亜樹の萩尾望都作品感想ブログ

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(97)『トーマの心臓 プレミアムエディション』

こんにちは。
先日、小学館より『トーマの心臓 プレミアムエディション』が刊行されました。


2019年に『ポーの一族 プレミアムエディション』が刊行されてから「トーマの心臓」も出るといいなあと思っていたので、早速購入しました。

 

トーマの心臓 プレミアムエディション (flowers PREMIUM SERIES)

 

「B5判のワイドサイズ、現存するすべての原画で版を新たにし、最新技術で美麗に印刷」
「カラー原稿はそのままカラーで再現」(帯より)


と『プレミアムエディション』ならではの贅沢な仕様に加えて、今回は「フラワーコミックス版では未収録の扉ページを復刻」ですから、嬉しいじゃないですか。


この本には表題の「トーマの心臓」だけでなく「訪問者」「湖畔にて――エーリク 14と半分の年の夏」も収録されているので、厚さも重さもちょっとした事典並み。
でも、これら3作品が1つにまとまった本は初めてで貴重です。


最新技術で印刷されたという絵は美しく、繊細な線も細かい点描も鮮明です。
掲載誌と同じワイドサイズなので潰れて見えないこともありません。
2色ページの色も『パーフェクトセレクション』(2007年 小学館)とかなり違うし、デビュー50周年展の図録(2019年 小学館)とも若干異なります。


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帯に書かれている「トーマの心臓」の扉ページは『パーフェクトセレクション』にも収録されていますが、連載時に扉絵の原画が読者にプレゼントされたため原画から起こしたものではありませんでした。


『パーフェクトセレクション9 半神』(2008年)の最後に載っている「あとがきにかえて」によれば、「原画の写真を撮っていただいたので白黒のネガがあり、使えるものはそれをそのまま使いました」とのこと。
第14回の2色扉は掲載誌から写真を撮ってパソコンで修正したそうです。


2019年にデビュー50周年の企画として原画の探索が行われ、見つかった7枚の絵が今回の『プレミアムエディション』で使用されています。
それ以外の扉絵は『パーフェクトセレクション』と同じもので、比べてみるとやはり原画からの方が断然美しいですね。
線に生命力があるというか息づいている感じで。


扉絵に関しては、私にとって大きなサプライズがありました。
今、「新たに原画から起こした7枚以外は『パーフェクトセレクション』と同じ」と書きましたが、何とそこにも載っていなかった第27回のカラー扉が収録されたんです!(p. 409)


『週刊少女コミック』1974年46号に掲載された第27回は、まず左ページに「トーマの心臓」と高橋亮子先生の「つらいぜ!ボクちゃん」のカラー合同扉があり、それをめくると右ページが「トーマの心臓」のカラー単独扉になっていました。
でもタイトルと著者名は合同扉に入っているのでこちらにはなく、代わりにトーマの言葉が書かれています。


連載終了後、初の単行本『フラワーコミックス』には合同扉も単独扉も収録されず、単独扉の位置にエーリクのモノクロ1枚絵(『プレミアムエディション』p. 410)が挿入されました。
この形はその後の文庫本などでも引き継がれたようで、直近の単行本であった『パーフェクトセレクション』も同じです。


その幻の単独扉が今回カラーで『プレミアムエディション』に!!
驚きと喜びで思わず心拍数が上がりましたよ。


そもそもこのページにはタイトルではなくトーマの言葉が書かれていたので、私は普通のカラーページだと思っていたんです。
なので「これが本来の扉絵だったのか!」という驚きと、思いがけず出会えた喜びと。


巻末の注記によると、このページは原画原稿が先生の手元になく、掲載誌から起こした版を補正されたそうです。


それにしても『パーフェクトセレクション』で2色扉は掲載誌の写真を修正して収録したのに、こちらが収録されなかったのは、やはりカラーは無理だったからでしょうか。
ファンとしては、カラーじゃなくても載せてもらいたかったなあと思わないでもないですが。


なお、合同扉のイラストも『プレミアムエディション』巻末の「スモール・ギャラリー」の先頭ページに載っています。
こちらも単独扉と同様に掲載誌から起こしたものです。


扉絵については、もう1つ発見(?)がありました。


第4回の扉絵(p. 55)はエーリクが上、ユーリが下、薔薇が上向きになっているのですが、『パーフェクトセレクション』は天地が逆なのです。
つまりユーリが上、エーリクが下、薔薇が下向き。
そして『テレビランド増刊イラストアルバム⑥萩尾望都の世界』(1978年 徳間書店)も『パーフェクトセレクション』と同じ。


あれ? 今回のが正しいのかな?
私は掲載誌も見たことがあるんですが覚えていないんですよね。
でも覚えていたところで必ずしも掲載誌が正しいとも限らないわけだし…。
まあ、どちらが上でも下でも違和感ありませんから!


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トーマの心臓」を『パーフェクトセレクション』と比べながらサッと見ていると、あることに気付きました。
トーマの詩の一節が、ちょっと変わってる!


作品の中にトーマの詩は2回出てきます。
第1回の扉と、エーリクが図書室で詩を見つける場面です。
この2か所は文言が全く同じというわけではありません。


図書室の場面で『パーフェクトセレクション』の「ぼくのからだが打ちくだかれるのなんか なんとも思わない」に対して、今回は「――打ちくずれるのなんか――」になっています。


「ん?どっちも正解な気がするけど?」と気になって、手持ちの本がどうなっているか見てみました。


掲載誌 第1回扉「打ちくだかれるのなんか」

掲載誌 図書室 不明

『フラワーコミックス』第1回扉「打ちくずれるのなんか」

『フラワーコミックス』図書室「打ちくだかれるのなぞ」

『パーフェクトセレクション』第1回扉「打ちくずれるのなんか」

『パーフェクトセレクション』図書室「打ちくだかれるのなんか」

『プレミアムエディション』第1回扉「打ちくずれるのなんか」

『プレミアムエディション』図書室「打ちくずれるのなんか」


あ、前から両方あって微妙に変わってきてるんですね。


『フラワーコミックス』と『パーフェクトセレクション』の間には『萩尾望都作品集』や文庫本など数種類の版があります。
私は持っていなくて分からないのですが、これらの間でも異同があるのかもしれません。
今回の『プレミアムエディション』刊行にあたって、先生は2か所の言葉を同じにしようと思われたようです。


少し脱線しますが、トーマの詩は他にも初出とそれ以降で変わっている部分があります。
一番有名なのは、最後の1行が掲載誌では「彼の中に」だったのが『フラワーコミックス』から「彼の目の上に」になったことではないでしょうか。


この変更の理由については『萩尾望都 紡ぎつづけるマンガの世界~女子美での講義より~』(2020年 ビジネス社)の中で、先生が次のようにおっしゃっています。


「最初は「目の上に」と書いたのですが、読者の方が変に思わないかな、説明しなきゃわからないかもしれない。「彼の中に」のほうがわかりやすいかなと思って、「彼の中に」に変えたんです。でも、あとでやっぱり“中で生きる”というのは不遜だよなと思って、単行本が出るときに、「目の上に」に直しました。目の上に生きると言うのは、思い出として生きるということです。」(p. 144)


新しい版が出るたびに、こうやって少しずつ手直しされていくんですね。


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『プレミアムエディション』の「トーマの心臓」は絵にも小さな変化がありました。


ユーリがオスカーに秘密を知られていたことを知った後で、追いかけてきたエーリクと話す場面です。


『パーフェクトセレクション2 トーマの心臓Ⅱ』p. 138

 

『プレミアムエディション』p. 464

 

 

ユーリの顔に影が入りました。
これだけでも雰囲気が変わりますね。


そのすぐ後にエーリクが「ぼくの翼をあげる」と言った場面。


『パーフェクトセレクション2 トーマの心臓Ⅱ』p. 141

 

