亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

*ポー復活で舞い戻ってきたファンがゆっくり綴ります。ネタバレご了承ください

(31)宝塚「ポーの一族」東京公演を観てきました~原作ファンの愛のツッコミ

イラスト集の途中ではありますが、「ポーの一族」の宝塚歌劇東京公演を観てきましたので今回はそのお話を。


何を隠そうこの私、遠い昔にヅカファンでした。1970年代のベルばらブームの時に地方公演を観たのが始まりで、その後関東に引っ越してきてから東京宝塚劇場に暫く通っておりました。
ならば「ポーの一族」を宝塚で上演と聞いてさぞ喜んだろうとお思いになるでしょう。
ところが最初は全く反対で、喜ぶどころかズドーンと暗くなりました。
宝塚はもうとっくに卒業した気でいましたし、何よりも、特別な作品だけに舞台化も映像化もしてほしくなかったからです。


それでも、あの作品をどんな構成でどんな脚本で、どう演出するかということにはとても興味があったので、観劇された方の感想やメディアの高評価の記事を読んだり動画を見たりしているうちに、だんだんと「観たいかも…」という気持ちが芽生えてきたのですね。
そうなると話が早い。
私と同じ萩尾ファンの妹が、頑張って見事2人分のチケットをゲットしてくれたのでありました。妹よ、ありがとう。


すっかり前置きが長くなってしまいましたが、そんな訳で3月3日土曜日、桃の節句の午後の部を観劇に出かけました。
改変もあるし原作にないキャラクターも出るというので事前にプログラムと『ル・サンク』を購入し、シナリオを読んで予習済み。オペラグラスもしっかり借りて準備万端です。

 

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劇場内壁面のポスター

 

いよいよ幕が上がり目の前に繰り広げられた世界は、とにかく美しくて面白い!
エドガーもアランもイメージ通り。
原作の複雑な時系列はわかりやすく整理され、場面転換もスピーディーで極上のエンターテインメントに仕上がっていました。
衣装も見るからに上質なうえ、原作のイメージを大切にしていることがよくわかります。
私が特に感激したのは、プログラムにも載っている「エヴァンズの遺書」扉絵のエドガーの服。

 

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(画像はセイカ永遠の少女マンガぬりえ5 ポーの一族」より)

 

この服が色までそのまんま再現されている!
他にも同じくプログラムに載っている「ペニー・レイン」扉絵や、一家がホテルに現れる場面のエドガーの服も、襟や袖口などの細部以外は同じ。
更にシーラがエドガーと初めて会った時のドレスやセント・ウィンザーの制服もデザインそのまんまといった具合で、原作ファンには嬉しい限りです。


さて、物語は「メリーベルと銀のばら」と「ポーの一族」をメインに「ポーの村」「グレンスミスの日記」「ランプトンは語る」を織り交ぜ、「ホームズの帽子」のエッセンスを加えて構成されていました。
2時間半にまとめるのですから当然必要な部分だけを抜粋するわけで、整合性を取り、流れを良くするための改変もまた必要になります。
大切なのは原作の世界観を壊さずに舞台作品としての完成度を高めることで、その点でとても成功していると思いました。

 

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東京公演プログラム表紙。上の扉絵を再現した衣装です

 

とはいえ、いくら美しくても面白くても、ついつい細かいことに突っ込みたくなるのが原作ファンというもの。
ここからはそんなツッコミを交えつつ感想を書いていきたいと思います。
ツッコミと言っても決して難癖を付けようというのではありませんから、独り言だと思ってお読みくださいね。
セリフ等は『ル・サンク』所収のシナリオを基にしています。


プロローグはバンパネラ研究家達の会話から一族の登場へ。
ポーの村に迷い込んだグレンスミスや、男爵一家をバンパネラと見破ったクリフォードのエピソードを盛り込み、原作を知らなくても一族が不老不死の吸血鬼だとわかるようになっています。
歌と芝居で観客を作品世界に一気に引き込み、おおお~♪という感じでした。


そこから「メリーベルと銀のばら」のストーリーが怒涛のように展開します。
気になったのはビルおやじの「崖の上の館のポーツネルの一族」というセリフ、というか歌。
ポーツネルは男爵の名前で、男爵は館に住んでいるわけではないので変ですね。
老ハンナは自ら「老ハンナ・ポー」と名乗っているのだから、ここはやっぱり「ポーの一族」じゃないと。


