メリーベルやシーラや老ハンナとともにお母さんを想っています。
エドガーが一番帰りたかった幸せな場所、それはお母さんのそばだったのでしょうか。


『週刊少女コミック増刊フラワーコミック』1974年春の号
萩尾望都ポーのアルバム〈はるかなるポーの一族によせて〉

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1つ上のイラストカレンダーの裏面に掲載された絵で、第1シリーズの主要登場人物が描かれています。
左下のテオが切れてしまいました。テオファンの方、申し訳ありません。
掲載誌ではパープルっぽい色で印刷されているのですが、モノクロコピーのため画像は黒になっています。
この絵は『萩尾望都パーフェクトセレクション7 ポーの一族Ⅱ』に収録されていて、そちらは2色刷りです。また、画面下部のタイトルと文章は入っていません。
『パーフェクトセレクション』の方はキャラクター名が萩尾先生の手書きですが、こちらは活字に組み直してあるため「エヴァンズ伯」の「ズ」が「ス」になっています。


『週刊少女コミック増刊フラワーコミック』1974年春の号
萩尾望都イラストピンナップ〈エドガー〉

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こちらも上の2つと同じ雑誌に掲載されました。
綴じ込み付録ではなく「3月ウサギが集団で」の扉絵の裏面で、下部分が「トーマの心臓」の新連載予告になっています。
エドガー、なまめかしく美しいですね!
まさに「凍てついた星のように青い」瞳に射貫かれてしまいそうです。
2つ上のイラストカレンダーと同時掲載ですが、絵のタッチはかなり違いますね。
カレンダーの方はもっと早い時期に描かれたのかもしれません。

 

 

記事(21)に画像を載せました

「(21)ヨハンナスピリッツのパイの謎」に「トーマの心臓」と「こんにちは⇔さようなら」のパイの絵を載せました。

(21)ヨハンナスピリッツのパイの謎 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

 

(23)萩尾望都SF原画展@佐野美術館に行ってきました

12月15日(金)、静岡県三島市の佐野美術館で開催されていた「萩尾望都SF原画展」に行ってきました。
この原画展は2016年の吉祥寺からスタートして新潟・神戸と巡回し、三島は4か所目です。
私は吉祥寺にも行って原画の美しさに感動したのですが、新潟から大幅にスケールアップしたと聞いてぜひとも観たくなったのでした。


三島駅で友人と合流し、3両編成の可愛い伊豆箱根鉄道に2駅揺られて三島田町駅へ。
すると改札の横の掲示板にポスターが!
歓迎されているみたいで嬉しくて思わず記念写真(友人撮影)。

 

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美術館は駅から歩いてすぐ。
入口を入ると、この原画展のお約束になっている撮影コーナーです。

 

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展示室に行く前に映像コーナーへ。
そこでは神戸で行われた萩尾先生と森見登美彦さんの対談のダイジェスト版VTRが流れていました。
お2人とも穏やかな方で、ほのぼのとした雰囲気の中、SFにまつわる面白いお話をいろいろ聞けました。


さて、いよいよ展示室。
佐野美術館は新潟・神戸の会場と比べると小さいので、展示数が若干少ないそうですが、それでも吉祥寺では見られなかった原画や複製原画が沢山あって感激でした。展示総数は約400点だそうです。


特に寓話のようで大好きな「月蝕」のモノクロ原稿を12枚すべて見られたのが嬉しかったです。
これは1979年の作品で、繊細な線、黒と白のコントラスト、不穏な森の描写など、その美しさに溜息が出そうでした。


左ききのイザン」と「いたずららくがき」も原稿が全ページありましたし、「11人いる!」「スター・レッド」「百億の昼と千億の夜」「マージナル」なども複製ではあるものの20枚以上連続したページの展示なので、眺めるというよりはじっくりと読んでしまいます。


「11人いる!」の貴重なプロットも2枚ありました。
場面ごとの人物の心理状態が細かく設定されていて、不安と安定を交互に配してストーリーを構成し、クライマックスに向かって盛り上げていくなど、創作の一端を垣間見ることができてとても興味深かったです。


私にとって馴染み深いのは70年代の作品ですが、80年代以降のあまり知らない作品も、すべて手描きという原画の美しさと迫力に圧倒されました。
映像コーナーも含めて3時間以上、絵だけでなく萩尾先生の豊かなイマジネーションの世界を堪能し、長年にわたってこれほど多くの素晴らしい作品を生み出してこられたことに改めて敬服しました。
1つだけ残念だったのは大好きな「ユニコーンと少女」のイラストがなかったこと。でも「SFアートワークス」を見て満足することにします。


