亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(16)生命の水

バンパネラは人間とは異質な存在。
エドガーが一族の儀式を見てしまった夜、老ハンナは言いました。


「たしかにわたしらは
神様の作ったものじゃないのだろうよ
どんな生きものも死ぬと…
死体が残るのに
わたしたちは死ぬとチリになって
風にとんじまう…ということは
わたしたちはこの世界の人間じゃ
ないのかもしれないね
天国のとなりか地獄のむかい
別世界からきたのかもしれない」


バンパネラは人間とは異質な生きもの。
自ら選んだわけでもなければ愛するものに導かれたわけでもなく変化させられたエドガーにとって、バンパネラとしての生は呪わしいものでしかありません。


「…なぜ生きているのかって
……それがわかれば!
創るものもなく 生みだすものもなく
うつるつぎの世代にたくす遺産もなく
長いときを なぜこうして生きているのか」


更にメリーベルを仲間に加えて人間としての幸せを奪ってしまったことが、エドガーの苦悩を深めています。
ポーの一族」に、エドガーとメリーベルが窓辺に座って雨が海に降る様子を眺めている場面があります。


「生命(いのち)よ……
その波のあいだの生命よ……
水より生まれ
ときをへて死なば水に帰り
さらに生まれ さらに永遠に
わが一族 死なば風にとぶ
ちりと消え 消え……
そのゆく果てもなし………」


エドガーのこのモノローグは老ハンナの言葉を思い起こさせます。
神様に作られた生きものは死んで再び生まれ変わり、永遠に輪廻転生が続いていく。
けれどバンパネラは、ただ消えてしまうだけ。
めぐる生命の営みを、はたで見ているしかない自分たち…。


・・・>>><<<・・・


私は海に降る雨を見ている2人の姿から、諦念にも似た深い悲しみを感じていました。
けれども、ある時ふと気づいたのです。
生死にかかわる場面に、よく水紋が描かれていることに。


リーベルが消える時には、走馬灯のように浮かぶエドガー、老ハンナ、ユーシスの思い出とともに。
アランが変化してエドガーと旅立つ時には、陽の光をいざない神話の始まりを告げるように。
そして「エディス」のラストではエドガーの生まれた朝を祝福するように――。


私にはその水紋が生命の象徴のように見えました。
そして、まるで生命の始まりと終わりを慈しむように広がる水紋を見ていると、「(6)『エディス』のラストに想うこと」でもふれた詩が心に浮かんできました。


「時の輪よ めぐりめぐれ
生命のふたたび 生まれるまでに」


その時、思ったのです。
バンパネラの生命も、神様に作られた生きものの生命と同じなのでは?
たとえ人間とは異質な生きもので、チリとなって消えてしまうとしても、
それをエドガーが儚んでいたとしても、
バンパネラとしての生を終えた者は再びこの世に生まれてくるのでは?
それはつまりバンパネラも、めぐりめぐる生命の一員ということなのでは?


水紋は生命の循環を静かに祝福しているのかもしれない――そんな気がしています。


(初投稿日:2017. 4. 4)