老ハンナが消滅し、「ハンナが選びし後継者に!」とエドガーにエナジイを授ける大老ポー。
えー? 後継者なんて聞いてないけど…まあいいか。
それよりも大老ポー様まで村人達に消されてしまったではないですか!
ちょっと~ 大老ポー様消しちゃいかんでしょ~! 後々マズくない!?
まあ大老様は特別な力をお持ちなので、後から「実は生きてました」ってことにするのも十分可能ではありますが…。それに舞台に続編はないと思うから、これもいいか。


しかし問題はメリーベルですよ。原作ではアート家の養女になってから色々あるのですが、時間の制約でそのあたりがアバウトな説明だけで終わっている。
それはそれでいいのですが、原作ではエドガーが現れる前にバンパネラだと知っているのに、そこがカットされている。
つまりエドガーが来た時点では兄の身に起こったことを知らず、ただ館の火事で行方知れずとしか思っていないわけです。
で、エドガーが「僕たちの旅は永遠に続くんだ。幸せにはなれない」と言い、メリーベルは「一緒にいることが、幸せなの」「どこまでも付いていくわ。お兄様に」と言って仲間に加わるのですが…
エドガー! あなた一番肝心な「人間でなくなる」ってこと言ってないよ!
それを知らないと「旅は永遠に続く」と言われても具体的にどういうことかわからないし、何かの比喩だと思ったかも。
エドガーだって舞台ではシーラに「ポーの一族に加われたなら2人は永久(とこしえ)に生きてゆく ♪」と聞かされた時、よくわかっていなかったじゃないですか。
リーベル、目覚めて後悔したんじゃないかと本気で心配しましたよ。


ここから時代は1879年に飛び「ポーの一族」の物語に入ります。
原作の冒頭でポーツネル一家が登場したホテルが主な舞台の1つとなり、エドガーとアランはそこで出会います。原作では馬場ですが、さすがに馬は出せませんものね。
でも私、この出会いの場面がとても好きです!
エドガーとぶつかりそうになって「どこ見て歩いてんだよ!」と怒鳴るアラン。その拍子にワゴンにぶつかって転ぶ。
ゆっくり歩み寄り「どこ見て歩いてんだよ?」とオウム返しに言うエドガー。
小池修一郎さんのオリジナルですが、いかにも2人とも言いそうなセリフ!
しかも2人の声と言い方がそれぞれの人物像をよく表していて、エドガーからはバンパネラになって125年生きてきた深みが、アランからは金持ちの跡取り息子らしい尊大さに加えて鬱屈した内面が、はっきり伝わってきました。


セント・ウィンザーでの2度めの対面。
ここは出会いの場面とは反対に原作をかなり忠実に再現してくれていて、とても嬉しかったです。
「アラン・トワイライトの規律」も「どの足だ?」「この足だよ!」も。
制服も同じだし生徒達もイメージ通りで、「わっ、原作がそのまま動いてる~!」と感動でした。

 

エドガーがガラスで怪我をして男爵と言い合いに。
反発するエドガーのセリフ(後半は歌)
「分かってるよ! 僕たちがいるから2年と同じ土地にいられない」
「変ね あの兄妹は少しも成長しない」
このあたりも原作に基づいていて嬉しいな~と喜んでいたら、次の
「でも僕がどんなに孤独か あなた方にはわかるまい」
このセリフ、原作ではモノローグなんですよね。それを口に出して言って(歌って)いる。
うーん、何というか私は、この言葉を心の中だけで言うところこそがエドガーという気がするんですよ。
相手に聞こえるように言ってしまうと、もうエドガーじゃない感じ。それって私だけ?