 

左のこめかみの辺りにうっすらと影。


『プレミアムエディション』p. 467

 

 

はっきりと影が付けられました。
よく見ると鼻と口の辺りもちょこっと修正されています。


『パーフェクトセレクション』と『プレミアムエディション』の全てをしっかりと見比べた訳ではありません。
それでも言葉の違いについては他にも気付いたところがあるので、よく探せば変更点や加筆修正がまだあるかもしれないですね。

 

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『プレミアムエディション』で嬉しいのは本編以外のイラスト類を載せてくれるところ。
この本にも口絵に「訪問者」の予告イラストと、巻末に3ページの「スモール・ギャラリー」が付いています。


個人的に「トーマの心臓」の読者プレゼント葉書を2種類とも見られたのがとても嬉しいです。
当選した方が大切に保管されていたのでしょう。
その下の左端のユーリとトーマのイラストもとても素敵。
これは初出が分からないので、ご存じの方がいらっしゃったらご教示頂きたいです。


また、先生が劇団スタジオライフ演出家の倉田淳さんと対談をしながら作り上げたという「シュロッターベッツ学院 見取り図」も楽しいです。
隅っこに書かれている文字によると建物の階は英国式に数えるので、ヤコブ館の「2階はしの部屋」は建物の「3階はしの部屋」なのだとか。
そうだったのか~!

 

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「湖畔にて」は雑誌の付録になったことはありましたが、こうして書籍に再録されたのは初めてではないでしょうか(違っていたらすみません)。
初出の『ストロベリーフィールズ』(1976年 新書館)は正方形の判でしたが、今回はB4判なので文字の位置が違うページがあります。
でもそんなことは関係なく、みずみずしい読後感は昔読んだ時のまま。


今回、斜め読みではありますが3作品を久しぶりに読んでみて、シドやトーマの両親といった周囲の大人達がとても魅力的に思えました。
時を経てなお魅力が増すのは名作の証。
今度じっくり読み直して、懐かしくて新しい「トーマの心臓」の世界を味わいたいと思います。


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このブログにも「トーマの心臓」のイラストを掲載させて頂いております。
発表順に並べていますので、ご興味のある方は記事(60)からご覧ください。
第27回の掲載誌上のカラー合同扉と単独扉は記事(61)にあります。

(60)「トーマの心臓」イラスト集① - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(61)「トーマの心臓」イラスト集② - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

 

 

(96)「青のパンドラ Vol. 5 炎の剣」

激しくネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになってから、ぜひまたいらしてくださいね ♪

 

こんにちは。
今この記事を読んでくださっている方は多分もう「青のパンドラ Vol. 5」を読まれたんですよね?


とんでもないことになりましたね!


私などは驚きと安堵と共に、とらえどころのない気持ちで茫然としております。


ま、とりあえず扉絵をどうぞ。

 

小学館『flowers』2023年2月号より)


今号のハイライトは、何といってもアランが復活したこと!


エドガーが半狂乱になるほど求めていた、
ファンが40年来待ち望んでいた、
アランが蘇った―――― ‼‼


が、その前に、住処としていた壺を失った血の神がアランの中に入ってしまった。


そのせいなのか、どんな劇的な復活を遂げるのだろうかと固唾をのんで見守る読者をよそに、まるで一晩ぐっすり眠った翌朝のように至ってフツーに目覚めたアラン。
爪だけが青いままで。


えーっと。
これは元のアラン…なわけないですよね。


姿形がアランなだけで中身は100%血の神なんでしょうか。
大老ポーが不死人として完成する前のように、血の神に操られているの?
それとも血の神はアランの体の奥深くに潜在しているだけ?


アランとして過去の記憶はあるのか。
40年間炭のような姿に変化していた自覚は?


秘密の花園」で眠りの時季から目覚めた時は飢えていたのに、40年も眠った後で飢えていないのは血の神だから?


血の神は何をするつもりなのか。
このままアランの中に留まり続けるのか。
新しい壺を用意したら、そちらに移るのか。
または他の誰かの体に?


この章のタイトル「青のパンドラ」とは、つまりアランのこと?
いやいや、最後まで分からないぞ。


ふう。全く謎だらけ。
アランが復活した日には薔薇の紅茶でお祝いしたい位だったのに、まさかこんなことになろうとは。
さすが萩尾先生、いつも良い意味で読者を驚かせてくださいます。


◆◆◆◆◆◆


前号で登場した不倫カップルのカミラとライナーは意外な形で関わることになりましたね。


アルゴスと鉢合わせして助けを求める手を伸ばしてきたカミラを、思い切りアルゴスの方へ押し戻して逃げるライナー。
人間、とっさの行動に本性が現れると言いますが…


サイッテー ‼


カミラに対して口ばっかりで本当は離婚する気なんてないことも明白です。


それはさておき、驚いたのはアルゴスですよ。
カミラとは偶然出会っただけなのに家の場所が分かって中に入れる…という所までは、まあ想定内としても、話し方や声を真似ることも出来る。


大老もこんなことが簡単に出来るんですかね?
今のアランなら、もっとすごい能力があるのかな。


あ、アルゴスがカミラの振りをしてスマホで喋っている姿が何だか可笑しくて笑っちゃいました。


◆◆◆◆◆◆


さて、これからどんな展開になるのか全く想像がつきません。


アランはどうなるのか。
アーサーの家にはアランの苦手な犬がいますが、どう関わるのか。


カミラはどうなるのか。
バリーがフォンティーンを解放すると何が起きるのか。


そもそも大老がアランを復活させたり、バリーに炎の剣を渡したりした真意もよく分からないし、ライナーの病弱な娘も何やら関わってきそうな気がするし…。


気になることが色々ありますが、この続きは春までお預け。


その前に2月9日(木)頃にフラワーコミックススペシャル『ポーの一族 青のパンドラ』第1巻が発売。
トーマの心臓』プレミアムエディションも同時発売です ♪


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「青のパンドラ」Vol. 1~4 の感想です。よろしければどうぞ。

(90)「青のパンドラ Vol. 1 冷蔵庫で眠る」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(91)「青のパンドラ Vol. 2 アランが盗まれる」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(93)「青のパンドラ Vol. 3 ベニスのベラの家」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(95)「青のパンドラ Vol. 4 影の道」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

(95)「青のパンドラ Vol. 4 影の道」

激しくネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになってから、ぜひまたいらしてくださいね ♪

 

ポーの一族 青のパンドラ」の連載が2回のお休みをはさんで『flowers』2023年1月号から再開されました。
欄外の「花だより」によれば萩尾先生は体調不良でいらしたそうで、「休載してすみません。またがんばります。」とコメントがありました。
先生、くれぐれもお身体をお大事になさってください~!


それでは早速Vol. 4 の扉絵をどうぞ。

 

小学館『flowers』2023年1月号より。2つ下も同)


大老ポーの仕事場のあるイングランドのヨークへと影の道を走る馬車。
前のページから続く物語の一場面になっています。


ふと思ったんですけど、この絵、何となく「ポーの一族」第1話の扉絵に似ていませんか?