会場の出入口の近くには萩尾先生へのメッセージノートが置かれていて、手に取ってみると熱いメッセージでいっぱいでした。
幅広い年代の方が書かれていましたが「親子で来ました」というものが結構あり、10代・20代の方も多くて、若い萩尾ファンも大勢いるんだなあと思って嬉しかったです。
そればかりか英語のメッセージもいくつか見られ、先生の人気は世界的なんだと実感。さらに広く読まれてほしいと思いました。


美術館の敷地内には庭園もあります。
12月半ばでも、まだ紅葉が残っていました。

 

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原画展を鑑賞した後、庭園に面したお食事処で一休み。
寒い日だったので私はお汁粉で暖まり、友人はフルーツ山盛りのあんみつを。珍しい柚子蜜でおいしかったそうです。


佐野美術館でのSF原画展は12月23日で終了し、来春、北九州市漫画ミュージアムに場所を移します(なんと木原敏江先生の原画展と同時開催という贅沢さ! 行ける方が羨ましい)。
その後も各地を巡回予定とのことで、ぜひ多くの方に観て頂きたいなと思います。

 

(22)「訪問者」~オスカーの涙

「訪問者」は「トーマの心臓」のオスカーがシュロッターベッツ高等中学校(ギムナジウム)に転入して来るまでの物語です。


トーマの心臓」で私達はすでにオスカーの過去を知っています。
実の父はシュロッターベッツのミュラー校長であること。
オスカーの両親グスタフとヘラ、そしてミュラーの3人は大学時代の同窓で、ミュラーとグスタフが美しいヘラを競い合い、グスタフが射止めたこと。
ヘラは子どもを授からないことに悩み、オスカーが生まれたこと。
グスタフがヘラを射殺し、オスカーを連れて1年余り逃亡した末、息子をミュラーに託して南米へ旅立ったこと。
それきり5年間手紙をよこさず、おそらくもう生きてはいないことを――。


だから「訪問者」を読む時、私達はオスカーの健気さに殊更心を打たれるのでしょう。


父が母を撃ち殺すまでは2人がたびたび喧嘩をしても、家の中で時々行き場がなくなっても、オスカーは家族の間はうまくいっていると思っていました。というよりも、そう思いたかったのだと思います。母が死ぬと父の罪を知りながら、かばって警察に偽証までします(この頃から機転のきく子だったのですね)。


父と愛犬と旅に出てからは、父の優しさにふれ、自分の気持ちをわかってもらえることが嬉しくて、ますます慕うようになります。放浪癖のある父が長い間帰って来なくても、じっと待ち続けるのです。
2人と1匹の旅の情景は、まるで映画のように流れていきます。


そんなオスカーが折にふれて思い出すのが、かつて猟について行った時に父が話してくれた神様の話です。


「あるとき……
雪の上に足跡を残して神さまがきた
そして森の動物をたくさん殺している狩人に会った
『おまえの家は?』と神さまは言った
『あそこです』と狩人は答えた
『ではそこへ行こう』
裁きをおこなうために

神さまが家に行くと家の中に みどり児が眠っていた……
それで神さまは裁くのをやめて きた道を帰っていった

ごらん……
丘の雪の上に足跡をさがせるかい? オスカー」


この話は物語の中に何度も出てきて、とても印象的です。
そしてそのたびにオスカーの心の声が聞こえてきて切なくなります。


「(神様が来たら)言ってくれるだろうか
ぼくは この家にいてもいいと……」

「ぼくがパパの子どもでなくても
この家にいていいんだよね…」

「パパ お祈りをさせて
神さまはこないでほしい
パパを苦しめないでください
ママ パパを許してください
おねがいです おねがいです」


家の中の大切な子どもになりたかったオスカー。
けれど旅の終わりに「ヘラと同じような目を…して おれを せめるな……!」と言われた時、父にとって自分は家の中の大切な子どもではなく、裁きに来る神様だったことを悟るのです。


「――パパにとって
雪の上を歩いてくる神さまは
それは ぼくの顔をしていたの?
あなたを裁きに訪れた人は ぼくなの?
あなたには じゃあ
ぼくのなりたかったものが わからなかったんだね
ぼくは……そう なれなかったんだね」

 

オスカーが父に連れられてシュロッターベッツにやってくるラストシーンは、2人の服装も別れの抱擁も何から何まで「トーマの心臓」と同じで、2つの作品がオーバーラップしていることを実感させます。