クリフォードに往診してもらうアランの母。そこへアランが来る。
原作ではエドガーの怪我の話からアランに向かって「お友だちのケガ? おまえは大丈夫なんだろうね」
アラン「ぼくはそんな乱暴なこと やらない」
母「信用しないよ 男の子の言うことだもの」
この最後の母のセリフ、読むと愛情から出ていることがよくわかります。そして「お父さん そっくりになって…」と愛おしそうに息子の頬に手を当てる。
ここが舞台では「父親に似てきた 信用出来ない」
うっ 冷たい…字ヅラだけじゃなく言い方(歌ですが)も冷たい…。
なんで? 妙に悲しいんですけど。

 

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シナリオが載っている『ル・サンク』vol. 189表紙。エドガーがアランを連れて行く場面

 

続いてアランに嫌味を言うマーゴット。宝塚版マーゴットは意外とチャーミング。
原作では登場場面が少ないせいか「性格の悪い従妹」というイメージしかないのですが、両親に「お金のために絶対アランと結婚しろ」と迫られたり妹弟(原作にはいません)に笑われたりして、彼女なりに辛いところもあるんですねえ。ちょっと同情してしまう。


エドガーがアランを襲う場面も良かったです。
場所が海辺の砦跡から学校の塔に変更されていましたが、「あのバルコニーから海の向こうにアイルランドが見える」「海を渡る冷たい風が吹き寄せる。嫌なことも全て吹き飛ばしてくれるんだ」というセリフが海辺の断崖を連想させてくれました。
アランの唱える聖書の言葉が歌になっていたのは驚き!
最後の「願わくは 我を隠れたるとがより解き放ち給え」をそのままアラン自身のテーマに持ってきて、後の歌に繋げたのは、さすがですね。


リーベルが消え、男爵夫妻も消えたところに駆けつけたエドガー。
原作の「幕だ すべてはおわった!」から「生きる必要もない…」までの絞り出すようなモノローグ、ほぼ同じ内容だったのですが、舞台では歌なんですよね。それも歌い上げるような。
ん~、セリフが歌になるのはいいけれど、ここだけはセリフの方が良かったなあ。
その方がエドガーの哀しみがより強く伝わった気がするんですが…。
でもその後に「僕に残されたもの それは…」という言葉が加えられていて、エドガーがふっと小さくバンパネラ的な笑みを浮かべる。
アランを仲間に加えることを決意した笑みなんですよね。これは新鮮でした!
考えてみたら原作には「生きる必要もない…」の後、アランの家の窓辺に現れるまでのエドガーは描かれていないわけで。
で、アランを迎えに行く時のエドガーの様子を改めて想像してみると、私の中では「笑み」は浮かんでこなかったけれど、そういう解釈もアリなのかなと思いました。


一方、アランの家では伯父が階段から落ちてマーゴットがアランに向かって「人殺し!」と叫ぶ。ここまでは原作通り。
これに更に追い打ちをかけるのがアランの母。「アラン…取り返しのつかない事を…」
あああっ やっぱり冷たい…!
そりゃこのセリフ、色々な意味に取れるけど、印象としては冷たい。
原作ではいつも優しくて愛情深い母に最後に裏切られるからこそショックが大きいのだと思うのですが、それだけではアランが絶望する動機として弱いんでしょうかね? うう…。


この後、エドガーが窓から現れてアランを連れて行きます。
そしてラストシーンは「ポーの一族」のラストに「グレンスミスの日記」をかぶせて、1959年のドイツ、ガブリエル・スイス・ギムナジウムに現れるエドガーとアラン。プログラムの役名を見ると、ちゃんとキリアンとテオもいました。
このラストシーン、とても良かったです!
劇中歌の「哀しみのバンパネラ」(ヒットチャート初登場1位という設定。エドガー、歌手デビューしたのか?)を歌って騒ぐ生徒達の姿を、少し離れたところから寄り添って見つめる魔性の2人。
これから何かが起きる、彼らは今もどこかにいると思わせる幕切れで、私はそのまま「エディス」のラストさえ忘れてしまえそうでした。(←これ、最高の褒め言葉のつもりです!)

 

フィナーレの最後は私にとって久々に観る大階段のパレード。
昔と変わらずゴージャスで心が躍ります。
でもね、できればエドガー、アラン、シーラも他の登場人物のように役のコスチュームで降りてきてほしかったなあ。
そうすれば観客は最後までポーの世界に浸れたと思うんですが…。
シーラはともかくエドガーとアランは役の衣装だと地味だからですかね?
でもやっぱり1本物の芝居は最後までその役でいてほしい。
生徒役の方の制服がギムナジウムのものだったのは、着替える時間が早くすむから?
セント・ウィンザーの方が作品中に何度も出てくるし好きだったんですけど…。
ああでも、役の衣装でなくてよかったという方や、ギムナジウムの制服の方が好きという方もいらっしゃるんでしょうね。すみません、わがままで。