 

(『萩尾望都パーフェクトセレクション6 ポーの一族Ⅰ』2007年 小学館より)


右ページに馬車、左ページに2人のアップ、周囲に木立。
偶然でしょうけどワクワクします。


それはそうと、上の「青のパンドラ」の扉絵で舞っている紙片のようなものは何でしょうか?
数ページ先で大老が指でピンて弾いてるんですけど。
これが「影の姿」?
1か所だけ手が描かれているところがありますね。


◆◆◆◆◆◆


さて、Vol. 4 はヨークに着くまでの間に大老が語った自身の話がメインでした。
長くなりますが、まとめてみます。


時は紀元前2000年頃、青銅器時代
ミノア文明が栄えるエーゲ海に浮かぶ、住民200人ほどの「ポーの島」。
後に大老ポーとなる少年イオンは、そこで両親と祖母と暮らしていた。


島の岩山にはアルゴスという男がいて「不死人(ふしじん)」と言われていた。
アルゴスは毒蜂の作る赤蜜で村人の病気や傷を治し、礼として干魚や干肉を受け取っていた。


村人が岩山の上まで無理に登ろうとすると突然息絶える。
しかしイオンが赤蜜をもらいに行くと上まで登ることができた。


16歳の時、イオンは胸の骨を折り死にかける。
するとアルゴスが現れて火のように熱い手をイオンの胸に当て、「動けるようになったら蜂の岩山に来い」と告げて去った。


イオンが奇跡的に回復して岩山へ行くと、アルゴスはイオンを祠(ほこら)へ連れて行き、青みがかった壺を見せて言った。
「これは“血の神”だ」
「何千年も昔に海の淵から引き上げられた神だ」
「私はその守り人」
「おまえは私の弟子として“血の神”の世話をするのだ」


実は岩山に入れるのは、血の神に選ばれた人間だけだったのだ。
選ばれなかった者は死んで血の神の贄となる。
死体は祠に運ばれ、翌日には消えて壺の周りに血だまりができていた。


ある大潮の満月の晩、イオンは血の神にしきりに呼ばれる気がして祠に行った。
すると壺から青い霧が吹き出してきてイオンの体内に入った。


イオンは血の神に操られ、島々を巡った。
目は遠くまで見渡せ、耳はあらゆる音を聞き取り、疲れず空腹も感じない。
海に落ちても苦しくない。
怪我をしても傷はみるみる塞がる。


傷の血をなめると突然渇きに襲われ、体が血の味を求めた。
それこそ壺が「血の神」と呼ばれるゆえんだったのだ。


イオンは毎晩人を喰い、次の満月の夜にポーの島に帰った。
祠に着くと口から青い霧が出ていき、再び壺の中に入っていった。


イオンは人間に戻ったが甘美な血の味を忘れられず、岩山へ行っては「神」になって人を喰い、人間に戻ることを繰り返した。
青い霧が体内に入っている間は時間が止まり年をとらなかった。
そして100年ほどして、遂に不死人として完成した。


長い時が過ぎ、イオンは山羊の神の夢占いをする姉妹と出会う。
姉のハンナは14歳位の少女。
ポーの島が沈む夢を何度も見るために村人から「悪魔」「殺せ」と追われ、逃げ込んで来た岩山でイオンと共に暮らし始める。


いつしかハンナも年をとり、イオンが不死人だと気付く。
イオンはハンナに自分の体験を話した。


ある日、ハンナは島が沈むから逃げるよう村人に言いに行くが袋叩きにされ、自分を不死人にしてくれるようイオンに頼む。
自分は嘘つきではない。
島の最後を見届けたいのだと。


それまでイオンはアルゴスから教わった方法で仲間をつくろうと試みても、うまくいかなかった。
自分以外に怪物を増やすことはないと思っていたが、ハンナの願いを聞き入れ、初めて人間を不死人として完成させることができた。


数年後、近くの海底火山の爆発に巻き込まれてポーの島は海中に沈んだ。
後の研究によると紀元前1628年頃の出来事だったらしい。


◆◆◆◆◆◆


いやあ、遂に一族の歴史の始まりが明らかになりましたね!
今回、新たに3つの年が出てきましたよ。


大老が変化したのは紀元前2000年頃

②血の神はそれより更に何千年も昔に海の淵から引き上げられた

③ハンナが変化したのは紀元前1628年頃の数年前


アルゴスって、いつから生きてるんですかね?
もし血の神が引き上げられた頃からだとすると、かれこれ軽く6000年は生きてる?
ひえ~。


それにしてもポーの始祖である大老が変化したのは神の成せる業じゃないかと思ってはいましたが、こんな神様だったとは。
前回、サルバトーレが壺を見て怯えていたのも納得です。


大老が特別な力を持っているのも、血の神が直に体内に入ったからなんでしょうね。
でもエドガーが触れた時にぬくもりを感じたのは、どうしてだろう?
大老の直系だから血の神に気に入られたとか?


アルゴス大老が完全な不死人になる前から仲間のつくり方を教えていて、それは青い霧を吹きこむという方法でした。


ハンナもその方法で仲間になったのだと思いますが、首筋からエナジーを送り込むのとは少し違うようですね。
より直接的というか。
一族は永い年月をかけて、指先からエナジーを送り込んだり逆に奪ったりできるように進化したのかもしれません。


そして大老とハンナはそもそも恋愛関係ではなかったことも分かりましたね(ハンナが変化してからのことは分かりませんが)。
大老は自身が不死人として完成したからハンナを仲間にすることができたのかな。


◆◆◆◆◆◆


大老の話が一区切りした頃、馬車はヨークに到着。
そのまま地下の仕事場に下りて、早速始まる儀式。


エドガーの両手…というのはつまり、まだグールのままで元に戻っていなかった部分ですね。
そこは最後までアランを抱いていたために炎が残っていて、その炎を剣に吸い込ませる。
次にアランの炎も剣に移すと炎の剣が完成…するのでしょうか?
まだ他にもすべきことがあるのか?


なぜ炎が発生するのかは、よく分かりません。
グールになると体内に炎を宿すのか?
それともアランが火災で炎に包まれたから?
今後分かるかもしれないので先を待ちたいと思います。


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では最後に毎度おなじみ、今回の気になる面々を。


まずはこの人、クロエ。
すっかり有閑マダムみたいになっていて、びっくりでした。


ユニコーン」では1975年にシスターの振りをして病院で老人からエナジーを頂戴していましたよね。
76年の火災現場でもシスターの格好だったのに。
40年の間に何があったんだ?


金持ちのアメリカ紳士のパトロン(?)を得て優雅に暮らしているようなので、そりゃポーの村もフォンティーンもどうでもよくなりますわね。


ただ、「バリーが封印を解かれたらポーの村は壊滅し、世界の終わりが来る」という言葉は予言めいていて、この先の物語の波乱を感じさせます。


そのクロエの世話をしているらしいケイトリン。
どういう立場なのか分かりませんが現代的でカッコいい。


クロエに大老のメッセージを伝えに来たシルバー。
いつの時代もファッションセンスをイジられる人。


そして思わず笑ってしまったポーの島の住民。

 

 

髭がちょっと違うけど「秘密の花園」のパトリックとそっくりでゲスト出演かと思いました。


ゲスト出演といえば、影の馬車がヨークに着いた時に居合わせた不倫カップルのカミラとライナー。
ゲストにしては情報量が多過ぎる気がするんですけど、また登場したりするんですかね?


私は「ポーの一族」の新シリーズが始まるまで結構長く萩尾作品とご無沙汰していたので最近の傾向を知らなかったのですが、読んでいるうちに1つ分かってきたことがありまして。
それは


ギャグタッチのサブキャラは単なるモブで、シリアスタッチだとストーリーに絡みがち。


それでいくとカミラとライナーはシリアスタッチなので、また出てくるんじゃないかなあと。
ここから先は完全に妄想なので読み流して頂きたいのですが――。


以前から私は、この新シリーズはアランの復活と並行してポー以外の一族を巻き込んだヴァンピール界全体のバトルが描かれると思っていまして、そこに人間も絡んでくるんじゃないかと予想しているんです。


で、「春の夢」でクロエがポーの村の入口近くでレイラインの研究者を殺したことが、いまだにしつこく気になっている訳です。


ポーの村はヨークシャーにあるんですよね。
ライナー(カミラも?)の職場はヨークの大学…
ということは、もしや彼(彼ら?)も研究者で、殺された人物と繋がりがあるのでは?