オスカーはこの時に初めてミュラーに会うのですが、直前まで「ぼくはパパの子だよね」と思っていたのに対面した瞬間に残酷な真実を受け入れざるをえない、その微妙な心理が数コマで見事に表現されていて感嘆してしまいます。
この時のことをオスカーは「トーマの心臓」の中でユーリにこう語っています。「ふん…と ぼくは思ったよ 校長を見てね ふん…こいつか こいつがグスタフおやじに ぼくの母(ヘラ)を殺させ グスタフから ぼくを引きはなすはめになった ぼくのおやじか」。
その気持ちが「訪問者」では無言のうちに伝わってくるのです。


最後に逃げるように走り去る父の後ろ姿に向かって「パパ」ではなく「グスタ――フ!!」と叫ぶオスカー。旅先の凍った海で感じた時のように「グスタフが思い出の中に帰ってしまって ぼくを忘れないように」という思いで名を呼んだのでしょうか。


その後、初対面のユーリに優しい言葉をかけられ、薄暗い建物の中から光に満ちた中庭へと導かれて、オスカーは涙があふれます。それまでほとんど泣かなかったのに、まるで涙で心を浄化させるように。

 

「――ぼくは いつも――
たいせつなものに なりたかった
彼の家の中に住む 許される子どもになりたかった
――ほんとうに
――家の中の子どもに なりたかったのだ――」

 

オスカーにとって家とは、最初のうちは家族が住む家だったことでしょう。けれども旅に出てからは父グスタフの心の中を意味していたのではないでしょうか。
でも、その望みは叶わなかった。わかってもらえなかった。


「訪問者」の許されて愛されたかった子どもから、「トーマの心臓」の許し愛する心をもった15歳の少年へ――。


その転換点はこの時の涙だったという気がしてなりません。
光の中に踏み出したことが、それを象徴しているように思います。
トーマの心臓」の始まりとも呼べる、心に響く美しいラストです。


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私はこの作品を掲載誌(『プチフラワー』1980年 春の号)でも読みましたが、その時はオスカーの視点でしか見ることができませんでした。でも今読むとグスタフやヘラにも感情移入してしまいます。


グスタフは一言で言ってしまうと現実逃避型のダメ男です。オスカーの言葉を借りれば「大学に行って将来を嘱望されて首席で卒業して いい会社に勤めたけど いまはルンペン」。都合の悪いことは見ないふりをしてやり過ごす。そんなダメ男でも、今は自分の弱さや不甲斐なさに押し潰されそうになっている辛さが理解できます。


ヘラもグスタフを愛していたからこそ繋ぎとめるために子どもが欲しかったのだろうし、「ミュラーとはそれきり会ってないわ どうせ信じやしないでしょう」という言葉に嘘はなかった気がします。夫婦の結末はグスタフが思うように「何もかも少しだけずれた歯車のせい」だったのかもしれません。


最近再読して気づいたのですが、オスカーがシュロッターベッツに来た時に身に着けていた長いマフラー(「訪問者」の扉絵にも描かれています)は、もともとはグスタフが旅の道中に巻いていたものでした。それがラストシーンでさりげなくオスカーの肩にかけられているのです。あのマフラーはオスカーにとって父の思い出と優しさが詰まった大切なものだったのですね。

 

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「訪問者」扉絵
小学館『flowers』2016年7月号別冊付録「訪問者・湖畔にて」表紙)

 

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マフラーをしたグスタフ
(『萩尾望都パーフェクトセレクション2 トーマの心臓Ⅱ』「訪問者」2007年 小学館より)


それからこれは教えて頂いたことですが、1ページ1コマ目の楽譜はブラームスの曲だそうです。それを知ると後のオスカーの「これブラームスだよ!」という一言が、どれほどの意味を持っていたかわかる仕掛けというわけです。


こんなふうに読み手の年齢によって違う感じ方ができるところや、読み直した時に伏線に気づいて作品をより深く味わえるところが萩尾漫画の醍醐味なのだなあと改めて思いました。


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それにしても「トーマの心臓」のオスカーは本当にカッコいいですよね!
まさに男にも女にも惚れられるタイプ。辛い体験を乗り越えたことが彼を大人っぽく魅力的にしたのでしょうね。相手が自分の想いに気づいてくれるまで黙って待ち続ける辛抱強さは、旅の間に培われたのだろうなと思います。


「湖畔にて」では少したくましくなっていたし、あれからさぞ、いい男に成長したことでしょう。
旅行好きなのでグスタフと同じ写真家になって世界を飛び回っているのではないかと、私は勝手に想像しています。今頃は南米で写真を撮っているかもしれない、なーんてね。

 

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この作品はこちらで読めます

訪問者 (小学館文庫)

訪問者 (小学館文庫)