個人的に残念だったのが、私の大好きなエドガーとシーラの会話がなかったこと。
エドガーがバンパネラに変化した直後の会話「あなたは自分を呪わないの シーラ」「なぜ?」「…なぜ?」「なぜ?」です。
絵にモノクロが効果的に使われていることもあって空気までが感じられ、私は読むたびに映像に脳内変換されるので、舞台では当然この場面があると思って楽しみにしていたのですが…。
まあ、好きなセリフは自分の心の中に響く声が一番だと思いましょう。


最後に1つだけ、どうしても違和感を拭いきれなかったことを。
それはセリフや歌に「愛」「絆」という言葉が何度も出てきたことでした。
宝塚だからどうしてもそうなることは元ヅカファンとしてよくわかるし、お客様が求めていることでもあるので、それを言っちゃおしまいだとは思うのですが、どうも私の中の「ポーの一族」のイメージと違うのですよね。
原作も愛や絆が底に流れているかもしれないけれど、それは読者がそれぞれに感じ取るもので表立って言う言葉ではない、というのが私のイメージなのです。
特に歌の中の「人は愛が無くては生きてはいけない」というフレーズは「ポーの一族」よりもむしろ「トーマの心臓」の世界ではないかと。
でもこれが宝塚流エンターテインメントなのですね。

 

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ロビーに置かれていたピアノ

 

いろいろ好き放題に書いてしまいまして、どうもすみません。
誤解のないよう申し上げますが、私はこの舞台が本当に面白かったのですよ ♪
いまだにプログラムや『ル・サンク』を見て楽しんでいるし、千秋楽のライブビューイングにも行くし、奮発してブルーレイまで買ってしまったくらいです。


原作ファンなので原作中心の感想になりましたがジェンヌさんの話もすると、エドガー役の明日海りおさんはひたすら美しく、エドガーそのものに見えました。ビジュアルだけでなく声も佇まいもすべてにおいて。緻密に計算して演技されているんだなと思いました。
そしてアラン役の柚香光さん。アラン大好きな私にとってアラン役はとても重要で、たとえエドガーが完璧だったとしてもアランのイメージが損なわれる恐れがあれば観劇することはありませんでした。でも柚香さんは、もしアランが実際にいたらこんな少年だったかもしれないと思わせてくれました。柚香さんにありがとうございますと言いたいです。

 

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桃の節句なのでロビーには立派な雛人形

 

この日はもう1つお楽しみがありました。
チケットがたまたまサンケイリビングの貸切公演で、終演後に明日海さんへのミニインタビューがあったのです。
一度降りた幕が再び上がると明日海さんがお1人で残っていらして、司会者の質問に答えてくださいました。うろ覚えで明日海さんの言葉通りではないのですが、大体こんな内容でした。


Q:カラーコンタクトを早く外したいのではありませんか?
A:いいえ、できればずっと着けていたいくらいです。コンタクトは濃い青、薄い青と数種類あって気分によって使い分けています。


Q:ゴンドラは揺れていますが乗っていていかがですか。
A:初めは怖かったですが慣れました。客席に飛び込むような感覚です。


Q:エドガー役の演技について
A:バンパネラになる前は溌剌と。バンパネラになってからは永い時を生きている感じが出るように。(変化した直後の演技のついてもおっしゃっていたのですが忘れました。すみません)


Q:子ども時代のエドガーが可愛いですが子どもを演じるコツは。
A:あまり子どもだと意識しない方が上手くいきます。声は自然と他の人より高くなります。


Q:人でないものを演じるコツは。
A:なるべく気配を消すことです。(他にもおっしゃっていましたが忘れました。すみません)


2回公演の終演直後でかなりお疲れだったはずですが、明日海さんは終始笑顔で、そして凛々しく答えてくださってとても素敵でした。
インタビューの幕が上がる前に拍手が鳴りやまず、自称ヅカ担当の司会者さんが「普段のサンケイリビングの貸切公演では自分が出るまで拍手が続いていることはないんですよ。名作なんですね~」とおっしゃっていたのも印象的でした。


さてさて、とんでもなく長くなってしまったのでライブビューイングの感想は次の記事で。
ここまでお読み頂きありがとうございました。