なんて考えたりしているのですが、はい、あくまで個人の妄想です。
外れるに決まってますから本気にしないでくださいね。


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さあ、次回は一体どうなるんでしょうね。
バリーはおとなしくトランクを渡すのか。


実は私、今号の扉絵 ↑ のアオリにも不穏なものを感じるんですよ。


大老ポーの駆る馬車は“影の道”をひた疾る。
アランを切望するエドガーを乗せ、
生贄を求める『血の神』を乗せて。」


最後の「生贄を求める『血の神』を乗せて」のところ。
生贄って誰…!?
分からないけど、アランがうまく復活しても「めでたしめでたし」とはいかない気がします。


扉絵に書かれている速報によると、「青のパンドラ」は2月9日(木)頃に単行本の1巻が発売されます。
1巻ということは続巻も出るんですよね!
連載は次号かその次の号で一旦休止なのかなと思います。


そして2月9日は「トーマの心臓」プレミアムエディションも同時発売!
「訪問者」「湖畔にて」それに予告カットなども収録されるそうです。
あの繊細な絵を雑誌サイズで見られるんですね!


ポーの一族」も「トーマの心臓」も楽しみです ♪


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「青のパンドラ」Vol. 1~3 の感想です。よろしければどうぞ。

(90)「青のパンドラ Vol. 1 冷蔵庫で眠る」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(91)「青のパンドラ Vol. 2 アランが盗まれる」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(93)「青のパンドラ Vol. 3 ベニスのベラの家」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

 

(94)『萩尾望都がいる』

こんにちは。
最近どうも不定期になっております。


「青のパンドラ」が休載している間に、こちらの本を読みました。

 

萩尾望都がいる (光文社新書)

 

今年7月に刊行された長山靖生氏による評論『萩尾望都がいる』(光文社新書)です。


勉強不足で存じ上げなかったのですが裏表紙の紹介文によれば、長山氏は歯科医の傍ら、主に明治から戦前までの文芸作品や科学者などの著作を新たな視点で読み返す論評を行っているとのこと。
著作リストを見てみると、テーマが精神世界や社会的事象からSF・アニメまで多岐に渡っていて驚きました。


この『萩尾望都がいる』では、萩尾作品についての多くの評論や言葉を引きながら独自の分析と論考を重ねておられます。
でも語り口はソフトで、萩尾漫画への愛とリスペクトに溢れています。


それでは個人的に印象に残った部分を引用させて頂きながら、ごく簡単に内容をご紹介したいと思います。


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第Ⅰ章
双子と自由とユーモアと
――踊るように軽やかな表現の奥に
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「ルルとミミ」「ケネスおじさんとふたご」「セーラ・ヒルの聖夜」「11月のギムナジウム」といった双子が登場する作品をはじめ、初期作品について論じる章。
萩尾先生の幼少期からデビューまでのエピソードも紹介されています。


特に印象的だったのは

 

実際この頃(「秋の旅」の頃)から、萩尾作品が持つ「特別」感を言い表すために、ファンや評論家は“日本人離れした感性”とか“文学的”あるいは“文学性”という形容を用いるようになります。
(中略)
素晴らしい漫画作品と言いたいのだけれども、その素晴らしさを的確に表す独自の言葉をまだ漫画評論は持っていない。
なので“文学”とか“○○映画”(ヴィスコンティとかフェリーニとか小津とか)を借りてきてしまうのです。(p. 31/このことは第Ⅲ章で、もう少し詳しく書かれています)


→私もこのブログで「文学的」という言葉を使っています。
作品の香りを表現するのに他に適切な言葉を思いつかないんですよ。


今読み返してみると「雪の子」や「秋の旅」、そして「11月のギムナジウム」も、単に美しい優等生的な作品ではなく、親子の葛藤を秘めた物語であることに気付かされます。
(中略)
自己の人間としての尊厳と自立の必要性にいち早く気付いた魂の、それぞれの早熟な戦いが、これらの作品群の秘められた主題でした。(p. 32)


萩尾作品ではほぼ常に、愛の物語は同時に、自立と孤独の物語でもあります。(p. 34)


1人の人間が純粋に自己と向き合うための空間的条件として想像/創造されたのが、萩尾望都ギムナジウムでした。
それは現実のギムナジウムとも違う(中略)純粋空間でした。(p. 36-37)


萩尾作品には、初期から明解なリズムがありました。
作品にとってリズムとは、筋運びの基調をなすもの、もっとはっきりいえば、読者の視線に法則をもたらすものにほかなりません。(p. 45)


-・-・-・-・-・-・-・-
第Ⅱ章
美しい宇宙、孤独な世界
――萩尾SFが求める多様性社会
-・-・-・-・-・-・-・-


後の章でもSF作品に多くのページが割かれていますが、この章では萩尾先生のデビュー前やデビュー直後のSF作品について論じられています。


個人的に「あそび玉」に関する論考が面白かったです。


「あそび玉」に投影された彼女の孤独は、マイノリティとは必ずしも出自に限ったものではないことを示しています。
萩尾の表現は、個人の孤独が弱者や疎外されているもの全体の課題とつながっていくその現場を描き出しました。(p. 64)


-・-・-・-・-・-・-・-
第Ⅲ章
少年と永遠
――時よ止まれ、お前は美しい
-・-・-・-・-・-・-・-


ポーの一族」と「トーマの心臓」の章。
多くの作家や評論家の言葉や文章を引用して、この2作品が当時いかに革新的だったかを伝えています。


しかし少女漫画、なかでも特に萩尾作品は、漫画のページの中で、コマ割りというフレームを積極的に解体しました。
(中略)
それまではおおむね少年漫画的なコマ割りに従っていたものが、萩尾漫画ではコマをはみ出すことが多くなり、さらには枠線が溶解し、絵のサイズも自在なリズムで読者の視線を誘導する巧みな流れを生みました。
(中略)
こうした「絵」や「コマ割り・配置」は、従来の漫画表現を解体し、再構築するものでした。
表情や光景に感情や筋やセリフの一部すらも溶かし込んでいく革新的表現を確立したことで、萩尾漫画では同時に多様なことを語る、重層的に語ることが可能になりました。(p. 90-91)

 

読み終わった先から読み返したくなる。
なぜだろうと思ったのですが、それは絵に込められた情報が圧倒的に多いからだと、ある時期に気付きました。
萩尾漫画には無駄がないのです。
すべての絵、すべての言葉が、テーマに沿っていて、意味を持ち、ドラマは論理的に構成されている。(p. 111)


→これには全力で同意したいです。
1つひとつのコマの絵にも文字にも情報が詰まっているんですよね。
その情報を取りこぼさずにキャッチしたくて何度も読んでしまうんです。

 

(萩尾先生が描いた)このような「14歳」の特殊性は、萩尾作品に影響された多くのクリエイターに踏襲されることになりました。
(中略)
SF作家の夢枕獏も14歳という年齢の特殊性を意識していましたが、後にそれはほかでもない「萩尾さんの発見というより発明であり、その刷り込みを受けていたのだと気づいた」と述べています。(p. 94)


→獏さん、「100分 de 名著」でそうおっしゃっていましたね。
別のところで萩尾先生は「13歳だと少し子どもっぽく、15歳だともう大人になることを考えなくてはならない。14歳がちょうどいい」とおっしゃっていました。
14歳は子どもと大人の「あわい」とでも言うのでしょうか、それが私にはストンと胸に落ちるんですよ。
自分が14歳の頃を思い出しても、最も混沌とした時期でしたから。

 

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第Ⅳ章
大泉生活の顚末と心身の痛み
――少女漫画史再考①

第Ⅴ章
「花の二四年組」に仮託されたもの/隠されたもの
――少女漫画史再考②
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いわゆる「大泉サロン」と「24年組」について、文献にあたり出来事を整理しながらご自身の見解を述べておられます。
これらのワードに関心のある方は興味をそそられると思いますし、70年代に活躍されていた少女漫画家の先生方のお名前が多数登場するので当時読者だった方は楽しいでしょう。
サブタイトルにもあるように少女漫画史としても読むことができます。


個人的には第Ⅴ章の最後の文に強く頷きました。


萩尾や山岸の絵は、彼女らが表現しようとする作品世界の深度に沿う形で、必然的に変わっていきます。
ポーの一族』や『アラベスク』の世界は、目が大きくて陰りのない純粋にかわいらしい絵では表現できない、より切実な内面を持っていました。
初期には児童漫画的だったものが、繊細な線による絵画的表現に変化し、人物像はアニメ的な漫画絵ではなく、劇画的な線描も伴う陰影ある表現へと移行していきました。
漫画では文字だけでなく、その絵自体が作中人物の人格や感情や思惟を表現するのであり、内面を持つ人間の表現には必然的に影が伴うのです。(p. 177)


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第Ⅵ章
SF少女漫画の夜明け
――先人たちの挑戦と萩尾望都の躍進

第Ⅶ章
次元と異界の詩学
――漫画で拓いたSFの最先端
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この2章ではSF少女漫画史の概観を示した上で「11人いる!」以降の作品を論じており、著者がSF評論家だけに熱がこもっています。


「11人いる!」の中の、次の文が印象に残りました。


また当時は気付かなかったのですが、『11人いる!』は対等な関係性を探る物語でもありました。
それは萩尾望都の特徴であり、やがて佐藤史生や水樹和佳にも引き継がれる新たな男女関係・人間関係の模索表現でした。(p. 192-194)


スター・レッド」では


レッド・セイの魅力はその自由/自立にあります。
萩尾作品において、まず少年に仮託して描かれた“自由”な主体は、フロルという雌雄未分化の存在を経て、遂にセイという女性キャラクターに至ったのでした。
しかし彼女はそれゆえに孤独で、過酷な運命に晒されます。
自分らしく生きようとする者は、男女の別なく、孤独な存在とならざるを得ないのです。(p. 221)


正しさと誤りのモザイクである人間の多様な在り方、その矛盾と対立を留保して、宥和点を探し続けるのが萩尾SFの魅力です。(p. 225)


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第Ⅷ章
親と子、その断絶と愛執
――母娘問題の先取り
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親子関係を軸にした作品群について。
取り上げられている作品は「訪問者」「メッシュ」「半神」「カタルシス」「イグアナの娘」「小夜の縫うゆかた」「残酷な神が支配する」など。


私は「メッシュ」は途中までしか読んでいないし「残酷な神が支配する」は全くの未読なのですが、とても興味を引かれる章でした。


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第Ⅸ章
ふたたび、すべてを
――私たちが世界と向き合うための指針として
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21世紀に入ってからの「ここではない★どこか」シリーズ、「なのはな」をはじめとした原発事故関連の諸作品、「王妃マルゴ」「AWAY―アウェイ―」「ポーの一族」新シリーズについて。


どの作品も今日的な課題を内包していることに改めて気付かされました。


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この本には、さまざまな方の萩尾作品に対する論評が散りばめられており、「あとがき」に次のように記されています。


「本書には1970年代、80年代のものを中心に、萩尾作品に魅了された作家や評論家の言葉をたくさん引用していますが、それは当時のリアルタイムでの感動を伝えたいのと同時に、このようにして萩尾作品に魅了された人々が漫画評論を形成した「評論史」を記録しておきたい――というのも、本書のもうひとつの意図です。
漫画表現はどこまでも自由であり、評論もまた自由であり得るはずです。」(p. 315)


自分の話になりますが私は著者の長山氏と同年代で、中学時代を萩尾漫画にどっぷり浸って過ごしました。


けれど地方に住んでいたこともあってか、残念ながら周りに萩尾ファンは1人もいませんでした(唯一、私に萩尾漫画を教えてくれた友人がいましたが、私が引っ越したのであまり会えませんでした)。
なにしろ当時の少女漫画といえば「ベルサイユのばら」「はいからさんが通る」「エースをねらえ!」などが圧倒的な人気で、萩尾ファンは極めてマイナーだったのです。


高校生の時、まんが専門誌『ぱふ』が萩尾先生を特集しているのを見つけ、感激して隅々まで熟読しました。
それは、ほぼ1冊が小さい字と絵でびっしり埋まった文字通りの総特集で、橋本治さんら数人の方の評論が載っていました。
驚いたことに、評論の執筆陣も編集に携わった方々も大半が男性のようでした。


そう。その時、私は初めて知ったのです。
世の中には萩尾漫画に熱中、というより熱狂して真剣に論じ合っている大人が、しかも男性が大勢いることを。
そして同時に漫画評論というものにも初めて出合ったわけですが、その時は「頭のいい人が書く難しいもの」だと思ったので、それ以上読むことはありませんでした。


本書は「初の丸ごと1冊萩尾漫画の評論」という点で意義深いですが、当時の熱気に溢れた評論に触れることができたのも貴重でした。


この記事の中で引用したのは、あくまで私の印象に残った部分に過ぎません。
共感したり、なるほどと思ったりするポイントは読む人それぞれでしょう。
ですが「あとがき」のこの一文には誰もが頷くのではないでしょうか。


「SFであれ少年物であれ、現代物であれ、歴史物であれ、萩尾先生の作品の基調には、人が自由に生きることへの敬意があり、他者と対等に向き合い、完全に理解はできなくとも信頼や許容によってつながりを拓く、そんな世界への希望と意思があります。」(p. 316-317)

 

 

(93)「青のパンドラ Vol. 3 ベニスのベラの家」

激しくネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになってから、ぜひまたいらしてくださいね ♪

 

こんにちは。
今月はすっかり遅くなって今頃「青のパンドラ」Vol. 3 の感想です。
もし待っていてくださった方がおられましたら(いないと思うけど)ごめんなさい。


まずは恒例の扉絵からどうぞ。

 

小学館『flowers』2022年10月号より)


Vol. 3 の舞台はタイトル通り「ベニスのベラの家」。
なので扉絵もベニスの象徴である有翼の獅子の円柱なんでしょうね。


ベラとはシスターベルナドットのこと。
私はVol. 2 の感想で、その家が多分リド島にあるのだろうと書いたのですが、見事外れました。
どうもすみません。


どこか分かりませんが、ワインを造っている島にある隠れ家でした。
一応調べてみたらマッツォルボ島とサンテラズモ島にワイナリーがあるようですが、観光客が来て隠れ家向きではないので別の島なんじゃないでしょうか。


さて、Vol. 3 は今まで以上に情報量が多くて追い付くのが大変!
ていうか、新事実と謎が多過ぎて自分が追い付けているのかどうかも分かりません。
頭を整理するために今回は大きく5つに分けて感想を書いていきたいと思います。


1 大老ポー
2 ポーとルチオの歴史
3 壺=パンドラ=血の神
4 人物について
5 そして次回は


それでは参ります!


◆◆1 大老ポー◆◆


今号では大老の過去や心情が断片的に語られました。
旧シリーズの大老は唯一登場したのが「メリーベルと銀のばら」で、そこでは神格化された存在のように見えましたが、この「青のパンドラ」では普通の感情をもった人物として描かれているのが面白いです。


今回まず驚いたのは、大老が4000年を超えて存在しているという事実!
いや、ギリシア神話と関係あるのかなと考えた時点で想像できたはずなんですけど、断言されると改めて驚きました。


そして老ハンナも遅くともトロイ戦争(前1200頃)の時までには一族に加わっていて、どうやらギリシア人のようです。
ハンナ自身がクロエ達に「8世紀頃仲間になったブリトン人」と言っていたのは、やっぱり嘘なんですね。


もう1つ衝撃だったのが、大老がフォンティーンの母であるアドリアに恋していたこと!


もし自分が人間の若い男なら、この美しい女性と結婚したかった。
こんな美しい息子がほしかった。
バリーも含めて、こういう家族に囲まれたかった。


そんな思いで「恋心を隠し 良き隣人を演じ」ていたのかな。
アドリア母子は夢を見せてくれる理想の家族だったんでしょうか。


となると気になるのは、大老とハンナはどういう関係だったのか?


「メリーベルと銀のばら」で2人は互いを「つれ」と言っています。
「つれ」って単なる道連れとか同行者?
それとも連れ合いとか配偶者の意味?


大老はハンナを愛して、永遠に共に生きていくことを望んで仲間にしたんじゃないのかなあ。
男爵とシーラみたいに。
でも1000年もたてば、そりゃお互い気持ちも変わるってもんでしょう。
大老がアドリア達とトリッポの城で暮らしていた間、ポーの村のハンナは、愛人の元に行ったきり帰って来ない夫を待つ正妻みたいな気分だったんですかね。


いや、そもそも2人はそういう間柄じゃなかったのかもしれないし、何か他の事情があって別行動をとったのかもしれないけど。


あ、話がそれますが、大老のこの話を読んで私はアーサーと隣家のマーガレット夫人を思い出しました。
アーサーも密かに彼女に恋していたのかな。


話を戻して。
ここへ来て大老は心境に大きな変化があったようですね。


自分のやり方も、自分が作った掟も、もう役に立たないのかもしれない。
クロエを許す。
炎の剣をバリーにやってもいい。
フォンティーンを解放して話し合わねば。


なぜこう考えるに至ったのかは、まだよく分かりません。
フォンティーンとバリーを消さず、それ以上に愛していたはずのアドリアだけを消した理由も(不可抗力?)。
更にはアランを再生させてやろうとする理由も。
これらは、おいおい明らかになっていくんでしょうか。


そして大老の科学技術に対する言葉、特に「(人間たちは)キカイと科学の力で なんでもできると思いこんだのだ 神のようになんでもできると」「万能感を得て神をキカイの向こう側へ追いやってしまったのだ」というセリフは、萩尾先生から現代社会への警告と受け止めました。


◆◆2 ポーとルチオの歴史◆◆


大老の過去を知ることが一族の歴史を紐解くことに直結するのも面白いですね。
今号は今まで明らかになっていた事実が更に補足されて一本筋が通ったような気がします。


はるか昔、大老やベルナドットはギリシアの小さな島に住んでいた。
その名も「ポーの島」!←大事なことなので赤文字にしました


土地の者は神として壺を祀っていた。
大老助祭、ベルナドットは巫女、そして祭司はアルゴスという男。


しかし地震と海底火山の噴火によってポーの島は海中に消え、大老、ハンナ、ベルナドット、オリオンの4人は壺を持って移動。
トロイア、ペルガモンを経てイタリアへ。


ローマ近くの森や村に住む。
サビーナの村でアドリア、フォンティーン、バリーを仲間に加える。


ローマは392年にキリスト教が国教となり、5世紀の初めに蛮族に略奪されたため、静かな土地を求めて北へ移動する。


7人はラヴェンナで二手に分かれる。
大老、ハンナ、アドリア、フォンティーン、バリーはアルプスを越えて北へ。
ベルナドットとオリオンはイタリアに留まりベニスへ。
壺はベルナドットが預かった。


ラヴェンナで別れた時期は不明ですが、5世紀頃でしょうか。


もっと分からないのは、ポーの一族とルチオ一族の関係なんですよね。
大老を始祖とする「ポーの一族」の名は「ポーの島」に由来すると思われるんですが、じゃあベルナドットを始祖とする「ルチオ一族」も元々は「ポーの一族」だったのか?
この辺りの説明も待ちたいと思います。


◆◆3 壺=パンドラ=血の神◆◆


前回私はよく分かっていなかったのですが、「パンドラ」と呼ばれる壺こそが、はるか昔にポーの島に祀られていた「血の神」だったわけですね。


一見何の変哲もない壺だけど、エドガーが触れると温かく柔らかく、水や海や星を思わせる。
何かの息吹を感じる。
エドガーが抱くと月の舟で波に揺られるようで心地いい。


これは母の胎内にいるような感覚?
パンドラ自体が命を育む1つの生命体のようなもの?


一方、ファルカが触れると少しヒヤッとしている。
冒頭の大老の「なんてことだ……彼も…消えかけているのか…?」というモノローグは、多分バリーじゃなくてファルカのことですよね?
それはイヤ!!
でもそうだとしたらファルカが壺に触れて少し冷たく感じるのは、もしかして彼自身の生命力が弱まっているから?


エドガー達が来る前、壺つまり血の神は久しぶりに水を欲していました。
しかも大量に。
ベルナドットが言ったようにそれがアランを復活させるためだとしたら、血の神が水を欲するのは誰かを蘇生させる時、あるいは新たな生命を生み出す時なのか?


そしてエドガーやファルカが壺に触れる時、サルバトーレが異常に怯えていたのは、なぜ?
私が考えたのは


①触れた者の余命を占うことになるから

②触れると恐ろしいほど荒ぶる時があるから


どっちかというと②かなあ。
「オリオンのそばでは割とおとなしい」と言われているし。


まだ色々と謎の多い神様です。


◆◆4 人物について◆◆


ここまで書いてこなかった人達について気になることなど。


アルゴス


またしてもキョーレツな新キャラ、アルゴス登場。
かつてのポーの島の祭司=大老の上司。
この人も一族だそうですが「ポーの一族」ってことでOKですかね?


ギリシア神話アルゴスは怪力の巨人で、身体中に100の目をもち、その半分が眠っても残りの半分は目覚めていたと言います。


錯乱していて皆から相手にされていない印象ですが、今後もここぞという時に邪魔しに現れそうで何をやらかすのか気になります。


【バリー】


今回、アルゴスの言葉によってバリーの生い立ちが明らかになりました。


本名はバルトロメオ
ローマ近くのザビーナ村の新貴族の息子。
1歳の時に父が若い女と再婚して捨てられ、父の愛人だったアドリアに引き取られる。
18歳か19歳の頃、父の再婚相手によって毒入りワインで殺される。


結構可哀想な人だったんですね、バリーって。


気になるのは「毒入りワインで殺された」ってところです。
アーサーは命が尽きる直前に一族に加わりましたが、やっぱり死んでしまうと無理なのかな。
それならバリーも完全に息絶える前に仲間に加えられたことになりますね。
アドリアとフォンティーンも同時だったのか?
フォンティーンが目覚めたら、その時の事情も語られる気がします。


あと、バリーの実母の話が全く出なかったんですけど、バリーを産んですぐに亡くなったのかな。


【オリオン】


オリオンはベルナドットの孫だそうですが、これって実の孫ってことでいいんですかね?
じゃあオリオンの親、つまりベルナドットの子どもが今いないのは、既に消えてしまったか、または女でルチオ一族に入れなかったかのどちらかでしょうか。


私、男ばかりのルチオ一族の始祖がなぜ女なのかも、まだ分からずにいます。
オリオンがどうして喋らないのかも気になります。


【シルバー】


シルバー、登場するたびに笑わせてくれて好きですわ。
風車小屋の別宅、いいなあ。
ケイトリンが今も元気そうで嬉しいです。


◆◆5 そして次回は◆◆


ラスト、「影の道」を走る馬車でヨークにある大老の仕事場へと出発した大老エドガー、ファルカ、オリオン。


大老も「目」を使って移動するのかと思っていたんですけど、こんな馬車を駆っていたとは驚きでした。
ベルナドットやサルバトーレも驚いているところをみると、初めて見たんでしょうね。
エドガーだけが興味津々な顔をしているのが面白いです。


ヨークといえば、ヨークシャーにはポーの村があるんですよね。
村とは別に大老の仕事場があるわけですね。
そこでアランを蘇らせ、炎の剣を作るのでしょうか。


「青のパンドラ」は話の展開が早くてびっくりですが、次回も怒涛の勢いで進みそうな気がします。
ベルナドットが待っている「あの方」もいずれ出てきそうだし、一体何が起こるのか?


ところで先日終了した「萩尾望都SF原画展」大阪会場のイベントとして、9月18日に萩尾先生と舞台版「ポーの一族」の演出家・小池修一郎さんの対談が行われました。
参加された方のレポートによると、何と萩尾先生が「『青のパンドラ』でアランが復活するまでを描きます」と発言されたとか。


おおお!
先生の口から確約が!!
これはもう期待しかないです。


間もなく発売の次号がますます楽しみですね!!


◆◆◆◆◆◆


「青のパンドラ」Vol. 1と2の感想はこちら。よろしければどうぞ。

(90)「青のパンドラ Vol. 1 冷蔵庫で眠る」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

(91)「青のパンドラ Vol. 2 アランが盗まれる」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記

 

~2022. 9. 28 追記~


今日は『flowers』の発売日でしたが、「青のパンドラ」は2か月お休みでVol. 4 は11月末発売の2023年1月号に掲載されるそうです。
待ち遠しいですね。

 

 

(92)萩尾望都SF原画展@アーツ千代田3331に行ってきました

萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」が2022年7月9日から24日まで久しぶりに東京で開催されたので行ってきました。

 

 

この原画展は2016年にスタートし、全国を巡ってきました。


①2016 東京 武蔵野市立吉祥寺美術館

②2017 新潟 新潟市マンガ・アニメ情報館

③2017 兵庫 神戸ゆかりの美術館

④2017 静岡 佐野美術館

⑤2018 福岡 北九州市漫画ミュージアム

⑥2018 群馬 高崎市美術館

⑦2018 宮城 石ノ森萬画館

⑧2019 山梨 山梨県立美術館

⑨2022 秋田 横手市増田まんが美術館

⑩2022 東京 アーツ千代田3331


私は①の吉祥寺美術館と④の佐野美術館に行って、今回は3か所目です。


最初の吉祥寺美術館は展示数200~250点程だったでしょうか。
こぢんまりした会場でしたが大勢のファンが詰めかけて、萩尾先生の原画を間近で見られるという喜びと興奮で熱気に溢れていました。
しかも入場料が100円!
本当にいいのか?と思ってしまう料金で、ものすごいおトク感がありましたね。


次に行った佐野美術館では展示数が約400点に増えていて見応えがありました。
まるで芋の子を洗うようだった吉祥寺に比べると、立ち止まってじっくり見られて感動もひとしおでした。


そして今回のアーツ千代田3331(3331 Arts Chiyoda)。


この会場のことは全然知らずに行ったのですが、何だか学校みたいだなあと思ったら、廃校になった中学校を改修した建物でした。
靴箱がおしゃれなフライヤー棚になっていたりして面白かったです。
来春には再び改修されて新たな文化芸術施設になるそうです。


入ってすぐのカフェを横目に見ながら原画展の展示室へ。
今回も展示数は約400点とのこと。
佐野美術館の時と全く同じかどうかは分からないのですが、構成は同じで4つのゾーンから成っていました。


それでは個人的に印象に残った作品を少し。


はじめは「あそび玉」や「精霊狩り」シリーズなどの初期作品群。
自分が馴染んだ作品ばかりでワクワクしました。


ユニコーンの夢」はラスト8ページの展示。
黒の効果、繊細な線、儚く優しい絵柄で、ファンタジックな世界にいざなわれます。


「追憶」と題されたカラーイラストポエム。
ここまでずっとモノクロの絵だったので、カラーの美しさがひときわ鮮やかに見えました。
このイラストポエムは『チェリッシュブック 少年よ』(1976年 白泉社)に「おまえ」という題で収録されていて、当時から好きでした。
『少年よ』でポエムは一部変更されています。


そして、これもまた大好きな「月蝕」。
佐野美術館でも食い入るようにして見ましたが、今回も全ページあったので1枚ずつ時間をかけて鑑賞し、繊細な絵で表現された寓話の世界に浸りました。


次のゾーンでは「百億の昼と千億の夜」の原画が多数あって目を引かれました。
中でもイメージアルバム付属のポスター用に描かれた阿修羅王と花の大きな絵が美しくて、とても印象に残っています。


ここにはネームも展示されていました。
私はネームとは、原稿と同じくらいのサイズの紙にコマ割りをして文字とラフな絵を入れるのかなと勝手に想像していたのですが、A5くらいの小さな紙に文字だけだったので意外でした。
貴重なものを見せて頂いた気分です。


この後も美しいカラー原稿が沢山ありましたが、中でも「マージナル」の扉絵の数々に見入ってしまいました。
人物の均整の取れた体の美しさ、色の美しさ、構図の美しさ。


「マージナル」、私はずっと前に一度読んだきりで、また読みたいと思っているんです。
でも単行本を持っていないので、カラーがそのまま再現されている本を出版してほしいなと希望しています。
個人的にはパーフェクトセレクションのサイズが読みやすいのですが、雑誌サイズでも良いですね。


原画展の会場にはタペストリーが飾られ、関連書籍が陳列されていました。
時々順路に迷ったりしましたが、ゆったりした空間で鑑賞できて良かったです。


夕方の時間帯にも関わらず訪れる人は途切れず、皆さん思い思いに好きな絵の前に佇んでいるようでした。
私は古い萩尾漫画に思い入れがあるのでどうしてもその頃の絵を重点的に見てしまうのですが、全く知らない文庫本のカバーイラストなども見ていて楽しかったです。


展示会場のすぐ隣がグッズ販売コーナーで、新刊の『百億の昼と千億の夜 完全版』(河出書房新社)も平積みされていました。
私はグッズは見ただけなのですが、キャラクターパレードTシャツが魅力的でした。
SF作品だけじゃなくて、ポーやトーマや半神やイグアナ娘などのキャラも勢ぞろい!
あのイラストを何かの本に収録して頂きたいです。


この展覧会も、いよいよ次の大阪がファイナルだそうです。

 

 

9月9日(金)~19日(月・祝)
あべのハルカス近鉄本店


ファイナルということで賑わいそうですね。
今回、別の会場で萩尾先生と星野之宣先生の対談イベントが行われましたが、大阪ではトークショーがあるようです。
詳しくは公式サイトをご覧ください。

萩尾望都SF原画展 公式サイト Hagio Moto SF Exhibition


★彡 ★彡 ★彡


佐野美術館に行った時の記事です。ご興味のある方はどうぞ。

(23)SF原画展@佐野美術館に行ってきました - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記


原画展の図録です。
掲載されていない絵もありますが美しくてページを繰るのが楽しいです。

www.kawade.co.jp

 

 

(91)「青のパンドラ Vol. 2 アランが盗まれる」

激しくネタバレしております。ネタバレNGの方は申し訳ありませんが作品をお読みになってから、ぜひまたいらしてくださいね ♪

 

ポーの一族」の新章「青のパンドラ」の第2回、皆様もう読まれましたか?
私は「アランが盗まれる」というサブタイトルにまず動揺し、展開の早さにびっくりでした。


では早速、扉絵から!

 

小学館『flowers』2022年8月号より)


メリーゴーランドに乗る主要キャラ達。
左上の端っこに小さく描かれている大老ポーの後ろ姿が何だか可愛い。


その隣の人物が男に見えて「誰? 新キャラ?」と思ったんですが、妹に「クロエじゃないの」と言われ、よく見たらスカートはいてました。
どうも老眼が進んだようです(汗)


このエドガーとアランを見ると、やっぱりこちらの絵を思い出しますよね。

 

(同2019年4月号より)


ユニコーン」の連載が再開する時の予告です。
この時はユニコーンの木馬でエドガーがどこか遠くを見ている風でしたが、今回のエドガーはしっかりアランの方を見ています。


それでは物語の感想に参りましょう。
と、その前に今回は「ユニコーン」でのエピソードがちょこちょこ出てくるので、まとめておきますね。


1067 バリーがポーの村のバラを枯らして逃げる(大老がフォンティーンを閉じ込めた年の翌年)

1944 クロエがポーの村のバラを枯らして逃げる

1958 ベニスのコンサート

1963 バリーがアランをカタコンベに連れて行く

1975 バリーがロンドンでアランに会い、オペラに誘う

2016 現在


*おことわり*
ユニコーン」の感想記事では作品に従ってベネチアと表記していましたが、「青のパンドラ」では作品内でベニスに変わったので感想でもベニスと表記します。


◆◆◆◆◆◆


ファルカの店に現れた大老ポー。
ファルカへの言葉は


「アランを助ける方法を示唆するために来た」

「ベニスにサン・ミケーレという島がある
そこで待っているからエドガーをつれて来てくれ」


アランを助ける!
ポーの村はアランを受け入れてくれないのに大老は助けると言うんですね!
やはりバリーの言う通りエドガーが大老の直系だから、エドガーの願いを聞いてやろうということでしょうか。
それとも何か別の理由があるのか?


ベニスには本島以外に多くの小島があり、サン・ミケーレ島は本島のすぐ北に位置します。
アーサーのセリフにもあるように教会と墓地しかない「墓地の島」だそうです。


それにしても、ファルカもブランカ大老に敬語を使いませんね。
それどころか不信感丸出し。
まあ2人ともポーの一族じゃないし、ブランカはロイが消えてパニックになってるし。


大老の方も何だかいきなり俗っぽく…いや、人間くさくなってませんか?


そして花を食べて消えてしまったロイ。
ロイもローラも人間じゃなくてヴァンピールになっていたんですね。
この子達も行き場のない、1人では生きられない子達だったのでしょうか。
まさか、さらって来たりはしていないと思いますが。


私はブランカが子どもの世話をするのはファルカのためだと思っていたのですが、今月号を読んでブランカもファルカと同じくらい子どもを可愛がっているんだと分かりました。
ノアを思い出したりするのかな。


子どもはすぐに消えてしまうのにエドガーは(アランも)永く生きている。
その理由は大老にも分からない。
このことも謎の1つです。


◆◆◆◆◆◆


アーサーの館ではバリーの話が続いています。
自分はアランと友達で、アランが好きだから協力するのだと言いますが…


ボートに現れたのも、カタコンベに連れて行ったのも(ほとんど拉致)、アランにとっては大迷惑。
確かにオペラの「こうもり」に誘っていましたが、本当に行ったのかな。
作り話か?


バリーからは秘薬の入った青い壺「パンドラ」に続く、驚くべき情報がもたらされました。
クロエから聞いた話によると、フォンティーンの体に絡まっているバラの根は大老が持っている「炎の剣」でのみ焼き切ることが出来る!


だからエドガーが大老に「パンドラ」でアランを元に戻してくれるよう頼む時、自分のために「炎の剣」をもらってほしい――。


「そんなの無理に決まってる」と思ったら、バリーはアランが入っているトランクをエドガーから奪い取り、「目」の中に消えました。
「剣と交換だ! それまでオレが預かる!」と捨てゼリフを残して。
ふん、やっぱりね。
そんなヤツだと思ってましたよ…。


半狂乱になったエドガーを見て「わー大変だ!」と焦りましたが、大老は何もかもお見通しでしたね。
ホッとしました。


ところで、クロエもフォンティーンを助けたいと思っていたんですね。
なるほど、バリーと望みが一致していたから、エドガーにバリーの行方を知らないと言ったわけか。


◆◆◆◆◆◆


場面が変わり、どこかの海辺にシスター・ベルナドットの姿が。
何をしているんでしょう?
「血の神」に捧げもの?
「血の神」とは?


そこへオリオンという名の若い修道士もやってきます。
はて、ここはどこ?
ベニス?


あっ、そういえば1958年のベニスのコンサートで、サルヴァトーレがルチオ一族について「いつもはリド島のボロい修道院に生息してるよ」と言ってましたっけ。
同じ時ベルナドットは「貴重な古代の予言書などの管理をしている」「20名から25名ぐらいだ」と言っていました。


とすると、多分ここはリド島で、オリオンも古書の管理をしているルチオなんでしょう。


リド島は本島の東にある大きな島です。
バカンス客が海水浴に訪れるリゾートの島。
ベネチア国際映画祭の開催地で、「ベニスに死す」の舞台でもあります。
そんな島でルチオ一族が暮らしているなんて意外な気がしますが、旅行者が多い所だと紛れて好都合なのかな。


ベルナドットはオリオンに言います。


「きっと近いうちに誰かが訪ねてくるだろう…
もしも……“あの方”なら100年ぶり…
最後に会ったのは100年以上前のコンサートの夜…」


「あの方」。
1958年のコンサートでも側近に「あの方は…来た?」と尋ねていた、「あの方」。
今は2016年なので100年以上前というと1916年より前。


一体何者なんでしょうか?
尊大なベルナドットが「あの方」と呼ぶくらいだからヴァンピール界を統べる者とか?
その人物が近々姿を現すのかな、楽しみだな~。


なんて思っていたら、ベルナドットとオリオンの前に大老が登場。


驚いたのは大老とベルナドットの互いの呼び名ですよ。
大老がイオンで、ベルナドットがベラ。
これは2人が人間だった頃の名前なんですかね?


この2人は元々ギリシャの神官と巫女だったわけですが、「イオン」も「ベラ」もギリシャ神話にゆかりのある名前のようです。


イオンはアポロン神とアテネ王女クレウサの不義の子で、「イオニア人」の呼び名の起源となった英雄。
ベラは神々の女王(ゼウスの正妻)の名前「ヘラ」から来ているのではないかと思います。
ついでに言うと、オリオンはギリシャ神話に登場する巨人の狩人です。(←美男子)


色々なことが少しずつ明らかになってきてワクワクしてきますね!


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ラストシーンはサン・ミケーレ島
島にやってきたエドガーとファルカに大老


「ベラが彼女の海の家で待っている
さあ“パンドラ”に会いに行こう」


なんと、もう次回に早速「パンドラ」が出てくるのでしょうか。
バリーまでちゃっかり来ているのが気になります。


気になるといえば、アーサーの隣人だった今は亡きマーガレット・チャップマン夫人も。
夫人の息子はアーサーにわだかまりを持っている。
孫のサイモンや犬のシーザーも含めて、この一家が今後どう関係してくるのか?


次回は更に驚くような展開が待っていそうですが、残念ながら来月は休載。
続きは10月号だそうです。
8月末に発売ですので、皆様、熱中症にもコロナにも気を付けて元気に発売日を迎えましょう。
萩尾先生もお元気に執筆してくださいますように!


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「青のパンドラ Vol. 1」の感想はこちら。よろしければどうぞ。

(90)「青のパンドラ Vol. 1 冷蔵庫で眠る」 - 亜樹の 萩尾望都作品 感想日記